「指揮者としての服部正」(3)

慶應義塾マンドリンクラブのOB,OGの集まりであるKMC三田会のメンバー数人に、最近ちょっとヒアリングしてみました。
「服部正という指揮者はどうだった?」というあまりにも漠然とした問に対して、返って来た答えは結構類似していました。
まず「最初の練習の頃はかなり厳しくダメ出しされた。」というのはかなり共通した認識でした。そして回を追うごとに雰囲気が変わり、本番直前になると「褒めて持ち上げる」と言うパターンに持って行き、本番はスムーズに行く事がほとんどであった、というのも皆さんのコメントでした。皆さん学生指揮者以外には服部正しか経験が殆どないので、服部正が練習に来るとかなり「ピリピリ」しており、真剣度はかなり上がって集中していたようです。
このように服部正はアマチュアのメンバーにはこういった「飴と鞭」をうまく使い分けていたようです。
かなり厳しい指摘をしたりした後でも、練習を終わるとヒートアップはスッと収まり、そのまま帰途につくというのが一般的な服部正の練習姿で、学生幹事たちとも気楽に会話をしたりして練習会場をあとにしていきます。とはいえ学生側(特に低学年の学生)は会場から出ていくまでは緊張が継続しっぱなしの人も多かったと思います。

KMCでの服部正の練習は、あまり細かな事を指示する事よりも、曲全体の流れの中で自分たちはどんな役割をしているのか、をしっかり認識させるような指導が多く、練習時間もそれなりに効率よく進めていました。
よく若手、修行中のプロの指揮者はしょっちゅう止めて色々とコメントが多く、実際に音を出す時間よりも長そうなコメントの洪水に辟易とするオーケストラメンバーも多いと聞いております。私も実際そのような仕打ちをアマチュアオーケストラ時代に味わった事がありますが、オーケストラ全体の集中力も切れ、モチベーションも何となくうつろになってしまいました。
そういった意味では服部正は長年の放送音楽での指揮をやっていた事もあってか、余計な時間を費やす事はせずに効果を上げる手法を、知らず知らずのうちに身に付けていたのかもしれません。(昔は録音技術がお粗末で、生の「実況演奏」でラジオから流れる番組が多かったのも実態で、こんな環境での体験学習だったのかもしれません。)

1984年マレーシア演奏旅行でのステージリハーサル風景(服部正76歳)

私事ですが、指揮者が実の父である場合の練習、本番の精神状況というのは、かなり複雑です。
まず「イージーミス」は絶対にやれない「緊張感」、さらには他のパートで個別に捕まった(演奏に対する厳しい指摘を受けた)メンバーに対して練習後の顔を合わせた時のバツの悪さ、練習・本番でうまくいったとしても「嬉しい」よりも「ほっとした」という気持ちの方が大きい等、なかなか他の人の受ける気持ちとかなり違う所が多いのかもしれません。
特にヒートアップしてかなり厳しいコメントが多くなった時は、そのクレーム対象が自分の事ではなくても自分の居場所が非常に辛くなることは多かったと記憶しております。(蛇足、失礼いたしました。)

館長
1955年 服部正の長男として東京で生まれた。                     1978年 慶応義塾大学卒業(高校よりマンドリンクラブにてフルート担当)        同年    某大手電機メーカーに入社(営業業務担当)                  2015年 某大手電機メーカーグループ会社を定年退職                  現在 当館館長として「服部正」普及活動従事       

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