服部正とグレース・ノーツ

服部正は若い時代から自ら楽団を組織する事がありました。
古くは「コンセール・ポピュレール(青年日本交響楽団)」、戦後「広場のコンサート」公演のための臨時編成楽団、そして晩年の「グレース・ノーツ」です。

この「グレース・ノーツ」は服部正が国立音楽大学で教鞭をとっていた頃に、音楽大学を卒業する女性の音楽家として働く場所があまりにも少ないことを憂慮し、女性だけのオーケストラを作ろうという事が発端で、当時は「プリマ・ローザ」という名前で発足致しました。

ところが、雇ったマネージャーが楽団の金を使いこみ一旦解散の窮地に追いやられてしまいました。しかし服部正も諦めずに自ら社長となって「日本女子管弦楽団」という有限会社を立ち上げ(私の母が専務取締役)通称「グレース・ノーツ」という名前で再度デビューしました。
メンバーも当初の面々がそのまま続けてくれた人も多く、地道に活動を続けてまいりました。
(「グレース・ノーツ」というのは「装飾音符」という意味です。)

グレースノーツ01

自主公演としての定期演奏会も行ってきましたが、やはり女性のオーケストラという事で様々なイベントでの演奏依頼もしばしば来ておりました。

曲目はライトクラシックを中心に、欧米のミュージカルナンバーや世界の有名ポピュラー曲をレパートリーに組んでおりました。フル編成のオーケストラではないので、ほとんどが服部正やご協力して頂いた作曲家の手による編曲で、レコーディングもかなり積極的に進めていました。2~30年前の録音ながら約15年前頃CD化もされています。

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実は近所の図書館にも置いてあることがわかり、ちょっと感動しました。

何と慶応義塾マンドリンクラブとのコラボレーションのレコードも作っていました。
(小生もこの録音に参加したような覚えがありますが、定かではありません、、、)

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残念ながら晩年服部正が高齢になってから徐々に活動は少なくなり、明確な「解散」という形でなく自然消滅してしまいました。

ライトクラシックを好まれる方々にはそこそこご評価頂き、ご愛顧いただいていたと思っております。
もしどこかで「グレース・ノーツ」という楽団の名前や演奏を耳にしたら是非思いだしてください。

館長
1955年 服部正の長男として東京で生まれた。                     1978年 慶応義塾大学卒業(高校よりマンドリンクラブにてフルート担当)        同年    某大手電機メーカーに入社(営業業務担当)                  2015年 某大手電機メーカーグループ会社を定年退職                  現在 当館館長として「服部正」普及活動従事       

2件のコメント

  1. 今から45年前、国立駅前の国立楽器でグレースノーツのライトクラシックLPレコードを買い求め、何度も聞き返した事を70歳近くになり突然思い出しました。
    服部先生由来の楽団とはつゆ知らず、今では隆之さんのTVドラマ音楽に傾倒している私です。

    1. コメントありがとうございます。
      グレースノーツはレコード録音の他地方演奏旅行や年に1~2回定期的に演奏会をやっていました。
      過去50年くらい前でしょうか「サントリー リザーブ ウィスキー」のコマーシャルでバックに「ヨゼフ・シュトラウスのワルツ天体の音楽」冒頭部分を流していたのをご記憶にある方もいらっしゃるかと思いますが、あの演奏も実はグレースノーツだったとの事を服部正が言っており、思わぬところでも登場していたようです。
      館長 服部 賢

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