結城西小学校へ自筆譜の寄贈(+旧「玉岡幼稚園歌」自筆譜寄贈)

「結城」という名前でまず出てくる言葉は「紬」でしょう。この結城市にある結城西小学校の校歌は服部正が作りました。
今まで様々な学校にお邪魔しましたが、今回の結城西小学校の校歌ほど作曲依頼から制定までのプロセスがはっきりしている例は少ないと思われます。
慶応義塾マンドリンクラブ出身でこの結城紬製造卸業経営者で地元の名士である方の関係でこの結城西小学校の作曲依頼を頂戴しましたが、服部正も人縁、地縁を大事にする気質なのでかなり思い入れを持って作曲したと思われます。
まず譜面を見ても曲の最後にはっきり年月日が書かれて「作曲完成」とまで記載されている例はあまり多くありません。後で聞いた話として「わざわざ小学校まで来て校歌の指導までして頂いた」との事でしたが、服部正はこういった関係を非常に大事にするタイプなので、恐らく嬉々として結城まで行ったに間違いありません。

 

お伺いする日の朝、外はあいにくの雨。でも小学校の皆さんが心待ちにされているとの気持ちがやり取りさせていただいたメールからも分かり、こちらも意気揚々と家を出発しました。そうすると一旦雨が上がり、これは上々の出だしです。

小学校からは気遣いを頂き結城市にほど遠くない隣県の「小山駅」まで迎えに来ていただけるとの申し入れがありましたが、折角茨城県の結城に行くのに「結城駅」をパスして栃木県までおいで頂くのは失礼と思い、小山で水戸線に乗り換え結城まで伺い、小学校の教頭先生達と落ち合う事が出来ました。
小学校に向かう途中で「弘経寺」という結城市では由緒あるお寺に案内されましたが、とても威厳があり落ち着いた趣の気持ちが休まるお寺でした。
教頭先生にお伺いしたところ、この結城市には非常にたくさんの寺社があり、この弘経寺は結城市でも最も権威があり有名なお寺という事でした。
(この時も雨が上がり、ラッキーなタイミングでした。)

弘経寺本堂

それから小学校に向かいましたが、校長様だけでなく結城市の教育委員会の幹部の方々、そして前述の結城紬老舗の現社長までお揃いでお迎え頂き、大変恐縮してしまいました。(その社長様は以前「結城西小学校」のPTA会長も歴任された方でした。)
早速譜面の贈呈や歓談を致しましたが、実は今回の訪問準備の段階で大きな発見があり、服部正が作曲した「玉岡幼稚園歌」の「玉岡幼稚園」がここ結城市立の幼稚園だったのが民間に移管され現在は無くなってしまった、との事でした。今回別袋で一応用意させて頂きお持ちしたのですが、市の教育委員会の方にこの譜面をお渡しすることに当日決まり、こちらも不透明な案件が一つ明確になりありがたい話となりました。

そして校長様のお計らいで1年生が校歌を歌う場を設定していただき、その歌声を聞かせて頂きました。とても素朴で素直そうな1年生が精一杯の大声で校歌を歌っていただける姿を見て大変感動し、また元気を頂くことが出来ました。
教室から退出しようとすると生徒の皆さんが寄ってきて「ハイタッチ」して頂いたのがとても可愛らしく、こちらもとても嬉しく思って喜んでしまいました。
(今日早速結城西小学校のホームページにこの光景がアップされていました。感謝です。)
その後昼食を頂きながら歓談、そして学校を後にして結城紬の社長様に「つむぎの館」をご案内頂きましたが、その製法や歴史について非常に分かりやすくご教示頂きました。(本当は当日は休館日だったのですが、特別なお計らいでご案内頂きました。誠に恐縮です。)

結城市「つむぎの館」

今回はいつも以上に「人の縁」「地域の縁」という事を肌で感じ、さらには元気いっぱいの小学1年生との接点も実現し、天気は曇りでも気分は「快晴」でした。
校長様、教育委員会の皆様、結城紬関係の皆様、そして小学校関係の皆様と何よりも歌ってくれた1年生の皆さん、本当にありがとうございました。

追伸

今回は肝心の小学校殿の画像がほとんど撮れずに失礼いたしました。上記の通りこのプロセスは「結城西小学校HP」にアップ頂いておりますので、ご参考までご覧ください。

館長
1955年 服部正の長男として東京で生まれた。                     1978年 慶応義塾大学卒業(高校よりマンドリンクラブにてフルート担当)        同年    某大手電機メーカーに入社(営業業務担当)                  2015年 某大手電機メーカーグループ会社を定年退職                  現在 当館館長として「服部正」普及活動従事       

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