ラ・フィーシェ、音楽物語「ピーターパン」(貝谷八百子バレエ団のために)

1938年(昭和13年)当時17歳のバレリーナ貝谷八百子さんの公演で服部正が音楽を担当するスタッフの一員となりました。第1回目では内田岐三雄氏(映画評論家)のプロデュースする「美しき森」という作品の音楽を作曲、バレエ音楽というものに初めて接しました。その後このバレエ団の為に様々な曲を作曲、専属音楽担当と言われるまでになりました。
その第2回目(1939年)で内田氏の台本「ラ・フィーシェ」の作曲を依頼され、服部正はかなり力を入れて作曲しました。その直筆スコアが残っておりました。

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この時公演で演奏を担当したのは服部正指揮のコンセール・ポピュレール(後の青年日本交響楽団)で、当時としては破格のギャランティを頂戴しこのオーケストラの財政状況の安定化に大きな貢献をして頂いた、との記録が残っております。

第3回目も「風」というテーマで参画、この一連の公演の成功に気を良くした貝谷さんは内田氏、服部正に3時間に亘る大バレエの創作を依頼して頂きました。
原作ジェームズ・バリの「ピーターパン」に内田氏が非常な意気込みで台本執筆、服部正も過去最大になる作品に没頭し、1941年(昭和16年)原稿の完成に漕ぎつけましたが、まさに太平洋戦争が甚大になりつつある時期と重なり、誠に残念ながら陽の目を見ないままこの作品は終わってしまいました。
その未発表の譜面も残されておりました。

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貝谷さんは戦後も活躍、1991年ご逝去までご自身のバレエ団と共に数多くのバレエ公演を実施、紫綬褒章、勲四等瑞宝章を受章する等の足跡を残され、現在も世田谷に「貝谷バレエアカデミー」がお弟子さんたちによって運営されております。

まさに戦時中の未発表の力作、音にしてみたいような気持になりますね。