服部正が目指した「クラシック普及」

2018年は服部正没後10年であり、生誕110周年でもあります。 服部正が生涯一途に進めてきたことが「良いクラシック音楽を皆さんに提供」という活動であり、それが「コンセール・ポピュレール(後の青年日本交響楽団)」「広場の...

レク&コン抜粋(5)最初で最後の「作曲リサイタル」

服部正が音楽家になる大きな存在が「菅原明朗」先生である事は以前も記載しました。この菅原門下の一人の作曲家として「深井史郎」という人間がおり、服部正もこの深井氏とは菅原先生のもとでよく付き合っていたとの記録が残っております...

レク&コン抜粋(4)40日で終わった保険サラリーマン

服部正は1931年(昭和6年)3月に無事慶応義塾大学法学部政治学科を卒業、一般学生と同じく卒業論文も書いての卒業でした。 服部正の父正平は当然の事ながら息子を普通の社会人にするべく、本人の意向を聞く耳もなく自分の勤めてい...

レク&コン抜粋(3)-プロへの導火線となった作曲コンクール入賞

服部正は1925年に慶應義塾大学法学部政治学科に入学しました。 前回のお話の通りマンドリンに現(うつつ)を抜かしていたため第一志望の経済学部には入れなかったそうです。 そして翌年の12月に慶應義塾マンドリンクラブの演奏会...

レク&コン抜粋(2)-父の単身赴任が無ければ服部正は普通の保険サラリーマンだった!

服部正の父「服部正平」は全国に支店網を持つ銀行の銀行マンでした。当然現在と同じように「転勤のリスク」は常に持っていました。 正平が大阪に勤めていた時に家族も全員大阪で過ごしていましたが、「門司に転勤」の命を受けてさすがに...