ある依頼・・・

今回はちょっと重い話です。

以前遺品を整理していた時に出てきた17cmレコードがありました。
そのジャケットの表裏がこの内容です。
佐藤君レコード1表佐藤君レコード2裏

幼くして天寿を全うしてしまったお子様の親御さんが服部正に作曲を依頼してきました。
「作詞・作曲 服部正」と記されていますが、このお子様の日記から服部正が音楽に合わせて言葉を選んだと思われ、作詞はこのお子様本人と言った方が良いと思います。
歌詞も、お父様の言葉も心に重くのしかかるように思えてならず、とは言うものの服部正もことさらに暗い曲にしたくないという意向があったのか、どちらの曲も長調で書かれてました。
しかしながら、この歌を聞いてしまうと目が潤んでしまうつらさを禁じえず、もし生きていたら今は多分50代の最も華々しい世代にいたのに、というむなしさを思ってしまいました。

こういった依頼を受け、一生懸命に本業でもない「作詞」のお手伝いをしながら作曲した服部正を父として尊敬する次第でした。

天国で佐藤天君、父と会っているかな?、、、

「海に寄せる3楽章」の寄贈

服部正は生前日立製作所とのお付き合いが比較的多く、工場歌等の委嘱をいくつか手掛けておりました。この「海に寄せる3楽章」は茨城県日立市にあるアマチュアオーケストラ「日立交響楽団」のために作曲した、と言われていますが、そもそもこの「日立交響楽団」も日立製作所の日立工場の文化活動団体の一つとして活動しながら地元の一般の方々も参加する一般アマチュアオーケストラとなっております。
この曲の寄贈となるとこの日立交響楽団が相応しく、事務局のある日立製作所の事業所(日立市)に8月に行ってまいりました。
オーケストラの事務局の皆さんにご対応頂きましたが、おまとめ頂いている総務部長もお忙しい中御挨拶させていただくことが出来ました。当日は譜面の他25cmLPまで当時作成されましたが、それも複数所有しておりましたので1枚お持ちしました。
そもそもこの曲は序曲「黒潮を呼ぶ歌」として1977年に作曲されましたが、その後2楽章、3楽章を作曲し「海に寄せる3楽章」として1981年に完成致しました。その痕跡が表紙にもしっかり書かれております。今回はそのスコア譜面だけでなく、オーケストラパート譜まで服部正直筆の譜面があり、まとめてお納めさせていただきました。
オーケストラのパート譜となると楽器それぞれに分けて書く必要があり、楽器だけでも十数種類存在していますが、管楽器はさらに1st、2nd等複数奏者のために書き分けることもしなくてはならず合計2~30種類の譜面が演奏には必要なものの、そこまで全部直筆で書き下ろしているのはこの作品への思い入れが相当あったのかとも想像されます。
小生もかなり以前に会社とは全く関係のないアマチュアオーケストラに所属し団長までやった経験があり、アマチュアオーケストラ運営の苦労談も織り交ぜながら事務局の皆様と懇談させていただきました。

日立交響楽団の益々のご発展をお祈りします。関係の皆様どうもありがとうございました。

社歌35-01海に寄せる3楽章-1-1 社歌35-01海に寄せる3楽章-1-2

 

マンドリン/ギター専門店「イケガク社」との交流

マンドリン楽譜の整理もある程度落ち着いたので、先日都内のマンドリン専門の楽器店「イケガク社」にお邪魔し、本ホームページの開設のご報告と今後の譜面等の情報共有のお願いをしてまいりました。
イケガク社社長の堀ノ江様にもご了解いただき、まずは本ホームページからリンクを貼らせて頂くことにもご快諾頂きました。
ということで、早速当ホームページ右側の「ブックマーク」に登録させていただきました。

服部正も大変懇意にさせていただいた楽器店でもあり、今でも全国のマンドリン愛好家にとって頼もしい存在でいらっしゃいます。
小生も学生の頃何回かお邪魔致しました。(とは言うものの小生はマンドリンクラブ在籍中は管楽器奏者だったので、残念ながら直接のお取引はございませんでした。)

イケガク社様、今後ともよろしくお願いいたします。

 

DTM作業開始、奮戦中!

DTMとは「Desk Top Music」の略であり、要するにパソコンで音楽を作ったり演奏する方法です。
実は服部正の夥しい作品譜面を、特に古い管弦楽曲等をとりあえずは音に出してみようという試みに着手しました。特にオーケストラ曲となるとプロは当然、アマチュアでもなかなか演奏して頂くようなシチュエーションには持っていく事が困難なので、一人で出来るDTMで曲の具現化をしてみようという事で、まずは服部正の出世作「西風にひらめく旗」に挑戦してみることにしました。昭和一桁の頃の作品がコンクールで入賞した、ということを思うと、当時はどんな判断基準で評価されたのかが非常に興味があり、この曲を選びました。
早速始めましたが、まずパソコンソフトの設定作業に丸一日かかりました。オーケストラのパートはこの曲でも20段の譜面が必要であり、それぞれのパートの音色、移調楽器(クラリネットやトランペットのように譜面と実際の音が違う楽器)の調整、弦楽器もピチカート、トレモロで別パートを作ったり等で音符を入れるところまでなかなかたどり着きません。
やっと2日目に音を入れ始めたものの、ソフトのオペレーションをかなり忘れてしまったのでなかなか効率的に出来ず、自筆譜1ページ分の音符を入力するのにこれも又丸一日かかってしまいました。この曲は自筆譜として71ページ分あるので、単純に計算しても3か月近くかかってしまうし、そんなに毎日続けられないので、これはかなり根気のいる仕事を始めてしまった、と若干躊躇し始めています。
ただ、この曲はともかく、ほかのちょっとした曲でも作ってみて、このホームページでもご紹介できれば、との希望もあるので、粘り強く進めて行こうと思います。

この写真は作業環境です。鍵盤型のキーボードは使わず、マウス入力が中心となります。
本物の自筆譜を横に置くと80年前の埃がまた飛び散りそうなので、PDF化したデータから必要な部分を都度プリントアウトして対応しています。

譜面整理奮闘中!

会社退職後、本格的に館長としての活動を始めるにあたり、まずは中途半端だった譜面の整理をし始めましたが、これが結構大変な事になってしまいました。
今までとりあえず服部正本人の作曲作品はそこそこ整理ができていたので、まずはクラシック音楽のマンドリン編曲譜の整理にとりかかりましたが、結構膨大な数にわたり、しかも戦前の埃のかぶった譜面がいくつも出現し狭い小生の仕事場の空気環境が悪化し、そのせいか丸一日半風邪で寝込んでしまいました。とはいうものの何とかクラシック音楽は整理できました。
面倒だったのは同じ曲でも数種類の譜面が見つかり、全く同じなのか違う場合作った年代はいつごろかという判断をするのに余計な時間がかかったこと、違う保管袋から整理済みの曲が出てきたりしたことで混乱する等、かなりシビアな仕事でした。下の写真は「サン=サーンス作曲白鳥」の2種の譜面ですが、明らかに作った年代は違うのですが中の譜面の構成は非常によく似ています。
「以前編曲したものが気に入らなく作り直したのか、前の譜面を探す時間よりももう一度編曲しなおした方が早いと思ったのか」とか考えてしまいますが、父の性格からすると後者のような気がします、、、。

北日本銀行殿行歌譜の贈呈

贈呈行脚ご紹介の順序が前後してしまいましたが、本年2月に岩手県盛岡市の北日本銀行殿にお邪魔致しました。初めて「はやぶさ」に乗りましたが、遠さを感じませんでした。
盛岡の2月はとても寒いのでは、とかなり覚悟をして出かけましたが、前日に多少雪が降ったもののそれほどの寒さは感じられませんでした。
通された応接室でお待ちする間もなく頭取が直々に応接に入ってこられ、少々緊張してしまいました。
今でも行歌をご愛用頂いているとの事で大変恐縮してしまいましたが、他の応接に額に入れて飾ってある行歌のコピーを見せて頂き更に感動してしまいました。まさに当日お持ちした直筆譜そのもののコピーであり、その原本をお渡し出来た事は大変うれしく思いました。
この銀行がもともと「興産相互銀行」と言う名の銀行だった時代に行歌の作曲を父にご依頼されたとの事ですが、その後「北日本相互銀行」そして今の「北日本銀行」と変遷するたびにわざわざご連絡を頂き、行名変更に伴う歌詞変更のご了解を都度お願い頂いていたとの事で、それだけ長くごひいきに頂けるのは大変ありがたいことです。
終了後岩手自慢のお食事も頂くことができ、寒い季節に伺ったにもかかわらず大変暖かいおもてなしをお受けすることができました。

頭取を始めとする銀行の皆様、本当にありがとうございました。

北日本銀行行歌(右は当初ご依頼頂いた時の「興産相互銀行」時代の譜面表紙)

JR西日本岩徳線乗車記

 日立の笠戸工場に伺う際に、本来ならば「新幹線徳山駅」から山陽本線の下松駅に行くのが一般的ですが、小生は「鉄ちゃん」だけでなく未踏の「空港」にも興味を持っていたので「岩国空港」から「岩徳線」経由で伺う事にしました。
 岩国空港は米軍基地、自衛隊基地の端っこの方に民間機用のスペースを作ったような構図になっています。民間機が往来するたびに滑走路との接続ゲートを開け閉めする珍しい光景が見られます。
 岩徳線は岩国駅から1~2両編成のディーゼルカーで徳山に向って山沿いに進んでいくローカル線ですが、本線である山陽本線よりも徳山までの距離が短く、とはいいながら時間はたっぷりかかり本数も少ないので一気通貫で徳山に行く人で岩徳線を使う人はこういった鉄ちゃんしかいないのでは、と思います。
 本数が少ないので学校の下校時刻と重なると1本の列車に学生がすし詰め状態になり、とても景色を楽しむような雰囲気ではなくなってしまいます。
 岩国からしばらくは山間をゴトゴト走っていますが、徳山に近くなるにつれ平坦になり、山陽新幹線とも併走する区間があり、瀬戸内海がみえる頃山陽本線との合流駅「櫛ヶ浜駅」に着きました。たっぷり1時間以上の旅でしたが、山陽本線を使うと距離は長いものの10分程度短い時間で到着するようです。学校の登下校時間を避ければまったりとした旅が楽しめる岩徳線でした。

櫛ヶ浜駅での岩徳線列車。

 

日立笠戸工場歌

「笠戸」という地名をご存知の方は相当の「通」でしょう。
 日立の笠戸工場というのは日立製作所が持っている生産拠点としての日本国内最西端にあたる事業所です。服部正はその工場歌をどうも1973年前後に作曲したようです。
 譜面は残っているのですが作曲した年月日が記載されておらず、同時に作られたと思われる17cmレコードの歌詞カードの隅っこに「73.4」と小さく書かれているので想定しております。
この笠戸事業所は今や日立の中では最も活気のある事業所の一つであり、それは国内だけでなく海外のいわゆる「電車」を作っている事業所です。鉄道ファンの自分としては、この事業所を訪れるのを心待ちにしており、自分の定年退職の直前にセットアップさせていただきました。
 先方の総務関係の方にご対応いただきましたが、本当にお忙しい中を1~2時間お付き合い頂きました。
 内外問わず日立のお客様でも「鉄ちゃん」は少なからず存在し、その「鉄ちゃん」にとってみるとこの笠戸事業所は憧れの的となっているようであり、工場の総務の皆様もお客様の視察対応がひっきりなしにくるため、大変お忙しいようです。(小生もはっきり言って業務に支障を与えてしまったのではと反省しています。)
 譜面を差し上げた後イギリスの鉄道や東京メトロの車両が並んでいる事業所内をご案内頂きました。実は2回目の訪問でしたが、何度行っても感動は変わりません。
本当にお忙しい中、笠戸事業所の総務の皆様、ありがとうございました。

 

定年退職-資料館への傾注!

私事で恐縮ですが、昨日(2015年8月31日)会社を定年退職致しました。
退職にあたりお客様、社内の様々な方から送別のイベントや品々を頂戴いたしました。
その送別会等でこの「資料館」について大変期待しているとの過分なお言葉も頂戴し、正直相当プレッシャーを感じています。
もう「仕事が忙しいからアップがなかなか出来ない」という言い訳が一切言えなくなりました(!?)
今後更に資料館の充実と直筆譜面寄贈の旅の実行にいそしんで参りたいと決意を新たに致しました。

就業中にお世話になりましたお客様、社内の皆様、そして何よりも小生を支えていただいた小生が所属していた本部の皆様に心より御礼を申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

最終日に頂戴した花です。胡蝶蘭は家内宛に贈られてきました。

高校野球

今、夏の甲子園大会が真っ盛りです。
まずは最初の試合で必ず2回の攻撃で各校の校歌が流れます。
今回は野球部員の尽力と皆様のご声援で今日も勝ち進んだ学校の校歌が父の作品です。
残念ながらこの校歌の直筆譜は見つかりませんでしたが、愛着感は格別にあります。
やはり勝どきを得た学校の校歌が流れるとき、父の作品であると感慨もひとしおです。

がんばれ!仙台育英高校!もう2回甲子園で校歌を流してください