コンサート来場への御礼

昨日東京オペラシティで慶応義塾マンドリンクラブ三田会の第5回定期演奏会がつつがなく終了しました。ご来場いただきました方々には心より御礼申し上げます。

今回は本演奏会のスタッフの皆様のご厚意で「服部正の世界」と銘打って作曲、編曲のナンバーを演奏して頂きました。特に「絵本街景色」は戦前の野心作であり、1968年に大幅改変をしたものの、その後全く演奏されなかったのですが昨日陽の目を見る事が実現できました。
手島由紀子さんのソプラノ、「わをん」合唱団の皆様のご協力により素晴らしい演奏となりました。
その他に手島由紀子さんが「遠い熊野の」「野の羊」を歌って下さり、マンドリンオリジナル曲(服部正加筆)、スッペ、ヨハン・シュトラウス、エネスクの名曲(服部正マンドリン編曲)の演奏をし、会場の皆様からも大きな拍手を頂きました。

慶応義塾マンドリンクラブ三田会のスタッフの皆様、そして演奏して頂いたOBの皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。

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7/24演奏会ステージリハーサルの前の状況。(団員撮影)
パイプオルガンの前に服部正の巨大な写真を飾っていただきました。

服部正と新交響楽団(現NHK交響楽団)

服部正が就職後40日で会社を辞め音楽の道に入りましたが、当初はアレンジ等の仕事が中心でありなかなか大舞台に立つまでには至りませんでした。
そのうち交友関係が広がりNHKのラジオでの仕事もぽつぽつ入り始めた頃に当時の「新交響楽団(現NHK交響楽団)」で指揮をするチャンスに巡り合え、その後演奏会でも指揮をすることに繋がっていきました。

最初の舞台での新交響楽団の演奏会は1934年(昭和9年)12月24日、日比谷公会堂で「プロムナードコンサート第4回」と銘打った演奏会でした。その時はL.モーツァルトの「おもちゃの交響曲」(現在では「アンゲラー」というオーストリアの作曲家が作ったとされている説が有力とか)、チャイコフスキーのくるみ割り人形組曲の他、自身が作った「音楽の花束」、堀内敬三氏の「行進曲『リズムに乗って』」が演奏されたとNHK交響楽団の記録には記されています。

その後のデータは以下の通りです。

1935年6月3日 日本青年館 太田綾子独唱日本歌曲新作演奏会(*)
1936年4月15日 日比谷公会堂 服部正作曲指揮管弦楽演奏会
1938年6月30日 日比谷公会堂 音楽と映画の会(*)
1945年10月4日 日比谷公会堂 厚生事業資金醵集のための日響演奏会

(*)服部正以外にも複数指揮者登場

この中で1936年の演奏会が服部正一世一代の作曲家リサイタルという演奏会でした。ここに「『西風にひらめく旗』を含む旗三部作」、「絵本街景色(管弦楽版)」が取り上げられています。

当時の新交響楽団は指揮者に近衛秀麿氏や山田耕筰氏を擁し、外国からローゼンストック氏等を招聘する、まさにエリート音楽集団でした。
NHK交響楽団のホームページに過去演奏会のデータが残っておりますので関心を持たれた方はご覧ください。

以下はその1936年の演奏会のデータです。

N響演奏会記録01

演奏会のご案内(リマインダー)

先日服部正の作品を中心とした演奏会のご案内をこちらでさせていただきました。

いよいよ来週が本番当日になります。
(7/24(日)14:00 東京オペラシティ タケミツメモリアルホール)

最後の練習に向け今日も終日取り組んで参りました。
服部正オリジナルの「繪本街景色」もそれなりの仕上がりに近づいて参りました。
手島由紀子さんの美しいソプラノによる「遠い熊野の」と「野の羊」もさわやかな出来栄えになって参りました。私が出演しない他の曲も順調な仕上がり状態と聞いております。
下の写真は過日の練習風景です。(自分の演奏位置からコソッと撮りました。)

繪本練習風景01

チケットもまだ入手可能です。
是非お誘いあわせの上ご来場ください。

 

 

株式会社キンカン殿「キンカンテーマソング」直筆譜面の寄贈

以前「『キンカン』のCMソングを覚えていらっしゃいますか?」という題でここのページに載せさせて頂きましたが、今回縁あって直接ご訪問する機会に恵まれました。

東京都内が猛暑のお昼に株式会社「キンカン」にお伺いしました。
実は以前世田谷区立駒留中学校をご訪問した際、そこでお会いした同窓会長の方がこのキンカン社の幹部の方をよくご存知なので仲立ちをして頂き、この面会が成立致しました。
というのも「キンカン」ご本社がこの駒留中学校のすぐそばにあったので人縁、地縁でつながった次第です。(同窓会長様、ありがとうございました。)

今回わざわざキンカン社会長がお時間を割いて頂きご対応頂きましたが、このテーマソングを作るにあたり服部正にも面談されたと言うお話も聞き、お会いして開口一番「似てらっしゃるね!」という会長のお話から一気に打ち解けた雰囲気になりました。
そもそも先代のお知り合いの藤浦洸先生との会話でCMソング誕生に至り、その藤浦先生が同じ慶応後輩の服部正に作曲を依頼した(というかほとんど「指示」ではなかったかという雰囲気)そうです。

キンカンの歌03 キンカンの歌04

譜面の他に作詞者の「藤浦洸」先生から服部正宛に歌詞の直筆の原稿とメモが書かれた文書も発見出来たので、それもお渡ししました。
非常に興味深いのは原稿用紙に「藤浦洸」と印刷されており、歌詞の最後に下記のコメントが書かれておりました。
「最後のリフレインは「昔のわらべうた」のをとりました。調子がいいし理屈なく面白いとおもふ」

昔はこんなやりとりをしていたんですね。

会長様、ご同席頂いた幹部の方々、大変ありがとうございました。

社歌11-14キンカンテーマソング05-1
社歌11-14キンカンテーマソング05-3

※ この「ミカンキンカンサケノカン」という部分は大分県の童歌で「カン」とつく言葉遊びの歌だそうです。原曲は以下の歌詞です。

「蜜柑 金柑 酒の燗、子供に羊羹  やら 泣かん
親が折檻  子は聞かん、田舎のねえちゃん  気が利かん
相撲とりゃ裸で 風邪ひかん」

なかなか洒落た歌詞ですね。
キンカンのCMソングの「嫁児持たせにゃ働かん」というのは藤浦洸先生のオリジナルのようですが、これも言い得て妙ですね。

板橋区立板橋第二中学校校歌譜面の寄贈

東武東上線の各駅停車で池袋からほどなく大山駅に到着しました。降りると有名な商店街が目の前に現れました。
これから行く中学校は残念ながらそのアーケードを通らないので小雨の中傘をさして歩き始めました。

10分もかからない所に板橋第二中学校はありました。
比較的最近改築したらしく、門も校舎も大変綺麗な学校でした。
残念ながら校長先生はご不在でしたが、副校長先生にご対応頂きました。
今回はちょっと意外で面白い贈呈物となりました。

まず通常の手書きの校歌の譜面です。

校歌20板橋第二中学校01-1ピアノ伴奏譜表紙

普通はピアノ伴奏と歌の譜面ですが、今回はそれだけでなく何とマンドリンアンサンブルによる伴奏譜も別に存在し、それも贈呈してまいりました。なぜオーケストラアンサンブルでなくマンドリンアンサンブルにしたのかは全く不明です。

校歌20板橋第二中学校02-2マンドリン伴奏譜

そして驚いた事に、この校歌が録音されたソノシートも遺品の中にありました。

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この校歌は昭和25年(1950年)に制定されたとの記録が学校のホームページに残されており、恐らくこのソノシートの作成もそれからあまり経っていない時のものと思われます。少なくとも5~60年以上前の録音ですが、演奏しているのがこの中学校の吹奏楽団とコーラス部の皆さんです。当時のこの学校の生徒の声が聴けるのは極めて珍しいのではと思います。

ただ、大変残念なのが、相変わらず保管状態の悪い服部正の遺品のためソノシートがよれよれになっており、小生のレコードプレーヤーでは針圧が軽すぎ針飛びばかりし、折角の肉声がほとんど聞けませんでした。一時期重石をのせて平坦にさせようと努力しましたが、結局それ以上の年月でいい加減な保管をしていた状態に勝てるわけが無く、そういういわくつきで贈呈し「何とか音源を復帰させてみてください。」と頭を下げてお願いしてまいりました。

ここで歌ってたり伴奏していた皆さんは恐らくもう60代後半から70代になった方でしょう。覚えていらっしゃる方、ぜひ学校に連絡してみてはいかがでしょうか?

演奏会のご案内(服部正の作品)

7月の末日に服部正が育ち育てた慶応義塾マンドリンクラブのOB、OGによる演奏会が行われます。
今回は「服部正」に焦点を当て、作曲、および編曲をした曲ばかりを演奏する予定です。
このホームページにて取り上げた「繪本街景色」、「野の羊」もご披露する事になりました。
特に「繪本街景色」はここしばらく取り上げられてなく、手島由紀子さんのソプラノ、「わをん」合唱団のご支援を受けての上演となります。
クラシックナンバーの編曲も用意されており、是非お誘い合わせの上ご来場下さい。

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7/24(日)14:00開演(開場13:30)
東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(京王新線初台駅)
全席自由席 (前売り券1,500円、当日券2,000円)
購入先:東京オペラシティチケットセンター(03-5353-0779)
又は慶応義塾マンドリンクラブ三田会事務局(03-5551-6341 西山)

尚、当HPに「問い合わせページ」を作りましたので、チケットについてこちらからお問い合わせ頂いても結構です。

全席自由なので複数名様でお越しの際はお早めにご来場いただいた方がよろしいかと存じます。

余談:不肖ながら小生も出演のはこびとなりました。

府中市立若松小学校校歌譜贈呈

府中市は最近たくさんのマンション等が立ち並び、都心に通う人びとが多数お住まいです。そうなると当然お子様もそれなりに多くいらっしゃり、学校も結構多く存在しているようです。

服部正は、手元の保存譜面を見る限りでは府中市の中で2つの小学校、1つの中学校の校歌を作曲しておりました。今回は若松小学校という学校を訪れました。

駅でいうと「東府中駅」であり、ここには「府中の森芸術劇場」という比較的新しく綺麗なホールがあり、私も一度地元のアマチュアオーケストラの演奏会に行った事がありました。
そのホールからそれほど遠くない所に若松小学校がありました。
伺った時残念ながら校長先生はご不在でしたが副校長先生にご対応頂きました。

ちょうど休み時間にお邪魔したので子供たちの明るい声や、生徒と話す先生の颯爽とした声を横で聞きながら校長室でお話しました。
最近国立音楽大学の学生さんたちが学校を訪れ、その時に校歌を歌って頂いた時の映像があったので見せていただきました。元気な声で歌う子供たち、そして訪れた学生さんも見事なハーモニーだけでなく、校歌を「暗譜(譜面を見ずに歌う)」で歌っていらっしゃったのが素晴らしく感動致しました。
副校長先生は「ここの校歌は1番しかないのが珍しいと思っています。」とおっしゃってました。確かに直前に伺った佐倉根郷小学校は5番まであったので、いろいろと学校によってちがうんだな、という事を感じました。

副校長先生、ありがとうございました。

校歌06若松小学校01

佐倉根郷小学校校歌譜面寄贈

久しぶりに朝のラッシュ時の電車に乗り、東京駅を過ぎた頃から少しずつ乗客が減り、品川駅から約1時間で佐倉駅に到着しました。
教頭先生が駅でお迎え頂き、車に乗って佐倉根郷小学校に向いました。
昔佐倉付近は車で通ったことはありましたが駅で降りたのは初めてであり、車窓を見てもかなり住宅地が広がり首都圏のベッドタウンとして発展していることがよくわかりました。

ほどなく小学校に着き、校長先生に御挨拶させていただきました。
まずびっくりしたのは校長室に歴代の校長先生の写真が貼られているのですが、その数の多いこと!
この小学校は明治5年がそもそもの創設であり、何と144年もの歴史がある小学校であり、そうなれば当然歴代の校長先生の数もおのずと多くなります。
校歌は昭和22年(1947年)戦後直後、佐倉根郷小学校という名前に改名した直後に作曲されたとの事であり、また昭和60年に「生徒の歌」という曲も服部正が作りました。
普通は校歌を作曲したらそれでお役御免となるところですが、40年近く経った後で同じ小学校に曲を納めたという事について経緯をお伺いしようと思いましたが、現状ではいきさつは不明との事で、ちょっとしたミステリーになりました。(何と作詞も服部正なので、それだけ思い入れがあったのかもしれず、ますます不思議な気持ちになりました。)

ちょうど月1回の全校集会があり、校歌が歌われるとの事で同席させていただき、ちょっとしたセレモニーまでして頂きました。
校長先生も「戦後直後に出来た校歌というのは珍しく、佐倉市はもちろん、千葉県でも最も古い現存している小学校校歌かもしれませんね!」とおっしゃり、今回の譜面寄贈についても大変お喜び頂きました。ただ今回お持ちした譜面は70年近く前に作曲したにしては保存状態が良いので、ひょっとしたら「生徒の歌」を作曲した時に再度譜面を書き直したのかもしれません。(これもミステリー?)

生徒の皆さんも元気で大きな声で校歌を歌って頂き、大変良い気持ちで帰途につきました。

校長先生、教頭先生、関係の皆様、本当にありがとうございました。

校歌09佐倉根郷小学校01 校歌10佐倉根郷小学校生徒01

「校歌」と作曲経緯がミステリーの「生徒の歌」

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体育館での校歌の掲示。(5番まであります。)

世田谷区立駒留中学校校歌直筆譜の贈呈

久しぶりに学校の校歌の譜面をお届けする機会に巡り合いました。
自宅からほどないところにあるバス停に行き、世田谷区方面に行くバスに乗車、2~30分で目的地のバス停に到着しました。バスなのでかなり保険をかけて早めに家を出たのですが、思ったよりもスムーズに行き、多少時間が出来たので目指す駒留中学校の近隣にあった「世田谷観音」という仏閣にちょっと立ち寄りました。閑静な住宅街にある中でもさらに静かな佇まいを持った癒されるスポットでした。が、近くから若くて大きな声が響いてきました。
そうなのです。今日お邪魔する駒留中学校は「運動会」当日であり、閉会式で校歌も歌われるので校長先生の計らいで「そのタイミングで是非」とのご招待を受けました。
世田谷観音からすぐに駒留中学校があり、おりしも閉会式に入ろうとしていたタイミングでした。来賓席に招かれ、校長先生と御挨拶しちょっと気後れしながら着席しました。
思えば「運動会」の来賓席なぞ生徒の頃から自分には無縁の場所と思っていたので、非常に落ち着きにくい気持ちの中で校長先生から丁重なご紹介を受けながら校歌を拝聴しました。
どうも生徒の皆さんには事前に訪問の話が伝わっていたらしく「しっかり歌え」的なプレッシャーがかかっていたらしいのですが、そんなことをあまり感じさせずとても元気が良くのびのびとした気持ちの良い歌声を3番まで聞くことができ、大変感動しました。

運動会終了後校長室で譜面をお渡しし、同窓会長様も同席して頂きささやかながら談話させていただきました。この土地は周囲に集合住宅が少なく、この学校出身者が引き続き居住してそのお子様も同じ学校に通っている方も少なくないという、東京23区では独特な環境である事もお聞きしました。
その後会長様が近くのバス停まで送っていただくことになったのですが、何と学校に来る前に立寄った「世田谷観音」の執事様でいらっしゃり、再度観音様に立ち寄りもう一度癒されて帰途につきました。

校長先生、同窓会会長様、本当にありがとうございました。

校歌35駒留中学校01 校歌35駒留中学校02

今回は私のスマホで撮った世田谷観音の写真も掲載します。

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服部正の教鞭(国立音楽大学)

服部正は一時期国立(くにたち)音楽大学の教授として教鞭をとっていたことがありました。
考えてみれば一般大学しか出ていない人間が、音楽大学の教授にまでなるというのはなかなか例が無いかもしれません。
残念ながら詳しい大学時代の教鞭状況は聞くに至りませんでしたが、専門は作曲よりも「管弦楽法」だったようです。
その時の教材としての本が、「ウォルター・ピストン」というアメリカの作曲家が著した「管弦楽法」です。
自宅解体の際にあまりにも書籍の類が多くかなり処分してしまいましたが、この本は「クラシックファン」であれば結構面白い内容でそのまま残し拝借してしまいました。
オーケストラの楽器別に古今の作曲家がどのようにその楽器を引き立たせた使い方をしたか、とか具体的に譜面まで載せて説明しており、やはり一般大学を出た私も思わず読み込んでしまいました。

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管弦楽法02

ところで、服部正はどんな授業をしていたのでしょうか?
週に1~2回玉川上水までカバンを引っ提げて出かけていきました。時々授業で使う、といってレコードを持っていきましたが、当時は私もそれなりにLPレコードをコレクターとして所蔵していたので、「ストラヴィンスキーの『火の鳥』のレコードあったら貸してくれないか?」とか頼まれた事もありました。(返された時に、「この演奏なかなか良いね」と言われて嬉しくなった事もありました。)勿論ピアノは弾かない(弾けない?)のでレコードを聞かせながら講義をするというイメージだったのでしょう。ここのところは本人もあまり話をせず、想定ですが。
科目自体はいわゆる「単位稼ぎ」が出来る科目として学生からはそこそこ評判は悪くなかったらしく、一度テストの採点をしている所を覗いてしまいましたが(本人が「見るか?」と言って呼ばれたので、、、)落第点は全くと言って無くほとんどがAかBでした。
いわゆる「甘い」先生だったようです。

(テストの採点を覗く等、ある意味非常に由々しき事ですが、もう時効と思ってご勘弁下さい!)