「デッサン(Dessin)」90年振り陽の目

B-one演奏会のご案内

以前服部正の「斑蝶」を演奏して頂いたB-one絃楽合奏団が、この度12月に大阪にて演奏会を開催し、またもや服部正の作品を発掘していただき演奏して頂くことになりました。
演奏される曲は「Dessin(デッサン)」という曲で、残念ながら当館では譜面は見つかりませんでした。

絃楽合奏団 B-one 第16回演奏会のご案内チラシ

この「デッサン」と言う曲は慶應義塾マンドリンクラブ第37回定期演奏会(1931年11月16日)に初演されました。しかしながらその後は慶應の演奏会には登場してこなかったようです。
ところがその翌年の1932年に同志社大学マンドリンクラブがこの曲を定期演奏会に取り上げていただいたそうです。今回B-oneにて演奏頂く譜面も恐らくこの「同志社ライン」での調達と思われ、敬意を表したいと思います。当日は服部正の師である菅原明朗氏の弟子である「西田直道氏」が指揮を執ったとB-oneの今回のデッサンの指揮を執って頂く辻本氏からご教授頂きました。多分菅原先生からのお薦めでもあったのかもしれません。

昭和6年(1931年)服部正の個人日記

実は服部正が書いていた日記に、この初演当日の日の書き込みがありました。
これが実に興味深い一節が書いてありました。
「11月16日
 第37回の演奏会。感謝がある。
 菅原、武井両氏を迎える(菅原明朗氏、武井守成氏の事と推測)
 ああ、僕もこれで6回目の音楽会(第32回が初指揮者としてデビュー)
 実に慶應のために何かをしたと自信した。これはうぬぼれではない。」
 ここまでは何となく前向きなトーンでした。
ところが後半は雰囲気が全く変わりました。
「僕の曲(デッサンの事)はつまらなかった。
 ファルボ、ストラヴィンスキー、ミラネージは大失敗(当日の曲の作曲者)
 後で明朗達とお茶を飲む。楽しい、苦い思いで」

まず「大失敗」に上げられた3人の曲でも「ストラヴィンスキー」は当日来られていた菅原先生の編曲によるものであり、最後の「苦い思いで」の背景には先生の編曲作品がうまくいかなかった事にあるのではと思われます。
そして肝心の「デッサン」についても自作を酷評しており、譜面がこちらに残っていなかったこと、その後の慶應の演奏会に取り上げられなかったのも、何となく「気が進まなかった」ような気持が心のどこかにあったのでは、と思います。

そんな「デッサン」に89年振りに陽を当てていただきましたB-one絃楽合奏団の皆様、指揮をお執り頂く辻本様に心より感謝を申し上げたいと存じます。

このコロナ禍で演奏会開催もままならぬ中ですが、もし関西地区の皆様でご関心がある方はいかがでしょうか?
当日は服部正がKMCでもよく好んで取り上げていた「ボッタキアリ 交響的前奏曲」もやられるそうです。
絃楽合奏団B-oneホームページ

館長
1955年 服部正の長男として東京で生まれた。                     1978年 慶応義塾大学卒業(高校よりマンドリンクラブにてフルート担当)        同年    某大手電機メーカーに入社(営業業務担当)                  2015年 某大手電機メーカーグループ会社を定年退職                  現在 当館館長として「服部正」普及活動従事       

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください