以前「西風にひらめく旗」をご紹介し、この曲がコンクールで2位を取った事も記載致しました。
その後「旗の子守歌」「祭の旗」という曲を相次いで作曲しました。そして「西風にひらめく旗」を含めこの「旗3部作(正式には『旗に寄する3部作』)」が完成し、服部正の生涯一度のリサイタルにて初演されました。
このリサイタルは1936年(昭和11年)4月15日、日比谷公会堂で行われましたが、同年2月に「二二六事件」が起こる等何となく日本も不安定な状況に陥る時期でした。
「旗の子守歌」直筆譜
「祭の旗」直筆譜
服部正はこの頃28歳という血気盛んな頃で、人生初のリサイタルに向け様々な準備をしている中で、作曲が進められていきました。
子守歌はシンフォニーで言えば緩徐楽章的なイメージのゆっくりとした曲で、祭の方は名前のイメージ通り賑やかな曲に仕上げられていました。
そしてリサイタルは滞りなく行われ、来場客も服部正に賛辞を贈る等そこそこ成功だったと自著では記録されています。
しかしその自著によると「どうもピンとこない」という表現をしており、自分の関係者が聴衆に多かったからそれなりの評価になったものの、無関係の人が聴いてもきっと面白いわけがない、という気持ちになったようです。
要するに「もっとお客の喜ぶもの、楽しむものを書くべきである」というような意識になったようです。
従ってこれら2曲は服部正の野心的作曲活動のいわば最後の作品であり、このリサイタルを機に服部正の作風は大幅に変わっていくことになったのです。
本2曲は勿論このリサイタルが初演ですが、「最初で最後」と言う事になってしまったようです。
その後服部正の作品は殆どが「委託作品」や「名曲編曲」であり、自らの野心的作品としては「慶應義塾マンドリンクラブのために作った曲」しか残っていきませんでした。それも新しい作風として「明るく分かりやすい曲想」に変貌していったのです。
服部正の音楽生活の大きな転機の時の作品として譜面だけは残っておりますが、恐らく今後も演奏されることは無いでしょう。