服部正関連 テレビ放映ご紹介

ここ数週間にて複数メディアから写真等の提供依頼を受けました。
近々放映予定なので、まとめてご案内致します。

4/12(水)23:00~
NHK総合 「天然素材 NHK」
「あなたのメロディ」(審査員として継続出演)
1969年6月に放映された同番組のご紹介

4/14(金)22:00~
BSフジ 「ビルぶら!レトロ探訪」
昭和時代レトロビル探訪にて秋葉原ラジオセンターにて「ソニー坊や」の紹介

「あなたのメロディ」は音楽好きの一般視聴者が自ら歌を作詞作曲し応募、番組でプロの歌手に歌ってもらい、当時の作曲家、作詞家から評価を頂き優秀作品をアンコール演奏すると言うものでした。
当時は審査員の作曲家として服部正、作詞家として高木東六氏がほぼ毎回出演していたと覚えております。
(服部正はこの番組の事を「アナメロ」と呼んでました。)


「ソニー坊や」は戦後の復興時にテレビが普及し始めたころ、ソニーCMにて流れていたようで、秋葉原ラジオセンターには当時を回顧するスペースもあるとのことです。(この番組のガイド役はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にて一世を風靡した「アサシン善治役」の梶原善氏だそうです。)

どちらも夜分遅めの放映で、恐らく「服部正」として流れるとしても一瞬かもしれませんが、お時間がございましたら是非ご覧頂ければと思い、ご紹介させていただきました。

服部正の幻の秘蔵作品 公式公開!?

毎年開催されている慶応義塾マンドリンクラブ(KMC)の部内演奏会というローカルなコンサートにて、服部正の恐らく正式には公開されていない作品を演奏する事に致しました。この演奏会はKMC OBOGがアンサンブルをそれぞれ編成し演奏し合うイベントです。

曲は「ボヘミア旋律によるフルート、オーボエ、クラリネットのための狂詩曲」という、題名からは何となく堅苦しそうなイメージが湧いてきますが、皆さん良くご存知の「気のいいアヒル」という歌のメロディを変奏曲風に服部正が作った曲です。
作曲されたのは1975年10月で、服部正としては珍しい「木管楽器」にスポットをあてた曲となっています。
編成はソロ・フルート、ソロ・オーボエ、ソロ・クラリネットがこの曲のメロディを様々なパターンで演奏、伴奏には「弦楽合奏+リズム打楽器+ピアノ」という譜面と、単純に「ソロ3楽器とピアノ」だけ、という譜面の2種類を服部正は作っておりました。

そもそも何のためにこの作品が作られたか、これは何も情報が残っておりません。
雰囲気的に当時服部正が力を入れていた「グレースノーツ」という女性ばかりのオーケストラ用に作った事はほぼ間違いないと思われます。
しかしながら録音の痕跡はなく、演奏会でやったのかどうかも不明で、仮にグレースノーツでやっていたらそれぞれのパート譜も残っているはずですが、それもありません。
この譜面は過去小生宅には無く別の方にアーカイブして頂いた中にあり、一昨年返却を頂き発見致しました。

想定としては、当時グレースノーツは地方や企業からイベント開催の時の出し物として呼ばれていったことも多く、その中でこの楽団の管楽器奏者の「腕前ご披露」的位置づけで演奏された可能性が高いのではと思われます。
このグレースノーツは、そもそもが音楽大学の女性楽器奏者が当時卒業後音楽をやる仕事につけないという事で服部正はこの楽団を作ったのですが、当然音大卒の女性管楽器奏者もかなりレベルは高く、この曲も結構ソリストに厳しい要求をしております。

実にほぼ50年振りにこの曲をKMC三田会の管楽器メンバーでこの度部内演奏会にて再演する事に致しました。編成はフルートとクラリネットだけの6重奏で、ソロはオーボエを2番フルートに対応して頂き再現致します。
全曲で5~6分の比較的短い曲ですが、テーマを様々なバリエーションで最後に向かって盛り上がっていく様は服部正らしい展開です。(他にも一般曲2曲演奏予定)

服部正がこの曲を書いた年齢(67歳)になった私がこの曲を演奏するのも何か運命的なものもありますが、果たしてどんな演奏になるか、皆様にもまたご報告いたします。(ご報告もできないようなひどい演奏にならないように、自らにプレッシャーをかけてます!!)

*部内演奏会は2/23(木・天皇誕生日)新宿区 角筈ホールで午後13時開演予定だそうです。

京都府立医科大学 学歌譜面寄贈

ここのところ感染症の影響で長い間「校歌」「社歌」の類についての寄贈活動は控えておりましたが、この度京都府立医科大学にお邪魔し、学歌の直筆譜の贈呈をして参りました。
本件、ちょうど2年前の10月に当館に大学の方から問い合わせを受けご対応をした事から、その後本学が創立150周年というおめでたい年に、この学歌の作曲者の親族として祝典イベントにお招きを受けたのですが、どうしても当日に東京から移動できない状況にあり大変申し訳ない中、事前にご訪問し寄贈をさせて頂きました。

当日はあいにくの雨の中、感染症もやや減少傾向で旅行客が増加している京都駅からタクシーで約20分、目的の府立医科大学に到着、威厳のある本部校舎の入り口にて関係幹部の方にお迎え頂きました。
早速応接室にご案内頂き、学長様、そして付属病院の院長様をはじめとし、この学歌についての関係の皆様とご挨拶させて頂き、直筆譜を贈呈致しました。

京都府立医科大学 竹中学長に服部正直筆譜の贈呈

この学歌については以前当館でもご紹介した通り長い月日の間に歌われ方が違うとの事で学内で長く論議されており、たまたま当館の「校歌、社歌ご紹介」の一連でアップした記事を見つけられ、長年の懸案事項の解決に大きな一歩となった事をご紹介しましたが、当時細かなご対応を頂いた関係の方にもお会いする事が出来ました。

医科大学の幹部という要職の方々とお会いするのはなかなか機会が無く当初は相当緊張しておりましたが、皆様の暖かいお気持ち、アットホームな雰囲気に囲まれとても有意義な時間を過ごすことが出来ました。

京都府立医科大学学歌 自筆譜
(紀元2600年とは昭和15年(1940年))

お聞きする限り専門の医学の勉学、研究の傍らオーケストラ等の音楽の活動にも積極的に参加され、そういった環境の中でこの学歌の歌われ方についても独特の視点で問題提起から解決に向けたご尽力は誠に頭が下がる思いです。
そもそも音楽に対するリテラシーの高さも素晴らしい物があった事を再認識致しました。

11月にこの創立150周年の記念式典が行われるとの事ですが盛会である事をお祈りするとともに、これからも京都府立医科大学の益々のご隆盛と関係の皆様のご健勝を祈念申し上げます。

この度は大変お世話になりました。ありがとうございました。

京都府立医科大学 学歌の紹介ページ

京都府立医科大学学歌の謎の判明の糸口に

仙台育英学園高等学校 初優勝おめでとうございます。

2022年8月22日仙台育英学園高等学校が夏の高校野球大会にて優勝しました。
校歌作曲者親族として心よりお祝い申し上げます。

今回ここまで4回甲子園球場にて勝利し、そのたびに校歌が流れる事に大変嬉しく、本日とうとう最後の試合で校歌が流れる事になりました。選手たちの頑張りに改めて敬意を表します。

当館でもこの校歌について記事を書かせて頂きましたが、校歌制定が昭和5年2月22日とホームページでは書かれており、92年の長きにわたり歌われてきました。(仙台育英学園高等学校校歌記事(当時は中学校))

本当に長年ご愛唱頂いたことに心より感謝申し上げます。

あと8年で校歌制定後100年になります。
今後も野球をはじめ各種スポーツ競技、文化活動にご活躍頂く事を心よりお祈りします。
そして文武両道の学校として益々の発展を祈念し、お祝いの言葉といたします。

服部正WEB資料館 館長 服部 賢

雑誌「東京人」に掲載

「東京人」2022年4月号表紙

書店に行った時に「東京人」という雑誌を見かけた方も多いと思われます。
この度3/3に発売される最新号の特集が「日本が生んだクラシックの名曲」と題し、明治から現代にいたるまでの様々なクラシック音楽に関する記事を色々な角度で掲載されております。
実は約1ヶ月ほど前にこの雑誌の編集者から当館にお問い合わせがあり、「服部正の画像をお借りしたい」との事で依頼を受け、ご協力致しました。

当初はどの程度の特集なのかよく存じあげてなく、ご希望が「ラジオ収録に絡むような画像」との事でしたので、それにまつわるような画像をご提供致しました。
大変恥ずかしながら、この「東京人」という雑誌の存在は知っておりましたが、購買した事が無かったので出来上がった雑誌を頂戴して、まずびっくりしたのが「中身の充実度」でした。雑誌そのものが150ページを超える厚さで、さらに「日本のクラシック音楽」の特集だけで100ページにも及び、歴史や作曲家だけでなく、演奏家や音楽を提供する音楽ホール等についてもかなり深堀された記事が掲載されております。
(さすがに本投稿までに全部読み切れませんでしたが、これからゆっくり読破していくつもりです!)

服部正については「レコード、ラジオ、映画の誕生」という昭和前半に焦点をあてたコラムにて掲載頂きました。ラジオ体操だけでなくヤン坊ニン坊トン坊等、ラジオ番組での音楽対応と言う面でスポットを当てられ、「芸術と大衆音楽を結び付けてマスメディアを通して広めた功労者」という大変過分なご紹介を頂きました。まさに服部正が目指していた事を的確に表して頂きました。

服部正の記事が載っている「東京人」4月号のページ

正直申し上げてここまで本格的な内容になっているとは想像していなかったので、まずはこの特集に取り上げて頂いた音楽家の一人であった事に大変敬意を表する次第です。古くは滝廉太郎から1990年代に生まれた若手作曲家、さらにはサントリーホール等のホールの話からオーディオに至るまで本当に「日本の音楽」をここまで様々な角度でアプローチ頂いた内容には頭が下がる思いです。

「服部正」はともかく充実した内容なので、皆様も多少でもクラシック音楽にご関心があれば是非ご覧頂ければと存じます。

編集の皆様、たいへんお疲れさまでした。そして誠にありがとうございました。

ロシアのウクライナ侵攻に思う事

2022年2月、ロシア軍がウクライナに侵攻しました。

当館では政治的な話をすることは致しませんが、実は忘れられない思い出があったので投稿致します。

以前当館では「服部正の海外活動」と題し、1968年にヨーロッパの音楽巡りというツアーを服部正が団長となり行われたことをご報告致しました。
実はその時に重要な世界的な事件に遭遇した事を思い出しました。

1968年服部正率いる音楽祭巡りツアーパンフレット

この時は日本を出発し、デンマーク、オーストリア、スイス、ドイツ、イタリア、フランス、イギリスを巡る旅でした。
1968年8月21日の朝、確かスイスのチューリッヒだったと思いますが、旅行団が投宿していたホテルで朝食を取りにロビーに向かったところ、たくさんの投宿客が非常に心配そうな顔でロビーのテレビを見入っていたのです。
前日の8月20日深夜、旧ソヴィエト軍率いるワルシャワ条約機構軍が旧チェコスロバキアの首都、プラハに軍事侵攻をした事を生々しくテレビが報道しておりました。
プラハとチューリッヒは距離的には500キロぐらいのところにあり、日本で言えば東京、大阪間に匹敵します。そんな距離感の所でこんな大ごとが起こっていた事は、当時中学生で同行していた私としては「キツネにつままれた」状況で、日本から物見遊山で来ている我々からしてみてもどれだけ大変な事なのかは当時としては全く即座には理解できませんでした。
幸い何事もなく予定通りその後の旅程は行われ帰国致しましたが、恐らく旅行団に参加されていた方のご家族は大変ご心配をされていたのでは、と今から思うとぞっとしてしまいました。

50年前の事とここ数日起こっている事が多少オーバーラップし、今回ご報告いたしました。
日本という国は島国でもあり、「国境」という観念が特に欧州とは全く違う事も含め、こういった他国間の微妙な考え方の温度差を改めて感じた次第です。

ウクライナの皆さんには是非ご無事でいて頂きたい事と、早期に状況が安定する事を切に願う次第です。

「Dessin」90年振りの再演!

10月にご案内した「絃楽合奏団B-one演奏会」にて服部正の初期の作品「Dessin」が演奏されました。先日同曲を指揮して頂いた辻本氏から当日のパンフレットと音源を頂戴いたしました。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。

B-one演奏会パンフレット

この曲は昭和6年11月の慶應義塾マンドリンクラブ第37回定期演奏会で初演され、その1年後同志社大学マンドリンクラブでも演奏されましたが、それからの演奏の実績は全く残されておりませんでした。実は当館でもこの曲の譜面は存在せず、指揮者の辻本氏が様々なチャネルを使ってこの譜面を探し出し今回の演奏に至る事となりました。

パンフレットにも当日他に演奏された日本人作品(堀 清隆氏、大栗 裕氏)との人的関係について非常に貴重な情報が記載されておりました。

実はこの初演日の服部正の自筆日記が残っており、こちらも非常に興味深い内容が書かれております。

1931年11月16日Dessin初演日の服部正の日記

内容は以下の通りです。( )は館長の追記です。
***
第37回の演奏会。感謝がある。
菅原(明朗)、武井(守成)両氏を迎ふ。
ああ僕もこれで6回目の音楽会。
実にKO(慶應)の為に何かしたと自信した。
これはうぬぼれではない。
もしソロイストとして宮田氏(元KMC指揮者、当時故人)をもってゐたら(いたら)よかったのに。
金之助氏(山田金之助氏、服部正の1代前のKMC指揮者)大いに助けてくれるので有難云。(ありがたい)
僕の曲はつまらなかった。
ファルボとストラヴィンスキ、ミラネージは大失敗。
あとで明朗(菅原氏)達とお茶をのむ。
楽しい苦い思いで。
***


この文の「つまらなかった僕の曲」がまさにこの「Dessin」なのです。どうも服部正はこれ以降この曲の再演はおろか、譜面も自宅に留め置かずに放りだした可能性が高いと思われます。
またここに出てくる「ストラヴィンスキー」の作品はKMCの資料から類推すると「断章」「アンダンテ」と思われ(詳細不明)、これが実に菅原明朗氏の編曲によるものらしく、演奏の「大失敗」でお茶会での「苦い思いで」という下りに繋がっているとも思われます。(どう大失敗なのかは全く不明ですが、、、)

お送り頂いた音源をお聴きしましたが、まず「つまらなかった」とは思えないとても立派な演奏で、当時の服部正の感性を疑ってしまうようにも思えました。意外と管楽器、打楽器の位置づけが重要な作品のようでしたが、演奏も実にバランスの良い響きを出しておりました。

この度の演奏会における服部正作品の扱いも含め、改めて辻本氏をはじめとするB-one関係者各位の熱意に心より謝意を述べたいと思います。
本当にありがとうございました。

服部正初期の作品の演奏会のご案内

昨年演奏予定であった「Dessin(デッサン)」が新型コロナウィルスの影響もあり演奏会自体が中止になりましたことは以前お伝えいたしました。お取り上げ頂いた「絃楽合奏団B-one」殿におかれましては大変敬意を表しておりましたが、この度再度演奏会復活にあたり、再びお取り上げ頂く事になりました。ここに心より御礼を申し上げるとともに、皆様にもご視聴の機会を賜りますようご案内させていただきます。

    B-one第17回演奏会の入場券

詳しくは当合奏団にお問合せ頂ければと存じますが、11月13日(土)18:30開演、クレオ大阪東 大阪のJR、京阪線の京橋駅 、Osaka Metro 長堀鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅至近と聞いております。

指揮をして頂く辻本様には以前も服部正の作品「斑蝶」の再演で大変ご尽力いただき、今回もこの曲の90年近く経った掘り起こしを実現頂きました。
服部正自身は1936年以前の作品については生前はほとんど封印しておりましたので、こうやって再演をして頂く事には非常にありがたく感じております。

演奏会の成功を心よりお祈りしております。

服部正、学生に宛てた手紙

服部正が最も忙しかった昭和40年頃までが過ぎると、多少余裕が出てきたのか慶応義塾マンドリンクラブを中心に学生たちに盛んに「はっぱをかける」行為が増えてきたようです。
今回OBの方から当時の手紙のコピーを頂戴致しました。いわゆる「檄文」とでもいう物でしょうか。

学生に宛てた「檄文?」コピー

一つは当時NHKが積極的に推進していた「青少年音楽日本音楽連合」、いわゆる「ジュネス」と呼ばれた活動で、当時の大学の音楽系クラブに所属していたメンバーが一堂に会して演奏会を行うといったイベントで、服部正がマンドリン合奏部門を指揮する事になった際の各大学マンドリンクラブ宛に送った書状です。
要は、同じコンサートで出演する「管弦楽」「合唱」のメンバーは非常に精鋭揃いで出演にも「狭き門」と言われるのに対し、「マンドリン」が多少緩いイメージが拭えず、このままではジュネスそのものからマンドリン部門が抹殺させられてしまうかもしれないという憂慮から出したと言われています。
もう一つは母校の慶応義塾マンドリンクラブ学生に宛てたコメントで、そもそものマンドリン合奏に向けての「あるべき姿」を項目に分けて書かれた内容です。
学校におけるマンドリンクラブ活動でのそれぞれの楽器の上達については、一般オケの楽器レッスンのようにどこかの先生に通っている、というケースはなかなか当時は無かったのではと思われ、ほとんどが先輩からの上位下達(?!)に任されていた部分が多かったのではと思われます。
従ってそもそものマンドリン合奏についての「うんちく」を語る人が固定されず我流での踏襲も散見され、恐らくその光景を服部正も非常に気になっていたのかもしれません。

この文章は決して今でも通用しない話では無さそうなので、ご紹介いたします。
特に下記7番、8番はマンドリン合奏に限らず一般的にも再認識が必要かもしれません。
(最後の部分がコピーからはみ出してしまいましたので、想定で追記しております。
 又、漢字等一部変換しております。)

KMCの諸君、諸嬢に期待する8項  服部正

1.調弦は何を措いても正確である事 !
 (調弦の不正は調音の狂ったピアノと同じなり)
2.楽器を持った時、その響板は体面と並行である事。
 (響板は絶対に上向きにならぬ事)
3.ピックは弦を直角に叩く事。薄いピックは無用。
 (斜めに叩く事は絶対に ×
4.弦を抑える左手の指を指板から速く離すことは余韻を消すことになるので、
  音色は冴えず、マンドリンの余韻の美しさが消え、
  マンドリン音楽の魅力と特色が失われる。
  美しい余韻を響かせるスタッカト奏法を工夫せよ。
5.マンドラ、マンドローネ、マンドチェロの低音弦は太いので、
  この太さに耐えられる厚めのピックが必要である。
  弦の太さに適切な厚いピックを用意する事。
  又、弦の太さに応じてトレモロの速度を変える事が望ましい。
  太くなればトレモロの頻度は減らす事が望ましい。
6.ギターの左手の握力は絶対に強くなければならぬ。
  又、コードでなく、メロディをを演奏する場合は左手のヴィブラートが必要である。
  特にギター奏者は自ら演奏するサウンドがオーケストラの合奏者に美しく
  溶け込む事が望まれる。
  フレットの左手の位置をよく留意して、音色の変化を自由に表現して欲しい。
7.自らの演奏する音が合奏全体の音響に融けこんでいるか?よく確認してほしい。
8.美しい合奏音を実現するためには自分の演奏音が極めて効果的に合奏音の中に
  融け込む事が必要である。
  その時初めて最高のマンドリン合奏〔が実現できる。〕(〔〕内想定文)

本書状をご提供いただいたOBの方にこの場を借りて御礼申し上げます。
ありがとうございました。

40年振りの服部正作品の再演!

以前ご案内した「KMC三田会第9回定期演奏会」が去る8月8日に東京オペラシティタケミツメモリアルホールにて行われました。
この演奏会は本来は昨年の8月に実施する予定だったものの「新型コロナ感染症」の蔓延により中止され、今年に延期されたものですが、一部演奏曲目も変更され開催の運びとなりました。

KMC三田会第9回定期演奏会パンフレット

以前ご案内した通り一部プログラムの変更により、今回の演奏曲目は服部正の作編曲が主となりました。
特に初演から40年前後経ってからの久しぶりの再演曲が2曲含まれており、演奏者も来場者も懐かしい思い出とともに演奏に浸って頂きました。

一つは久保光司氏の指揮による「シューベルト 交響曲第7番ロ短調「未完成」」全曲で、この曲は1984年に慶応義塾マンドリンクラブ定演にて初演されてから37年振りの演奏となりました。
もう1曲は小穴雄一氏指揮による「ガーシュウィン ラプソディー・イン・ブルー」で、こちらは1977年の初演後翌年のアメリカ演奏旅行にて演奏されましたが、それ以来43年ぶりの演奏です。

どちらもメンバーの中にはこの初演等に参加していた人もいましたが、さすがに40年前後経つと皆さんなかなか思い出すのも難しくなっており、特に速いパッセージは「学生時代ならでは」の運指に現状では追いつく事がかなりハードになってしまったようです。それでも皆さん一生懸命演奏されました。

一方で「ビギン・ザ・ビギン」「ホリデー・イン・ジャパン」、そしてアンコールで演奏された「八木節」「引き潮」は、それこそ演奏旅行での定番プログラムであり、ステージ上の皆さんは演奏しながら当時の様々なエピソードを走馬灯のように思い出されていたのでは、という雰囲気でした。

ご来場の皆様は慶応義塾マンドリンクラブOBOGだけでなく様々な方がいらっしゃっていただいたようですが、特にOBOGは昔懐かしい学生時代を思い出された方が多かったようです。
また今回の選曲は服部正の戦後作品ばかりであり、ご来場のお客様に楽しめる音楽を追求した作品が多かったものの、前記の「未完成」「ラプソディ・イン・ブルー」は服部正としての「こだわり」が強く出された編曲作品と思われ、どちらも学生からの発案ではなく服部正がどうしてもやりたいという気持ちが強かったと当時のメンバーも話しておりました。

リハーサル中のホール(上景)

今回は新型コロナ感染症対策を万全に練習から本番まで徹底して行われました。お客様も収容人員の半分以下のご案内、ステージ上も十分なソーシャルディスタンスを確保し、当然ながら演奏会終了後の打ち上げパーティも無し、非常に殺伐とした雰囲気の中、少ないとはいえお客様を迎えて公演できた事に演奏者一同感慨深く、感謝の気持ちを持って終了致しました。

ご来場頂きました方には改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

医療従事者への感謝の気持ちを改めて思い、一刻も早いコロナ感染症の収束をお祈りしたいと存じます。