「服部正マンドリン作品集」CD、音楽配信

青葉マンドリン室内楽団による「服部正マンドリン作品集」が今般CD化、およびナクソスミュージックライブラリーから音楽配信されることになりました。
これは青葉マンドリン教室を主宰している肝付兼美氏から先日お話を頂戴し、大変ありがたいお話として今般当館でも積極的にPRする事に致しました。
2020年3月17日に発売される予定で、下記のパンフレットを頂戴いたしました。
(3/17は服部正の誕生日であり、肝付氏の心憎いご配慮に感謝しております!)

           服部正マンドリン作品集のご案内

昨年、一昨年と同楽団にて演奏していただいた服部正の作品を集めたCDであり、私も東京の演奏会にお邪魔しました。選曲も服部正が比較的好んで演奏していた物が中心であり、皆さんの心のこもった演奏にとても感銘を受けた事がつい先日のように思い出されます。
また発売日近辺になりましたら再度ご案内申し上げますが、ぜひお耳に入れていただきたい曲ばかりですので発売の際は何卒よろしくお願いいたします。
上記パンフレットの右下に連絡先等が記載されておりますが、場合によっては当館でもおつなぎ致しますので、お問い合わせ欄からご連絡ください。

また、このメンバーによる演奏会が今年の6月に函館、札幌、東京で予定されています。
これにつきましても日が迫ってまいりましたらご案内させていただきます。

高井戸第三小学校校歌自筆譜寄贈

高井戸という場所は服部正が最初の結婚での新居の土地でした。服部正の自著にはこう記されています。「かねてから、父が老後に田園生活を楽しむ目的で手に入れておいた土地が、東京郊外の杉並区下高井戸にあった。父はその田んぼの中の空地に、ささやかな新居を建ててくれた。28歳の冬である。」文面から換算すると1936年(昭和11年)になります。
今の高井戸は、まず「東京郊外」ではなくど真ん中であり、しかも「田んぼ」らしきものは無く閑静な住宅が並んでいます。その地に高井戸第三小学校はありました。
この学校の校歌は昭和24年(1949年)に作られましたが、なんと「ラジオ体操第一」の作曲よりも2年早い時期でした。その後いろいろなご縁があって昭和61年に同曲のマンドリンオーケストラの伴奏による録音が実現され、恐らくその頃に服部正がこの学校を訪れた記録が残っております。(下の写真は訪れた時の写真)

昭和61年頃高井戸第三小学校前に立つ服部正

私が訪れた際も門の風景がほとんど同じで、ちょうど休み時間で元気な生徒の声が校庭に溢れていました。
校長、副校長にお迎えいただき、いろいろお話を伺うことが出来ました。
この学校が創立されたのが明治34年(1901年)であり、来年がなんと創立120周年記念ということでした。沿革を拝見した限りでは昭和22年に「高井戸第三小学校」と改称されたと記されておりますので、恐らくこの機会に校歌も新たに作成されたのではと想定できます。
学校にはピアノ伴奏の自筆譜が校長室前に飾られており、その譜面は「昭和61年」と書かれていたので訪問した際に再度記譜したものではないかと思われます。当日お持ちしたのはマンドリン合奏用にアレンジした(恐らく録音のもとになった)譜面ですが、その譜面の裏に「ガリ版」刷りの校歌の印刷の紙が張り付けられており、これはたぶん作曲当時の昭和24年頃のものではないかと想像しております。

まずこの校歌の最大のポイントは「作曲」だけでなく「作詞」を服部正が手掛けたことです。しかも戦後直後の一連の校歌として歌詞まで手掛けた例としては最も古いものであり、恐らく一時期暮らしていた「高井戸」の地に対して、ある意味特別な思いを持っていたのかもしれません。
こちらに訪問する時に、服部正が暮らしていたと思われる「高井戸八幡神社」の近辺を歩いてみましたが、きれいな家が各所に立ち並び本当に静かで綺麗な街並みでした。この地の小学校で校歌が70年以上も歌い継がれている事に大変感謝とともに歴史の重みを感じてしまいました。
ご対応いただいた校長様、副校長様に対し御礼と高井戸第三小学校の益々のご発展をお祈り申し上げます。ありがとうございました。

校歌・社歌のご紹介(8)

地域別校歌・社歌のご紹介(⑧甲信越編)

8回目でようやく関東に近づいて参りました。
まず「甲(山梨県)」ですが、ここにはほとんど譜面が残されておりません。唯一存在するのが「富士スバルラインの歌」という富士山五合目まで登る有料道路の会社の歌が印刷物として残っておりました。

富士スバルラインの歌


ご覧の通り「英語訳」まで印刷譜には作っており、コマーシャルで使っていたのか、それとも現地の休憩所等で流していたのかは不明ですが、一応グローバル対応もされているのが興味深いです。この印刷譜もかなり古いものと思われ、開通が1964年と言われていますので恐らくそれに合わせて作られたのではとも推測されます。

「信(長野県)」もやや実績が乏しい状況ですが、菅平中学校、菅平小学校の校歌の譜面が残されておりました。この学校は実に歴史が古く、そもそもは明治24年に学び舎が作られた事に端を発しているとの事がホームページの沿革史に書かれておりました。
校歌については、まず中学校校歌として昭和25年(1950年)に山崎信氏の作詞によって作曲されました。
そして小学校が独立して菅平小学校校歌として昭和42年(1967年)に服部正がなんと作詞まで担当して作られました。

菅平小・中学校 校歌(印刷譜)
菅平小学校校歌直筆譜


菅平はスキー場で有名ですが、ここは一方で夏季は各大学のラグビーをはじめとする各種クラブの合宿地としてもよく使われていました。実は服部正の母校である慶応義塾マンドリンクラブも古くから必ず夏季はこの地で合宿をしており、服部正も毎年欠かさずにここを訪れておりました。服部正もOBも「スガダイラ」と呼ばずに「カンペイ」と音読みにしてこの合宿のことを呼んでおりました。恐らくその縁がこの学校の校歌誕生につながったのではと思われます。
現在のKMCの合宿はこの地を使われていないようですが、中年以上のOB・OGは恐らく懐かしい思い出が残っていると思われます。

新潟女子高校校歌

最後の「越(新潟県)」は前回の京都と同じく、多少異色な実績が残っております。

まず「新潟女子高校」の校歌の譜面が残されておりました。
この高校は1974年に男女共学化となり「新潟江南高校」に変更、校歌も新たに作成されたためここにご紹介する校歌は廃止されました。
作曲年代は特に記録が残っておりませんが、青焼き用のトレーシングペーパーの五線紙に書いてあるので昭和30年代の中ごろかと想定できます。

新潟で国体が開かれたときに作られた歌も実は服部正の作曲によるものでした。
この国体は1964年に行われたのですが、あの「東京オリンピック開催」の年で例年と違う日程になっただけでなく、オリンピックムードで相当盛り上がったとの事です。ただその年の6月に新潟大地震が起こったため夏季の大会は中止になったと記録されております。

新潟国体の歌レコードカバー
新潟国体の歌

面白いことに、この国体の歌も前掲の新潟女子高校の校歌も歌詞が「サトウハチロー先生」であり、作曲年代もそれほど差がなさそうなので何かのご縁があったのかもしれません。

そして新潟の極めつけがもう一つあります。
何といっても新潟と言えば「越山会」という田中角栄氏の政治団体が大変有名でしたが、なんとこの「越山会の歌」をどういう経緯なのか「服部正」が作曲していました!

越山会は昭和28年(1953年)に発足されたと記録されていますが、この曲は昭和37年(1962年)に作曲されており、田中角栄氏が池田隼人政権の大蔵大臣に初めて抜擢された年でした。
もうこの越山会自体は解散されていますが、稀に著作権利用実績にこの曲が登場することがありました。ネットで調べてみると、当時テイチク社で発売されていたこの曲が含まれていたレコードがオークションサイトで載っていました!。ということはまだ聞く方、歌う方がいらっしゃるのかもしれません。ちなみにこのレコードは三波春夫氏が歌で、一緒に「田中音頭」「山に歌えば」という曲とカップリングされているようでした。「田中音頭」ちょっと聞いてみたいですね、、、。

校歌・社歌のご紹介(7)

地域別校歌・社歌のご紹介(⑦近畿・京滋編)

関西地方でも京都・滋賀という場所は「京・近江」という歴史の古い町並みですが、 この地域にも 服部正の作品としていくつか譜面が残されておりました。

まず滋賀県には現在(2020年2月)NHKで連続ドラマにて放映中の「スカーレット」の舞台となる「信楽」地区に2つの譜面が残されておりました。
一つはまさに「信楽町の歌」、そして「信楽中学校の校歌」です。
信楽町は今自治体的には「甲賀市」に所属しており、この町歌がどのような扱いになっているかは不明ですが、関西地区の自治体の歌としての服部正の作品は非常に珍しく、これがどのような経緯で作曲されたかがぜひ知りたいと思います。

一方信楽中学校については旧字体の「紫香楽」という名前で印刷譜が残っておりました。ホームページで確認したところ「旧字体」から「新しい字」の信楽中学校となった今でもまだこの校歌は存続しており、非常にありがたい限りです。
信楽町、信楽中、いずれも昭和30年代前半に作曲されたものと思われます。
(信楽町の歌は昭和33年)
祖先が「伊賀の百姓」と思われている服部正が「甲賀」の主要都市と学校の歌を作っているのも面白いお話ですね。

他にも東近江市にある「五箇荘小学校」の校歌の譜面も青焼きコピーとして存在しておりました。
五箇荘という場所は琵琶湖の東岸で彦根から京都に行く途中にある町であり、東海道新幹線に乗ると米原を出てほどなくすると琵琶湖側にローカル線の線路が新幹線と全く平行に走っているのが気付かれる方もいらっしゃると思いますが、その鉄道(近江鉄道)に沿ったところにある地区です。昔から京都と彦根、越前等との交通の要衝の地域なので、人の往来も多く賑わっていたのではないでしょうか。






さて、京都地区には実に意外な譜面が残っておりました。
1つは「京都医科大学」の大学歌でした。
まず譜面を見て驚いたのは、書かれた年が「紀元2600年」という物々しい書き方で、しかも譜面の表題が「縦書き」です。当然五線紙は横に長く伸びますが、それをあえて抗うように縦書きで旧字体で書いております。
この「紀元2600年」は西暦でいうと1940年とされており、まさに太平洋戦争が始まろうとしている時期にあたります。

この学校は創立も明治5年(1872年)と古く、現在でも先進医療の研鑽を積まれている著名な医学大学として活躍していらっしゃいます。いかにも戦前の校歌の譜面で、歴史の重みを感じますね。

そしてさらに驚いたのが「大谷婦人会の歌」です。
最初題名を見ただけだと、どこかの婦人会の歌かと思っておりましたが、実は京都東本願寺を総本山とする真宗大谷派の全国の取りまとめ組織としての婦人会の歌だそうです。まさか寺社仏閣に関する作品とは思っておりませんでした。
「真宗文化センターしんらん交流館」のホームページにもこの婦人会の歌が堂々とアップされておりました!

表紙を見ると昭和24年11月と記載されており、戦後数年経ってからの作品です。恐らく戦後復興の中でこのような寺社としても信者のモチベーション向上策として作ることになったのではと想定されます。

こうやってみると、今回ご紹介したそれぞれの作品が、かなり昭和の前半から中盤にかけての作品で、それぞれがどのような経緯で服部正に依頼が来たのかが大変興味深く感じられます。
ぜひ機会があったら掘り下げてみたいと思います。

校歌・社歌のご紹介(6)

地域別校歌・社歌のご紹介(⑥近畿・兵庫編)

このシリーズも6回目を迎える事になりました。
近畿地方も偏りがややあり、残された譜面に「奈良県」「和歌山県」に関する作品が見当たりませんでした。「大阪府」も学校の校歌としての作品は見つからず、ただ大阪市に本社のある会社の社歌はいくつか出てまいりましたので、こちらは「地域別」とは別にいずれご紹介したいと思います。今回は兵庫県だけに焦点を当てますが、意外と兵庫県の学校の作品が残っておりました。

まずは小学校として姫路市立英賀保小学校の校歌の譜面が残っておりました。
自筆ではなく学校で印刷されたパンフレットが残っており、さらには当時校歌が出来た時の学校新聞も合わせての凝っておりました。
1955年8月に作られたという事で、偶然私(館長)の誕生年月と一緒でした。ホームページにも「沿革史」に校歌の記事を記載頂いております。

大屋中学校校歌
旧大屋高校校歌

中学校では養父市大屋中学校の校歌の譜面が残っておりました。一連の校歌作品としては比較的新しく、1975年に作られております。ホームページにもしっかり掲載されておりました。
同じ養父市に大屋高等学校があったとの事で、その校歌も同じく1975年に作られております。現在は八鹿高等学校が残っている学校ですが、ここの沿革を見ると相当分離・統合を繰り返しているようです。要するに分校を分離して独立させたもののまた統合し分校として設置。しかしながら生徒数減少のため2010年に閉校となったそうです。奇しくも英賀保小学校と同じ今井先生の作詞でした。

余部中学校校歌

実はもう一つ譜面が発見されたのですが、「余部中学校校歌」という印刷物でした。この学校も香住第一中学校として残っているものの統合・分離を繰り返して現在は存在していないと思われます。兵庫県は比較的大きく本州で南北に海岸を持つ特異な県ですが、地域的に人口と学校数との兼ね合いで、離合集散が見られるようです。

大阪府の学校の校歌が見つからないのは、恐らく大阪にも当時こういった校歌関連に長けた作曲家が多数いらっしゃり、わざわざ東京まで依頼をするまでもなかったのでは、と想定できますが、それにしてもお隣の兵庫県でこれだけの実績を作っていただいたのも面白いご縁かと思います。

校歌・社歌のご紹介(5)

地域別校歌・社歌のご紹介(⑤中京・東海編)

岐阜県民の歌(印刷譜)

中京、東海地区は珍しく地域自治体等の歌が目立っております。
まずは何といっても「岐阜県民の歌」があげられます。
先般この資料館でもご紹介しましたが深夜テレビ番組で「ひそねとまそたん」というアニメ番組にて、舞台となる岐阜の航空自衛隊のバックでこの曲のメロディを使っていただいた事も記憶に新しいと思います。
実はJASRACから届く著作権利用報告で、この岐阜県民の歌は必ず毎回演奏、放送、カラオケ等の実績が上がっており、自治体、県民の皆様から大変ご高配を頂いている事に心より感謝しております。

静岡県も先日ご紹介した「遠州鉄道」「掛川工業高校」の社歌・校歌の実績がありますが、面白いことに「清水市の歌」というのがありました。
ご承知の通り清水市は静岡市と合併し、市の歌としては無くなったのですが、この歌は「われらの港」という副題を持っており、今でもたまに著作権使用のカラオケ欄に登場してきます。ご愛唱頂いている方がいると思うと非常にうれしい限りです。

他にも静岡県では裾野市の歌について勝又氏の作曲の補作をさせて頂きました。(市の担当者から丁重な依頼のお手紙まで服部正は保管しておりました!)
また長泉町にある「ベルナールビュッフェ美術館」のための音楽も依頼を受けて作曲しております。

愛知トヨタの歌

愛知県にはお膝元の大企業「トヨタ」関連の曲(関連会社の歌、放送コマーシャル用音楽等)がありました。ここでは愛知トヨタの歌をご紹介します。
トヨタ自動車の社歌ではなく、恐らく地区販売会社の社歌と思います。
トヨタ関係では題名だけでも「トヨタテーマ音楽」といういかにも放送用の音楽があると思えば「若人トヨタ」「がんばれトヨタ」「トヨタトヨタ」、といった「どんな時に使うんだろう?」というような譜面が残っておりました。



愛知県警察歌

もう一つ変ったもので「愛知県警察歌」という譜面も残っておりました。
服部正が住んでいた渋谷区原宿にある「原宿警察署の歌」というのがある事を以前ご紹介いたしましたが、あまり土地的に関連が無いこの歌を作ったいきさつも是非わかれば面白いと感じております。

服部正は夏の保養によく沼津市の静浦海岸に家族で行っていたので、そこの関係も何か出てくるかもしれませんが、この地域の学校関係の譜面はあまり残っておりませんでした。

校歌・社歌のご紹介(4)

地域別校歌・社歌のご紹介(④北陸編)

三国北小学校校歌

「北陸地方」とは書きましたが、実際に保存されている作品を見ると富山県、石川県が見当たらず、「福井県」に圧倒的な実績が残っております。

まず校歌からご紹介します。
小学校では「三国北小学校」の校歌の譜面が残されておりました。ホームページでは1970年に校歌制定と記されており、服部正の一連の校歌としては比較的新しい作品となります。
作詞が村野四郎先生で、この方も全国各地の校歌・社歌の作詞をされた方として有名です。


高校では「若狭高校」の応援歌の譜面が残っておりました。
ここの校歌はホームページを拝見すると、何とあの山田耕筰大先生の作曲でした。
実はこの高校ご出身で大企業の幹部になられた方と服部正が懇意にしており、恐らくその関係でこの作品が作られたのではと思われます。



学校法人としての「金井学園」という組織が福井県にあり、その学園では大学として「福井工業大学」、大学の附属の形で高校として「福井高校」、中学として「福井中学」があり、それぞれの学校に校歌は存在しているようですが、服部正は「金井学園歌」という曲を作曲しておりました。

福井高校は以前から甲子園の出場も果たす文武両道の学校で、当然甲子園では「校歌」が奏され、この「金井学園歌」というのはどの場面で演奏されているのかが不明ですが、きちんとした譜面だけでなく「ソノシート」も残っておりました。

企業としては以前ご紹介した福井銀行の行歌も作曲しておりました。

以前服部正が仕事で出張した時に、搭乗した航空会社のチケットの半券を幼いころ私がお土産にもらっていましたが、今は一般旅客空港として使われていない「福井空港」の半券ももらっていたように覚えております。恐らくこういった学校、企業へ伺ったのかと思われます。

校歌・社歌のご紹介(3)

地域別校歌・社歌のご紹介(③中国編)

七尾中学校校歌ガリ版譜

中国地方にもいくつか校歌、社歌が残っております。数は多くないものの、とても校歌を大事に育んでいただいている学校が目立ち、作曲者遺族としても大変嬉しい限りです。

まず広島県廿日市市にある七尾中学校の校歌をご紹介します。
ガリ版刷りのいかにも歴史のある楽譜が残っておりました。「七尾」と言う地名から当初は石川県能登半島の「七尾」かと思ってしまいましたが、広島県の七尾中学校のホームページにしっかり校歌がアップされており確認できました。昭和24年に近隣の中学校が合併してできたとの事で、恐らくその頃に作曲されたと思います。このガリ版のイメージからも彷彿できますね。

横田中学校校歌

続いて島根県の奥出雲町にある横田中学校です。
校歌制定は昭和28年との事でしたが、その後昭和46年に近隣の中学校と合併し存続校として校歌を引き継いで頂いたようで、大変光栄な事です。
この中学のホームページの素晴らしいことは何といっても現校歌紹介に続き、合併される前の各中学校の校歌も音声付きでご紹介されている事です。
確かにその学校を卒業された方にとっては現存している校歌とは違う校歌を歌っていたわけですが、そういった方に対してのご配慮と思われ、そのお気遣いと「校歌」を大事に思う気持ちに心を打たれました。

この横田中学校の縁が取り持ったのかどうかは不明ですが、昭和37年に同じ地区の横田町の歌も服部正が作曲致しました。ここには「横田町広報」という地元の新聞に譜面と記事が載っておりました。

横田町広報(昭和37年版)

この町歌制定に際しては大音楽会がイベントとして開催されたようです。今は奥出雲町に合併され、この歌そのものがどのようになっているかは不明ですが、いずれにしろこれだけ厚遇頂いたことは服部正としても大変喜んだと思います。

その他に鳥取県には以前ご紹介した「鳥取西高校」の校歌があり、最近またこの学校の関係者から寄稿のご要請があったりして、大変ありがたいお付き合いをさせていただいております。
また、以前「無くなった会社の社歌」の欄で「扶桑相互銀行行歌」の存在をご紹介しましたが、この銀行は鳥取に本店を置く地域金融機関でした。

そういった意味ではこの地区は大変「濃い」お付き合いをさせていただいたイメージが強く、機会があったら訪れてみたいと思っております。

校歌・社歌のご紹介(2)

地域別校歌、社歌のご紹介(②九州、四国編)

前回は北の方からご紹介して参りましたが、今回は南の方のご紹介になります。
九州、四国もあまり多くの譜面が残っておりません。
その中でもいくつかご紹介させていただきます。

まず福岡県。
筑豊高校の校歌を作曲しておりました。当方には自筆譜は無いものの、作曲当時の印刷物が残っておりました。

筑豊高校校歌 印刷物


この筑豊高校さんのホームページにはご丁寧に「校歌」をご紹介するページがあるだけでなく、その校歌の音源までご用意されております。
こういったご配慮は在校生だけでなくご卒業の皆様に懐かしんでいただこうという心遣いと思いますが、このように校歌を大事にして頂いている学校に対しましては作曲者の親族としても大変ありがたく光栄に存じます。

筑豊高校HPより 校歌のページ (左下時計は別アプリです。無視願います。)

長崎県の長崎女子短期大学の母体である「鶴鳴学園園歌」の譜面も残っておりました。
ちょっと変わったところでは「日南市歌」の譜面がございましたが、これは船村徹氏の作曲に恐らく管弦楽バージョンの補作をした形跡が残っております。実は現在の日南市歌は服部克久氏のものに変更されているようで、明治~昭和の日本の著名作曲家を積極的に採用していただいているようです。

初代日南市歌
小倉記念病院歌

さらには福岡県北九州市にある「小倉記念病院」の院歌も残されておりました。

(蛇足ですが、慶應の創始者「福沢諭吉」先生も九州大分のご出身で、本投稿させていただいた1/10は福沢先生の誕生日です。慶應出身者はこの日ありがたく学校は休日扱いとなっていたことを思い出します。命日は2/3で、さすがにこの日は休日扱いではありませんが、期末試験前後の時期という事で「この日に福沢先生の墓参りをすれば進級する。」というまことしやかな言い伝えも残っていたような気がします。勿論成果の確証は全く不明ですが、、、)


四国地方はさらに情報が少なく、当方に残っている譜面で現存する組織は皆無のようです。

というのも、以前ご紹介した甲子園での名門「鳴門工業高校」の校歌を補作していたのですが、残念ながら合併して現存しておりません。とはいうものの唯一四国の貴重な実績としてご紹介致します。

旧鳴門工業高校校歌


今でも同校をご卒業された選手がプロ野球でご活躍中の方もおり、大変光栄に存じます。

新年ご挨拶、校歌・社歌のご紹介(1)

皆様、あけましておめでとうございます。
今年は子の歳ですが、服部正が亡くなったのがちょうど12年前の2008年の子歳でした。
速いものでもう一回りしてしまいました。
今年もよろしくお願いいたします。

今年はまず服部正の作品群の中でも比較的数が多い「校歌・社歌」にスポットを当ててご紹介していきたいと思います。

地域別校歌、社歌等のご紹介(①北海道、東北地区)

今回は地域という角度からご紹介していきます。

北海道はあまりお付き合いが無かったのか、残っている譜面が非常に少ない状況です。
その中で「北海道工業大学校歌」というのが直筆譜として残っておりました。

北海道工業大学校歌直筆譜



いつ頃作成されたかは譜面にも記載がないため不明ですが、譜面の筆跡から見る限りは1950~60年代ではないかと思われます。どのような経緯で作曲に及んだのか、さらにはこの歌がまだ現存しているかも不明ですが、数少ない北海道関係作品として貴重な存在です。
他には札幌テレビの関係の譜面が残っておりました。

東北地区に行くと、これは県別に大きな偏りが見られ、どうも「岩手県」とのお付き合いが非常に多く見つかりました。

小学校 沼宮内小学校(創立百周年記念讃歌)
中学校 大迫中学校(校歌)、新堀中学校(校歌)
銀行 北日本銀行銀行歌、東北銀行銀行歌(補作)

沼宮内小学校讃歌と北日本銀行行歌
(相互銀行時代の譜面)

そして宮城県に以前にもご紹介した「仙台育英高校」の校歌が存在します。

岩手県の新堀中学校はかなり前に石鳥谷中学校に合併されており今は存在せず、東北銀行の行歌は葉山氏の作曲の補作という形でお手伝いさせていただいたとの記録が残っております。
北日本銀行には直筆譜の寄贈をした際にまだ歌われている、との事をお聞きしました。仙台育英高校も甲子園で何回も勝ち名乗りで登場させていただきました。
仙台地区は服部正も生前個人的にお付き合いさせていただいた方がいらっしゃったようで、年賀状等季節のお便りをいただいていたようです。

残念ながら他県の学校、企業の関係の譜面は見つからないため、もし青森、秋田、山形、福島関係、そしてもちろん岩手、宮城関係でもほかに何らかの情報があればご教示頂けるとありがたく思っております。