ご来館者、のべ10,000人突破!!

当資料館開館より約3年近くが経ちましたが、本日来場者がのべ10,000人を超えました!
残念ながらどなたが一万人目かは不明ですが、とにかくご来館された皆様の一つ一つの蓄積の賜物です。ここに改めて感謝と御礼を申し上げたいと思います。

誠にありがとうございました。

今後も新しい企画、アイテムのご紹介等地道に内容の充実を図っていきたいと思います。今後ともご支援よろしくお願いいたします!!

「広場の歌姫」の歌声【クラプロ】

広場のコンサートでは必ず毎回当時の美人歌手を登場させていました。
例えば初回の第1回では名ソプラノの「伊藤京子」さん、第4回は「越路吹雪」さん、第6回は「ペギー・葉山」さん等、錚々たるメンバーです。
そして第7回、8回、10回には「中原美紗緒」さんに登場頂いていますが、服部正はこの中原さんを「広場」だけでなく様々な所で重用しており、かなり気に入って使っていたようです。

歌って頂く曲はオペラアリア等のクラシックナンバーと思いきや、そうでもない曲やシンフォニーの某楽章を歌版にしたもの等、当時としては「クラシックコンサート」としては全く異質なものでした。
伊藤京子さんには「コテコテのクラシック」でなくジェローム・カーンの「煙が目にしみる」を歌って頂いたとの事、逆に(前にもご紹介しましたが)越路吹雪さんにはチャイコフスキー交響曲第5番の第2楽章を、ペギー葉山さんにはサンサーンスの有名な「白鳥」に歌詞をつけて歌っていただきました。もちろんシュトラウス、レハールのオペレッタやビゼーのカルメンの有名アリアを歌っていただく事もお願いしていたようですが、極力親しみやすいプログラムにしようという気持ちが随所に現れた選曲だったようです。

このようにそれぞれの回の歌姫をメインにしながら支えるコーラスグループが言わずと知れた「ダークダックス」でした。
服部正のオリジナル作品でそもそもマンドリン合奏用に作られた「かぐや姫」をオーケストラ版に書き直し、中原美紗緒さんとダークダックスにて広場のコンサートで取り上げた事もありました。

考えてみれば服部正にとってコンサートでの「歌曲」というのは大変重要なアイテムであり、これは1936年の唯一の自己作品リサイタルの時に始まり青響、広場に引き継がれただけでなく、慶應義塾マンドリンクラブの定期演奏会や演奏旅行でも歌手が登場する場面が非常に多く、「歌」というジャンルが人を惹きつける何かがあったと思っていたようです。自身の傑作歌曲「野の羊」もそういった背景で生まれてきたのかもしれません。

 

オーケストラ定番組曲(ペールギュント等)【クラプロ】

服部正はクラシックを広めるために「名曲中の名曲」に絞って選曲をしていましたが、当然「服部正」の趣味・嗜好もかなり選曲に大きく影響していました。
中でも「定番」と言われているのが有名な「組曲」であり、気に入った曲を比較的繰り返し選曲しておりました。
実は現NHK交響楽団の前身である「新交響楽団」時代に「近衛秀麿」や「山田耕筰」といった著名指揮者がベートーヴェンやヴェルディ等の本格的作品を演奏している日とは別に、ポピュラー名曲の演奏会の指揮をまだ服部正が20代後半の頃に担当させて頂いた事もあり、そこでの経験もそれからの演奏活動に大きく役立ったようです。
青響の時代から積極的に取り上げられたのは「チャイコフスキー=くるみ割り人形組曲」や「グリーグ=ペールギュント組曲」「グノー=ファウストバレエ音楽」といったところです。「広場のコンサート」でも第7回にこの「ペールギュント」を取り上げておりました。

第7回広場のコンサートチラシ

ちなみにこの時取り上げていた「メンデルスゾーンのフィンガルの洞窟序曲」も服部正のお気に入りで、後の「グレースノーツ」でも当時の編成に合わせて編曲しなおして定期演奏会に登場していました。

他にも「広場」では第6回に「ドリーブ」の「シルヴィア」というバレエ組曲を取り上げております。前回にご紹介した「ウィンナワルツ」とともに服部正の演奏会の根幹を成すカテゴリーであり、聴き心地の良い曲をなるべく選びその組曲でも一部曲を組み替えたりしてなるべく皆さんが楽しめるような演奏会を徹底的に追求していたようです。
この7回でもペールギュントは第1組曲の最後の「山の魔王の殿堂」を外し、第2組曲の「アラビアの踊り」を入れています。
そういえば有名な「カルメン」や「アルルの女」は組曲としてはあまり過去実績が少なく、有名なカルメン前奏曲やアルルの女のファランドールのような「ドンチャン騒ぎ」的音楽は「聴き心地」が良くてもあまり服部正の好みとは若干異質だったのかもしれません。なのでペールギュントでも類似の「山の魔王」を外した可能性も否定できません。

慶應義塾マンドリンクラブの定期演奏会の選曲にもこの流れは影響しており、以降服部正のマンドリンオーケストラ編曲も徐々に増えていきました。

 

「サワコの朝」で小林亜星先生が服部正について語る!(予告)

先日当館にMBS毎日放送(TBS系列)のスタッフからお問合せを頂きました。
「サワコの朝」という阿川佐和子さんの番組でゲストに小林亜星先生をお招きしたところ、師である「服部正」について色々と語っていただいたので是非写真をお借りしたいとの事でした。
もちろん喜んでご協力させて頂きました。

小林先生は一昨年の「黒柳徹子のコドモノクニ」でも服部正を取り上げて頂いた時にガイド役をして頂き、過分なお言葉を頂戴しました。今回も「阿川佐和子さん」という大変「聞き上手」な方とのトークなのでどんなお話が出るのか楽しみです。

1月27日(土)午前7時30分からTBS系列で放送だとの事です。
前日あまり夜更かしをせずに是非拝見させて頂こうと思っておりますので、皆様も是非ご覧になってください。

ちなみに、この「サワコの朝」のHPをリンク致しました。

ウィンナワルツと服部正【クラプロ】

服部正が生涯を通じて最も多く取り上げた作曲家と言えば、間違いなく「ヨハン・シュトラウス」と言えます。
これはコンセール・ポピュレール(青響)、広場のコンサート、グレースノーツでの大事なレパートリーであり、また慶應義塾マンドリンクラブの演奏会でもたびたび取り上げておりました。

ワルツと言えば「美しく青きドナウ」は定演だけでなく演奏旅行の定番、「皇帝円舞曲」「ウィーンの森の物語」は何回も演奏され、「朝刊」「南国のバラ」や弟のヨゼフの「天体の音楽」等も積極的に選曲しておりました。またポルカは「雷鳴と稲妻」「狩」「トリッチ・トラッチ」やヨゼフの「とんぼ」「休暇旅行」等多岐に亘った選曲をしていました。他にもレハールやフランスのワルトトイフェル等のワルツも積極的に取り上げていました。
マンドリンクラブの編曲版も様々な曲が残されており、まだ時々演奏会で取り上げられて頂いております。

広場のコンサートの第10回の演奏会(1959年10月)は前半がさながら「ニューイヤーコンサート」的な選曲でした。

ここでは父の「ラデツキー行進曲」に始まり、朝刊ワルツ、とんぼポルカ、皇帝円舞曲、雷鳴と稲妻ポルカの後、最後に常動曲、といった有名な曲ばかりそろえておりました。

青響時代は暗い戦時中に少しでも聴衆の皆さんを明るい気持ちにしたい、という事で率先してウィンナワルツを演奏していました。国内や海外の演奏旅行でも皆さんがよくご存知の曲を演奏する事で音楽会が少しでも親しみやすく良い気分で終わって頂くことを服部正は常に考えており、そのような中でこのウィンナワルツ、ポルカの曲は「明るく分かりやすい」演奏会にするために欠かせない、レパートリーに持ってこいの素材だったと言えましょう。

シンフォニーと服部正(2)〔第九〕【クラプロ】

服部正は以前新交響楽団(現NHK交響楽団)の指揮も時々任されていました。その頃も含めベートーヴェンのシンフォニーは「第九」を除き全曲の指揮をやった経験がある、と著書で書いておりました。「第九」も最後の4楽章の合唱部分は何回か振った事があるらしいです。ただ、昔から「第九」については「合唱に辿り着くまでが長すぎる」と言っており、当然自分の企画演奏会では「第九」の全曲をやる気はさらさらなかったようです。どうも「合唱の部分までたどり着く前にみんな寝ちゃうか帰っちゃう。」とも話しており、この「第九」全曲演奏についてクラシック初心者向けの選曲としては懐疑的でした。

年末に必ず日本ではどの楽団でも「第九」をやる事についても「楽団員の正月の餅代稼ぎのため」といち早く教えてくれたのも父でしたが、生活水準が当時に比べて良くなってもその風習が変わらない事を見て「日本人は律儀でまじめすぎるね」とボソッと言っていました。
服部正は「シンフォニー」でも「コンチェルト」でも全曲をやる事へのこだわりは無く、気に入った楽章だけを演奏したり、それも多少カットしたりして「聴きやすく」することに余念がなかったようです。前にも書いた通りシンフォニーのある楽章のメロディに歌詞をつけて歌ってもらう等、そのシンフォニーが持っている美しいメロディだけを皆さんに聴いてもらおうとおもっていたようです。

そのベートーヴェンの「第九」の4楽章をさらにカットし、聴き映えする部分だけのいいとこどりをしたマンドリンオーケストラ向けアレンジのスコアが残っておりました。

これは慶應義塾マンドリンクラブ第74回定期演奏会(昭和30年〔1955年〕6月)に「名曲アルバム」と題した第4部の最後を飾る曲として取り上げられました。
「広場のコンサート」は1956年にスタートしたので、このアプローチはまさに「広場」の予告編のような形でした。
単なる合唱部分の名旋律だけかと思いきや、まさに第4楽章の始まるフォルテシモ部分をマンドリン合奏で再現、有名な合唱部分とテノールのソロのマーチ的な部分、そしてエンディングと、本当にいいとこどりのアレンジとなっています。

前述の通り服部正は以前「普段クラシックを聴かない人間が年末に第九だけ聴きに行く、という姿は本人も期待外れでクラシック界においてもマイナス。それではクラシックファンを広げられない。」と漏らしてました。
一番の聞かせどころに到達するまで約45分は待たされ、有名な合唱部分はそれなりに聴いて帰りますが、次に違うクラシックコンサートに誘われても恐らく気が進まず断るのではと思います。
今は年末も過ぎ次の第九の季節は11カ月後になりますが、皆さんの周囲で上記のような方がいらっしゃったら、それなりにアドバイスしてあげた方が良いかもしれませんね。「最初40分は寝てもいいよ。ただしいびきはかかないように!」とか?。

シンフォニーと服部正(1)【クラプロ】

コンセール・ポピュレール発足当時はまだテレビは無くラジオも音質が悪く、クラシック音楽の番組をあまり放送していませんでした。
レコードはSP時代で高価なうえ1枚当たりの収録時間が数分という状況なので、長いクラシック曲を「聴く」ためには何枚も付け替えるという時代でした。
従って30分を越えるようなシンフォニーを耳にする機会はそれほど多くなく、聴衆もこのジャンルについては疎かったと思われます。
そんな中で、生演奏を気軽に聴けるような演奏会を目指し、その中でもシンフォニーを身近に感じるように服部正は考えました。

第1回のコンサートではベートーヴェンの「田園」を選びました。
この曲は全体で40分程度かかる曲ですが、極めてほのぼのとしたムードで始まり、小川のせせらぎ、村人の祭、雷とその後の爽やかな牧歌、という一連の平和的流れが服部正も気に入っていたようです。
当時は徐々に太平洋戦争に向けた社会情勢の変化が少しずつ見え始め、演奏会でも同盟国である「ドイツ」「イタリア」の音楽は歓迎されても、それ以外の国の音楽は「非国民」的扱いをされていたようです。従ってベートーヴェン、ブラームスやヴェルディといったドイツ・イタリア作曲家は優遇され、特にこの「田園」の「癒し」的アプローチは殺伐としてきた時代に万人に受けたようです。

服部正が好んで取り上げたシンフォニーは、他にシューベルトの「未完成」がありました。コンセール・ポピュレールの無二の友人が病気で亡くなった時に告別演奏会に取り上げたり、ポップス編成の「グレースノーツ」でも演奏可能なように編曲したり、マンドリン合奏でも唯一シンフォニー全曲の編曲をしたほどです。

 マンドリン版シューベルト「未完成」編曲譜(1984年)

「広場のコンサート」で服部正は面白いアプローチをしていました。
シンフォニーのある部分を取り出して「歌詞」をつけて歌手に歌わせたのです。
ベートーヴェンの交響曲でも第2番の第2楽章、第7番の第2楽章をダークダックスに歌って頂いた記録が残っており、服部正著の「広場で楽隊を鳴らそう」では何と越路吹雪にチャイコフスキーの交響曲第5番の第2楽章を歌って頂いたとの事が書かれていました。
やはり「第2楽章」というのは一般的に叙情的なメロディが多いので歌にしやすかったのでしょう。
 広場のコンサート第8回(1958年)プログラムより

実は服部正は意外と「モーツァルト」に対してはそれほど積極的に選曲していないという事が様々な事から分かってきました。
「広場」でも「グレースノーツ」でもモーツァルトの作品で取り上げられたのは有名な「アイネクライネナハトムジーク」程度であり、シンフォニーやその他のセレナードはあまり選曲されていません。逆にハイドンの方がお気に召していたようで、国立音楽大学で教鞭をとっていた時もハイドンにかなり力を入れていたようです。

*これから「クラシック・プロデュース」カテゴリの記事には、題名に【クラプロ】と付記します。

服部正が目指した「クラシック普及」

2018年は服部正没後10年であり、生誕110周年でもあります。
服部正が生涯一途に進めてきたことが「良いクラシック音楽を皆さんに提供」という活動であり、それが「コンセール・ポピュレール(後の青年日本交響楽団)」「広場のコンサート」「グレースノーツ」という楽団運営や演奏会企画により実現されました。そのかたわら、長年指揮をしていた慶應義塾マンドリンクラブのプログラムもその方針に則った選曲で続けていました。
今年はそういった意味で「クラシックの普及」に焦点を当てて、当資料館の投稿を続けていきたいと思います。新たに当ページのカテゴリーとして「服部正のクラシックプロデュース」と題したものを作りました。
今回はそのイントロダクションとして、経過をご紹介したいと思います。

*青響期(1937年~1946年)
言うまでもなく「コンセール・ポピュレール(青年日本交響楽団)」として活動してきた時代であり、東京の大空襲の中でも地道に演奏会を開いていた頃です。
*広場期(1956年~1959年)
服部正が最も活躍していた時期での一連のコンサートプロジェクトです。ダークダックス、中原美紗緒等との関係が確立された時期です。
*晩年期(1970年頃~1993年頃)
グレースノーツやKMCの活動を中心に様々なジャンルの音楽も取り込みながら積極的に演奏会、録音、演奏旅行を繰り返して活動していた時期です。

 1958年頃の広場のコンサート

服部正の17歳の頃の日記が残っていますが、この頃からクラシック音楽に傾倒してきました。それがこのページでわかります。

 1925年当時16歳の頃の1月の日記から

「買ひ(い)たいレコード」と書いてありますが、当時のレコードはかなり高価なものだったので未成年がそんなに簡単に入手できるものでは無く、しかも超有名な曲ではない物も結構入っており、当時からすればかなり「ませた」音楽少年だったと思われます。例えば「死と浄化」と書かれているのはリヒャルト・シュトラウスの「死と変容」という交響詩のことであり、少なくとも今でも16歳の青年(少年?)が買いたくなるような曲とは思えず相当「オタク」的選曲です。

こういったバックボーンで育った服部正として、青響期に始まる演奏会の選曲についても既にかなりの知識が入っていたものと想像できます。

このコーナーでは分かっている限りの過去のコンサートの選曲から皆様にも「クラシック入門へのヒント」になれるようなガイドにしていき、服部正が目指していた物にも近づけていけたらと思っております。

是非お付き合いください。

「広場に楽隊を鳴らそう」(復刻版)のご案内

皆様、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

以前ご案内しておりました「広場に楽隊を鳴らそう」(復刻版)の電子書籍版をこのほどアップ致しましたのでご紹介いたします。
「パブー」という電子出版サービスにてアップ致しました。
気持ちとしてはお金を頂くべきものなのかどうか非常に悩みましたが、平凡社にて出版された当時「220円」という定価で販売されており、熟慮の末心苦しいですが「300円」にてご提供させて頂くことに致しました。
出版された当時で考えると、例えば服部正が住んでいた「原宿」から「新宿」までの大人電車賃が20円であり、現在だと6~7倍の価値観になってきます。
なので「220円」はだいたい今の1500円近くとなり、初版本では掲載されなかった「写真」や「譜面の一部」も掲載、出版された昭和33年以降の半生の(僭越ながら)小生の追記分もございますので「300円」というものが決して高いものでは無いと勝手に解釈しております(!?)。

もし宜しければ是非このページをご覧になっていただければ幸いです。

尚、この電子書籍は「横書き」となっており、ダウンロードできるPDFも横書きなので、初版本にて採用されていた「縦書き」や、読みやすい文字(楷書体)にこだわった紙ベース対応可能な方法も模索中であり近々ご紹介する所存でございます。

よろしくお願いいたします。

パブー トップHP

パブー 「広場で楽隊を鳴らそう」復刻版ページ

服部正と無縁でなかった!スマートスピーカー!!

昨今グーグルやアマゾンで有名になったスマートスピーカーが我が家にもやってきました。息子が家内の誕生日プレゼントで贈ってくれたもので、主に家庭内BGMマシンとして重宝しています。

このような音楽配信サービスは服部正とは無縁であると思っておりました。
ところが今月届いたJASRAC利用明細のインタラクティブ欄を見ると、利用者一覧の中に「アマゾン」「アイチューンズ」「スポティファイ」といった音楽配信サービス会社や大手携帯電話会社等がずらっと並んでいるのです。曲目は「ペールギュント組曲」や「アルルの女~ファランドール」等ライト・クラシック系の作品が多く、服部正が最も得意としていたジャンルなので間違いはなさそうですが、これだけの錚々たる先端企業のサービスに関連しているというのは驚きです。
早速マシンに「OKグーグル」と声をかけ、その対象曲の名前を言って「演奏して!」と持ちかけると、「個別の曲のサービスは有料契約になります。」という素っ気ない返事、、、。(笑)
でも、実態として皆様に配信やダウンロード等で何らかのお役に立っていると思うとちょっと嬉しくなると同時に、昨今の音楽提供媒体の多用化とその進展に驚きを隠せないのが正直な所です。もうCDの時代では無くなってきているのですね。(もうすぐ平成も終わってしまうので致し方無いのかもしれませんが、、、)
ちなみに気になる著作権料金ですが、演奏時間との兼ね合いもあり一概には言えないですが「リクエスト回数」が1,000回近くでも数十円でした、、、。

今年も間もなく終わり新たな年を迎えます。
一年間様々な事がありましたが、ご覧いただいている皆様のおかげで何とか継続して運営させて頂いております。ありがとうございました。
来年は服部正没後10年で生誕110周年となります。
また来年も引き続きよろしくお願いいたします。

皆様良いお年をお迎えください。


館長 服部 賢