迦楼羅面~雅楽を基調とせる舞曲

この曲は1931年夏に書かれ完成しました。自身の日記には7月頃より着手、途中マンドリンクラブの演奏旅行等もあったものの何とか8月21日に「書きあげる」との記載がありました。
当初本人はそれほどの出来ではなかったとの思いだったようですが、師の菅原明朗先生が絶賛し本人も「うれしい、うれしい」と日記に書かれています。

そもそも正倉院御物である「迦楼羅」という伎楽のお面を題材にして作られたのですが、宮内庁正倉院のHPにその「迦楼羅の面」が載せられており、拝見するとなかなか重みのある顔をしておいました。このHPには迦楼羅の面が2つ(63号、72号)あり、恐らく72号がこの曲のモティーフになっているのではと思います。(後刻この面については「館長のひとりごと」でもご紹介します。)

服部正は「オルケストラ・シンフォニカ・タケイ」のために書かれたと言われていますが、この曲については絵本街景色と同じように相当気合を入れていたようであり、1936年の自身のオーケストラリサイタルでもわざわざ管弦楽版に書き直して上演しています。(残念ながらオーケストラ版の譜面は見つかりませんでした。)絵本街景色は一旦慶応の100回記念で書き直していますが、この「迦楼羅面」は原作のまま今日まで来ています。

服部正がプロとしての音楽家活動を始めて間もない頃の野心作の一つでありますが、その後の作品はどちらかというと放送局や映画界、会社、学校等から「頼まれて作った」という曲がほとんどになってしまい(ある意味「ラジオ体操第一」も同様です)自分自身から入魂して作曲した作品はそれほど多くは無いのではと思われます。なので後年の服部正の基調である「明るく分かりやすい曲」とは一線を隔した作品になっているのではと思います。「雅楽を基調」というのに相応しくマンドリンオーケストラ、打楽器、管楽器を雅楽的独特な和音の中で響かせています。

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