京都府立医科大学 学歌譜面寄贈

ここのところ感染症の影響で長い間「校歌」「社歌」の類についての寄贈活動は控えておりましたが、この度京都府立医科大学にお邪魔し、学歌の直筆譜の贈呈をして参りました。
本件、ちょうど2年前の10月に当館に大学の方から問い合わせを受けご対応をした事から、その後本学が創立150周年というおめでたい年に、この学歌の作曲者の親族として祝典イベントにお招きを受けたのですが、どうしても当日に東京から移動できない状況にあり大変申し訳ない中、事前にご訪問し寄贈をさせて頂きました。

当日はあいにくの雨の中、感染症もやや減少傾向で旅行客が増加している京都駅からタクシーで約20分、目的の府立医科大学に到着、威厳のある本部校舎の入り口にて関係幹部の方にお迎え頂きました。
早速応接室にご案内頂き、学長様、そして付属病院の院長様をはじめとし、この学歌についての関係の皆様とご挨拶させて頂き、直筆譜を贈呈致しました。

京都府立医科大学 竹中学長に服部正直筆譜の贈呈

この学歌については以前当館でもご紹介した通り長い月日の間に歌われ方が違うとの事で学内で長く論議されており、たまたま当館の「校歌、社歌ご紹介」の一連でアップした記事を見つけられ、長年の懸案事項の解決に大きな一歩となった事をご紹介しましたが、当時細かなご対応を頂いた関係の方にもお会いする事が出来ました。

医科大学の幹部という要職の方々とお会いするのはなかなか機会が無く当初は相当緊張しておりましたが、皆様の暖かいお気持ち、アットホームな雰囲気に囲まれとても有意義な時間を過ごすことが出来ました。

京都府立医科大学学歌 自筆譜
(紀元2600年とは昭和15年(1940年))

お聞きする限り専門の医学の勉学、研究の傍らオーケストラ等の音楽の活動にも積極的に参加され、そういった環境の中でこの学歌の歌われ方についても独特の視点で問題提起から解決に向けたご尽力は誠に頭が下がる思いです。
そもそも音楽に対するリテラシーの高さも素晴らしい物があった事を再認識致しました。

11月にこの創立150周年の記念式典が行われるとの事ですが盛会である事をお祈りするとともに、これからも京都府立医科大学の益々のご隆盛と関係の皆様のご健勝を祈念申し上げます。

この度は大変お世話になりました。ありがとうございました。

京都府立医科大学 学歌の紹介ページ

京都府立医科大学学歌の謎の判明の糸口に

仙台育英学園高等学校 初優勝おめでとうございます。

2022年8月22日仙台育英学園高等学校が夏の高校野球大会にて優勝しました。
校歌作曲者親族として心よりお祝い申し上げます。

今回ここまで4回甲子園球場にて勝利し、そのたびに校歌が流れる事に大変嬉しく、本日とうとう最後の試合で校歌が流れる事になりました。選手たちの頑張りに改めて敬意を表します。

当館でもこの校歌について記事を書かせて頂きましたが、校歌制定が昭和5年2月22日とホームページでは書かれており、92年の長きにわたり歌われてきました。(仙台育英学園高等学校校歌記事(当時は中学校))

本当に長年ご愛唱頂いたことに心より感謝申し上げます。

あと8年で校歌制定後100年になります。
今後も野球をはじめ各種スポーツ競技、文化活動にご活躍頂く事を心よりお祈りします。
そして文武両道の学校として益々の発展を祈念し、お祝いの言葉といたします。

服部正WEB資料館 館長 服部 賢

雑誌「東京人」に掲載

「東京人」2022年4月号表紙

書店に行った時に「東京人」という雑誌を見かけた方も多いと思われます。
この度3/3に発売される最新号の特集が「日本が生んだクラシックの名曲」と題し、明治から現代にいたるまでの様々なクラシック音楽に関する記事を色々な角度で掲載されております。
実は約1ヶ月ほど前にこの雑誌の編集者から当館にお問い合わせがあり、「服部正の画像をお借りしたい」との事で依頼を受け、ご協力致しました。

当初はどの程度の特集なのかよく存じあげてなく、ご希望が「ラジオ収録に絡むような画像」との事でしたので、それにまつわるような画像をご提供致しました。
大変恥ずかしながら、この「東京人」という雑誌の存在は知っておりましたが、購買した事が無かったので出来上がった雑誌を頂戴して、まずびっくりしたのが「中身の充実度」でした。雑誌そのものが150ページを超える厚さで、さらに「日本のクラシック音楽」の特集だけで100ページにも及び、歴史や作曲家だけでなく、演奏家や音楽を提供する音楽ホール等についてもかなり深堀された記事が掲載されております。
(さすがに本投稿までに全部読み切れませんでしたが、これからゆっくり読破していくつもりです!)

服部正については「レコード、ラジオ、映画の誕生」という昭和前半に焦点をあてたコラムにて掲載頂きました。ラジオ体操だけでなくヤン坊ニン坊トン坊等、ラジオ番組での音楽対応と言う面でスポットを当てられ、「芸術と大衆音楽を結び付けてマスメディアを通して広めた功労者」という大変過分なご紹介を頂きました。まさに服部正が目指していた事を的確に表して頂きました。

服部正の記事が載っている「東京人」4月号のページ

正直申し上げてここまで本格的な内容になっているとは想像していなかったので、まずはこの特集に取り上げて頂いた音楽家の一人であった事に大変敬意を表する次第です。古くは滝廉太郎から1990年代に生まれた若手作曲家、さらにはサントリーホール等のホールの話からオーディオに至るまで本当に「日本の音楽」をここまで様々な角度でアプローチ頂いた内容には頭が下がる思いです。

「服部正」はともかく充実した内容なので、皆様も多少でもクラシック音楽にご関心があれば是非ご覧頂ければと存じます。

編集の皆様、たいへんお疲れさまでした。そして誠にありがとうございました。

ロシアのウクライナ侵攻に思う事

2022年2月、ロシア軍がウクライナに侵攻しました。

当館では政治的な話をすることは致しませんが、実は忘れられない思い出があったので投稿致します。

以前当館では「服部正の海外活動」と題し、1968年にヨーロッパの音楽巡りというツアーを服部正が団長となり行われたことをご報告致しました。
実はその時に重要な世界的な事件に遭遇した事を思い出しました。

1968年服部正率いる音楽祭巡りツアーパンフレット

この時は日本を出発し、デンマーク、オーストリア、スイス、ドイツ、イタリア、フランス、イギリスを巡る旅でした。
1968年8月21日の朝、確かスイスのチューリッヒだったと思いますが、旅行団が投宿していたホテルで朝食を取りにロビーに向かったところ、たくさんの投宿客が非常に心配そうな顔でロビーのテレビを見入っていたのです。
前日の8月20日深夜、旧ソヴィエト軍率いるワルシャワ条約機構軍が旧チェコスロバキアの首都、プラハに軍事侵攻をした事を生々しくテレビが報道しておりました。
プラハとチューリッヒは距離的には500キロぐらいのところにあり、日本で言えば東京、大阪間に匹敵します。そんな距離感の所でこんな大ごとが起こっていた事は、当時中学生で同行していた私としては「キツネにつままれた」状況で、日本から物見遊山で来ている我々からしてみてもどれだけ大変な事なのかは当時としては全く即座には理解できませんでした。
幸い何事もなく予定通りその後の旅程は行われ帰国致しましたが、恐らく旅行団に参加されていた方のご家族は大変ご心配をされていたのでは、と今から思うとぞっとしてしまいました。

50年前の事とここ数日起こっている事が多少オーバーラップし、今回ご報告いたしました。
日本という国は島国でもあり、「国境」という観念が特に欧州とは全く違う事も含め、こういった他国間の微妙な考え方の温度差を改めて感じた次第です。

ウクライナの皆さんには是非ご無事でいて頂きたい事と、早期に状況が安定する事を切に願う次第です。

「Dessin」90年振りの再演!

10月にご案内した「絃楽合奏団B-one演奏会」にて服部正の初期の作品「Dessin」が演奏されました。先日同曲を指揮して頂いた辻本氏から当日のパンフレットと音源を頂戴いたしました。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。

B-one演奏会パンフレット

この曲は昭和6年11月の慶應義塾マンドリンクラブ第37回定期演奏会で初演され、その1年後同志社大学マンドリンクラブでも演奏されましたが、それからの演奏の実績は全く残されておりませんでした。実は当館でもこの曲の譜面は存在せず、指揮者の辻本氏が様々なチャネルを使ってこの譜面を探し出し今回の演奏に至る事となりました。

パンフレットにも当日他に演奏された日本人作品(堀 清隆氏、大栗 裕氏)との人的関係について非常に貴重な情報が記載されておりました。

実はこの初演日の服部正の自筆日記が残っており、こちらも非常に興味深い内容が書かれております。

1931年11月16日Dessin初演日の服部正の日記

内容は以下の通りです。( )は館長の追記です。
***
第37回の演奏会。感謝がある。
菅原(明朗)、武井(守成)両氏を迎ふ。
ああ僕もこれで6回目の音楽会。
実にKO(慶應)の為に何かしたと自信した。
これはうぬぼれではない。
もしソロイストとして宮田氏(元KMC指揮者、当時故人)をもってゐたら(いたら)よかったのに。
金之助氏(山田金之助氏、服部正の1代前のKMC指揮者)大いに助けてくれるので有難云。(ありがたい)
僕の曲はつまらなかった。
ファルボとストラヴィンスキ、ミラネージは大失敗。
あとで明朗(菅原氏)達とお茶をのむ。
楽しい苦い思いで。
***


この文の「つまらなかった僕の曲」がまさにこの「Dessin」なのです。どうも服部正はこれ以降この曲の再演はおろか、譜面も自宅に留め置かずに放りだした可能性が高いと思われます。
またここに出てくる「ストラヴィンスキー」の作品はKMCの資料から類推すると「断章」「アンダンテ」と思われ(詳細不明)、これが実に菅原明朗氏の編曲によるものらしく、演奏の「大失敗」でお茶会での「苦い思いで」という下りに繋がっているとも思われます。(どう大失敗なのかは全く不明ですが、、、)

お送り頂いた音源をお聴きしましたが、まず「つまらなかった」とは思えないとても立派な演奏で、当時の服部正の感性を疑ってしまうようにも思えました。意外と管楽器、打楽器の位置づけが重要な作品のようでしたが、演奏も実にバランスの良い響きを出しておりました。

この度の演奏会における服部正作品の扱いも含め、改めて辻本氏をはじめとするB-one関係者各位の熱意に心より謝意を述べたいと思います。
本当にありがとうございました。

服部正初期の作品の演奏会のご案内

昨年演奏予定であった「Dessin(デッサン)」が新型コロナウィルスの影響もあり演奏会自体が中止になりましたことは以前お伝えいたしました。お取り上げ頂いた「絃楽合奏団B-one」殿におかれましては大変敬意を表しておりましたが、この度再度演奏会復活にあたり、再びお取り上げ頂く事になりました。ここに心より御礼を申し上げるとともに、皆様にもご視聴の機会を賜りますようご案内させていただきます。

    B-one第17回演奏会の入場券

詳しくは当合奏団にお問合せ頂ければと存じますが、11月13日(土)18:30開演、クレオ大阪東 大阪のJR、京阪線の京橋駅 、Osaka Metro 長堀鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅至近と聞いております。

指揮をして頂く辻本様には以前も服部正の作品「斑蝶」の再演で大変ご尽力いただき、今回もこの曲の90年近く経った掘り起こしを実現頂きました。
服部正自身は1936年以前の作品については生前はほとんど封印しておりましたので、こうやって再演をして頂く事には非常にありがたく感じております。

演奏会の成功を心よりお祈りしております。

服部正、学生に宛てた手紙

服部正が最も忙しかった昭和40年頃までが過ぎると、多少余裕が出てきたのか慶応義塾マンドリンクラブを中心に学生たちに盛んに「はっぱをかける」行為が増えてきたようです。
今回OBの方から当時の手紙のコピーを頂戴致しました。いわゆる「檄文」とでもいう物でしょうか。

学生に宛てた「檄文?」コピー

一つは当時NHKが積極的に推進していた「青少年音楽日本音楽連合」、いわゆる「ジュネス」と呼ばれた活動で、当時の大学の音楽系クラブに所属していたメンバーが一堂に会して演奏会を行うといったイベントで、服部正がマンドリン合奏部門を指揮する事になった際の各大学マンドリンクラブ宛に送った書状です。
要は、同じコンサートで出演する「管弦楽」「合唱」のメンバーは非常に精鋭揃いで出演にも「狭き門」と言われるのに対し、「マンドリン」が多少緩いイメージが拭えず、このままではジュネスそのものからマンドリン部門が抹殺させられてしまうかもしれないという憂慮から出したと言われています。
もう一つは母校の慶応義塾マンドリンクラブ学生に宛てたコメントで、そもそものマンドリン合奏に向けての「あるべき姿」を項目に分けて書かれた内容です。
学校におけるマンドリンクラブ活動でのそれぞれの楽器の上達については、一般オケの楽器レッスンのようにどこかの先生に通っている、というケースはなかなか当時は無かったのではと思われ、ほとんどが先輩からの上位下達(?!)に任されていた部分が多かったのではと思われます。
従ってそもそものマンドリン合奏についての「うんちく」を語る人が固定されず我流での踏襲も散見され、恐らくその光景を服部正も非常に気になっていたのかもしれません。

この文章は決して今でも通用しない話では無さそうなので、ご紹介いたします。
特に下記7番、8番はマンドリン合奏に限らず一般的にも再認識が必要かもしれません。
(最後の部分がコピーからはみ出してしまいましたので、想定で追記しております。
 又、漢字等一部変換しております。)

KMCの諸君、諸嬢に期待する8項  服部正

1.調弦は何を措いても正確である事 !
 (調弦の不正は調音の狂ったピアノと同じなり)
2.楽器を持った時、その響板は体面と並行である事。
 (響板は絶対に上向きにならぬ事)
3.ピックは弦を直角に叩く事。薄いピックは無用。
 (斜めに叩く事は絶対に ×
4.弦を抑える左手の指を指板から速く離すことは余韻を消すことになるので、
  音色は冴えず、マンドリンの余韻の美しさが消え、
  マンドリン音楽の魅力と特色が失われる。
  美しい余韻を響かせるスタッカト奏法を工夫せよ。
5.マンドラ、マンドローネ、マンドチェロの低音弦は太いので、
  この太さに耐えられる厚めのピックが必要である。
  弦の太さに適切な厚いピックを用意する事。
  又、弦の太さに応じてトレモロの速度を変える事が望ましい。
  太くなればトレモロの頻度は減らす事が望ましい。
6.ギターの左手の握力は絶対に強くなければならぬ。
  又、コードでなく、メロディをを演奏する場合は左手のヴィブラートが必要である。
  特にギター奏者は自ら演奏するサウンドがオーケストラの合奏者に美しく
  溶け込む事が望まれる。
  フレットの左手の位置をよく留意して、音色の変化を自由に表現して欲しい。
7.自らの演奏する音が合奏全体の音響に融けこんでいるか?よく確認してほしい。
8.美しい合奏音を実現するためには自分の演奏音が極めて効果的に合奏音の中に
  融け込む事が必要である。
  その時初めて最高のマンドリン合奏〔が実現できる。〕(〔〕内想定文)

本書状をご提供いただいたOBの方にこの場を借りて御礼申し上げます。
ありがとうございました。

40年振りの服部正作品の再演!

以前ご案内した「KMC三田会第9回定期演奏会」が去る8月8日に東京オペラシティタケミツメモリアルホールにて行われました。
この演奏会は本来は昨年の8月に実施する予定だったものの「新型コロナ感染症」の蔓延により中止され、今年に延期されたものですが、一部演奏曲目も変更され開催の運びとなりました。

KMC三田会第9回定期演奏会パンフレット

以前ご案内した通り一部プログラムの変更により、今回の演奏曲目は服部正の作編曲が主となりました。
特に初演から40年前後経ってからの久しぶりの再演曲が2曲含まれており、演奏者も来場者も懐かしい思い出とともに演奏に浸って頂きました。

一つは久保光司氏の指揮による「シューベルト 交響曲第7番ロ短調「未完成」」全曲で、この曲は1984年に慶応義塾マンドリンクラブ定演にて初演されてから37年振りの演奏となりました。
もう1曲は小穴雄一氏指揮による「ガーシュウィン ラプソディー・イン・ブルー」で、こちらは1977年の初演後翌年のアメリカ演奏旅行にて演奏されましたが、それ以来43年ぶりの演奏です。

どちらもメンバーの中にはこの初演等に参加していた人もいましたが、さすがに40年前後経つと皆さんなかなか思い出すのも難しくなっており、特に速いパッセージは「学生時代ならでは」の運指に現状では追いつく事がかなりハードになってしまったようです。それでも皆さん一生懸命演奏されました。

一方で「ビギン・ザ・ビギン」「ホリデー・イン・ジャパン」、そしてアンコールで演奏された「八木節」「引き潮」は、それこそ演奏旅行での定番プログラムであり、ステージ上の皆さんは演奏しながら当時の様々なエピソードを走馬灯のように思い出されていたのでは、という雰囲気でした。

ご来場の皆様は慶応義塾マンドリンクラブOBOGだけでなく様々な方がいらっしゃっていただいたようですが、特にOBOGは昔懐かしい学生時代を思い出された方が多かったようです。
また今回の選曲は服部正の戦後作品ばかりであり、ご来場のお客様に楽しめる音楽を追求した作品が多かったものの、前記の「未完成」「ラプソディ・イン・ブルー」は服部正としての「こだわり」が強く出された編曲作品と思われ、どちらも学生からの発案ではなく服部正がどうしてもやりたいという気持ちが強かったと当時のメンバーも話しておりました。

リハーサル中のホール(上景)

今回は新型コロナ感染症対策を万全に練習から本番まで徹底して行われました。お客様も収容人員の半分以下のご案内、ステージ上も十分なソーシャルディスタンスを確保し、当然ながら演奏会終了後の打ち上げパーティも無し、非常に殺伐とした雰囲気の中、少ないとはいえお客様を迎えて公演できた事に演奏者一同感慨深く、感謝の気持ちを持って終了致しました。

ご来場頂きました方には改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

医療従事者への感謝の気持ちを改めて思い、一刻も早いコロナ感染症の収束をお祈りしたいと存じます。

服部正とアメリカ音楽

服部正は戦後から「アメリカの音楽」にかなり傾倒してきたように思われます。
一つは戦後GHQがNHKに対し放送内容をかなり厳しくチェックした事もあり、当時NHKの音楽番組でかなりの仕事をさせて頂いた関係でこのGHQとの接点が影響していたと思われます。
また、当時アメリカのムード音楽(現在ではイージーリスニングと呼んでいるジャンル)のプレーヤーとして有名な「アンドレ・コステラネッツ」が1955年に初来日しN響を振った時に、演奏会前後に日本の音楽家との接点としてインタビューに応じて頂いた時に服部正が同席する事が出来ました。この時の話が服部正の音楽観を大きく転換させたようです。コステラネッツ氏は「民衆の好む歌やメロディを新しいスタイルで編曲し、それを紹介しながらヨーロッパのクラシック音楽と融合させたコンサートを企画推進し大衆の音楽観の啓蒙をした。」という事を話されました。
それが服部正の企画した「広場のコンサート」に繋がっていき、さらにはKMC、そしてグレースノーツに発展しました。

ビギンザビギン自筆スコア

コステラネッツ氏の不朽の名作と言われたのが今回演奏するポーター作曲の「ビギン・ザ・ビギン」で、服部正も1963年にKMC向けに編曲、以来国内演奏旅行の定番プログラムとして扱われました。さらにはリチャード・ロジャースのミュージカルやフォスターの名曲等を次から次へと編曲し、KMC、広場のコンサートで披露してきました。

ラプソディインブルー自筆スコア

そして1978年のアメリカ演奏旅行時に向け新たにガーシュウィンの「ラプソディインブルー」をマンドリンでやる、という思い切った事をトライする事になったのです。
当然ピアノは無く短縮版として編曲、初演時はマンドリンオーケストラにトランペットを追加し、かなり大掛かりな演奏になりました。
その時のステージで演奏前にこの曲に対する熱意を語っていました。

1977年KMC119回定演ラプソディインブルー初演時の服部正MC
服部正所蔵ラプソディインブルースコア


服部正の蔵書にもこのラプソディインブルーのスコアがあり、表紙に自筆サインをしております。スコアの保存状態を見ると恐らく1950年代前後と思われ、ガーシュウィンが作曲しグローフェがオーケストラ版に編曲した版が世間に出てきた直後に入手したものと思われます。

コステラネッツのコメントで火がついた服部正のアメリカ音楽、これも是非ご堪能頂きたいと思います。

KMC三田会演奏会案内とホリデー・イン・ジャパン

KMC三田会の第9回定期演奏会が実施される方向で練習活動を開始しました。

KMC三田会第9回定期演奏会チラシ

8/8(開演14:00)に例年の「東京オペラシティ タケミツメモリアル」にて行われる予定になっております。
(なんと、オリンピック閉会式の日!!)

曲目は第1部が「三田会の浪漫」と題し、ドイツの作曲家ヴェルキの「ロマン的協奏曲」そして前回ご紹介したのシューベルト交響曲第7番「未完成」、第2部は「三田会の休日」と題し、ポーターの「ビギン・ザ・ビギン」、服部正構成・作曲の「ホリデー・イン・ジャパン」、そしてガーシュウィンの「ラプソディインブルー」というかなり幅広いジャンルの作品をお届けします。


今回は入場者数の制限もあるため全席指定で蜜を避ける対応とするため、チケット販売がかなり限られているようです。
当館でもとりあえず対応を検討しますが、出演者配布枚数でかなりの物量となるため、入手についてはあまりご希望に沿えない可能性もございますので、予めご承知おき下さい。(出演者にコネクションを持たれている方は早めに打診されるのもよろしいかと存じます。)

今回はそこで演奏される数々の「日本の歌」を紹介する服部正構成、編曲・作曲の「ホリデー・イン・ジャパン」を取り上げました。
この曲はまさに日本の有名な歌をメドレーにした作品で、特に慶応義塾マンドリンクラブの海外演奏旅行でこの曲は定番物として演奏していました。

昭和30年代、まだ海外旅行というものが全く一般化されていなかった時代に行われた全マン(全国大学マンドリン連盟)やKMCでのアメリカ演奏旅行がきっかけでこの作品が生まれたと言われています。「さくらさくら」に始まり「越後獅子」「金毘羅舩」「証城寺の狸林」「赤とんぼ」など日本人が改めて聞いても心地よい曲が並びます。当然海外では当時日本の事を知らない方も多く、そこで演奏される音楽も日本通の人を除けば皆さん初めて聞く曲ばかりではないでしょうか。
服部正はこういった日本の音楽を紹介するとともに、訪問した国の名曲を積極的に編曲、演奏して来場客が喜んでいただける演出も一生懸命考えておりました。

東京少年合唱隊の和服イメージレコードジャケット

この頃の日本は戦後復興期で経済・工業的にかなり落ち着いてきた段階で、ようやく文化の海外進出も徐々に光が当たってきた時の作品と言えます。
服部正はこの「ホリデーインジャパン」をマンドリンオーケストラの為に作りましたが、実はほぼ同時期に「東京少年少女合唱隊」のために日本民謡メドレーを作っていました。これも「さくらさくら」で始まり「さくらさくら」で終わる間にほぼ似たような配列で様々な童謡、民謡が並べられていました。合唱隊の方はこのレコードジャケットのように和服に着替えて歌いながらちょっとした振り付けも付けて披露していました。当時服部正はこの合唱隊の会長職も一時的にやらせて頂いたと記憶しております。どっちが先に作られたかは現状不明ですが少なくとも1960年前後であることは間違いなさそうです。


どちらの団体も1960年代に相次いでアメリカ等に海外演奏旅行に行き、当時はアメリカでも日本の学生や子供の団体が来ることが極めて珍しく、話題を呼んだようです。
その時の帯同頂いたゲストによっては中の曲が変わったりしており、ある時は「荒城の月幻想曲」をこの中に放り込んで演奏していました。

箏が入ったホリデーインジャパン(1975年114回KMC定期公演)

KMCの海外旅行の中でもオーストラリア等では「箏」を入れた演奏にもなりましたが、意外と箏の音がしっかり浮き上がりマンドリンアンサンブルと波長が合っていたようです。日本の歌曲等は撥弦楽器としてのマンドリンと合っており、現地の方も興味津々でお聴き頂いておりました。この時は「さくら」と宮城道夫の「春の海」抜粋を箏とのコラボレーション曲として紹介しておりました。
ただ、現地で一番苦労したのが「箏」の運搬で、炎天下での野外コンサートでの対応や、空港での出入国時は現在とは違った苦労があったようです。
たまたま帯同頂いたお箏の先生がとてもフランクな方だったので来場客だけでなく出演者からもとても人気を博しておりました。
そのうち海外演奏旅行も効率化を考え、その後の演奏旅行では箏を無くし、ウッドベースはエレキベースに置き換わったりしてこの曲の演奏機会はかなり減ってしまったのは明らかです。

そういえば、服部正は会社を辞め音楽家として独立した時の最初の仕事はビクターでの小学校唱歌等、子供向けの音楽の編曲等をやらせて頂いた事でした。2~30年前に培った努力とテクニックがここに再現されているとも言えそうです。
皆さんも、もしお聴きになる機会がありましたらどれだけご存知の曲が出てくるか楽しみにされたらよろしいかと思います。