まず皆さんはこの作曲家をご存知ですか?
「マリピエロ(MALIPIERO)」
ご存知だったら相当のクラシックファンか、さもなくば究極のマニアックなコレクターと言えるでしょう。
服部正の遺品の中に、若き日に購入したおびただしい譜面(スコア)があり、当然ベートーヴェン、モーツァルト、チャイコフスキー等の管弦楽作品が多数ありましたが、その中に私も今まで聴いたことのない「マリピエロ」という作曲家のスコアが4冊も残っていました。
まだ自分も若い頃に父のスコア群をちょこちょこ拝見していたのですが、「マリピエロ」という作曲家のスコアが4冊もある、というのは他の有名な作曲家のスコアでも2~3冊という蔵書を考えるとさぞかし有名な作曲家だったのかな、と勝手に当時は思っていました。しかし年を取るにつれ、いつまでたってもその「マリピエロ」という作曲家の作品と出くわした事もなく、いったい何者か?とだんだん思ってまいりました。
マリピエロは1882年から1973年まで約90年もの生涯を送ったイタリアの作曲家ですが、正直言ってヒット作はほとんど無く「知る人ぞ知る」作曲家です。なぜこんな作曲家のスコアが4冊も服部正のところにあるのか、これまた「謎」です。
可能性があるのは「菅原明朗先生」との出会いから様々な作曲家の作品の話を聞き関心が高かったものを購入した、と考えられ、そうすると菅原先生の見立てのカテゴリーがかなりマニアックであったのでは、と想像できます。
またこの4曲とも作られたのは1920年前後であり、恐らく購入したのが1920年代後半と思われるので「出来立てのホヤホヤ」状態の作品のスコアが日本に輸入されていて、食指を動かした可能性も高いと思われます。
さて、はたしてどんな曲なのか?スコアを見ても近代・現代作曲家なのでなかなか頭の中で音が再現できません。何とかCDを見つけ、こういう場合は「百聞は一見に如かず」ではなく「百見は一聞に如かず」がベストと思いスコアを見ながら聴いてみました。
正直言って「有名になりそうな曲」とは思えず、何となく掴みどころのない、でもそれほど「現代的な不可解」では無い曲でした。しかし当時はこんなCDはおろか、レコードだって有名な曲しかない時代ですから、こんな曲のスコアを買ってうつつを抜かしている服部正は、やはり「マニアックだった」のかもしれません。
同じように服部正のスコア保存譜では「オネゲル」や「ルーセル」といったフランス系作曲家や、有名な作曲家でもマイナーな曲(例えばサン・サーンスの交響曲第1番)等があり、若き日は相当菅原先生を始めとして色々な影響を吹き込まれた可能性がありそうです。
また、学生の頃の日記でも「新響(現N響)の演奏会を聴きに行った。やはりオネゲルは良い曲だ」との記載が発見され、この若さで「オネゲルに心酔」しているのははっきり言って相当「ませた」とか「偏屈」な学生と言われそうですね。
ご存じかもしれませんが、菅原明朗先生の没後 10年頃にご本人の評論集が出ていて、見ていたら、マリピエロのことがほんの少しだけ出てきました。
・「管弦楽における新傾向」(1930年)。ワーグナーやマーラーへの反動で「極度に小編成の音楽を書くことが流行している」例として、ラヴェルやレスピーギに先立ち、真っ先にマリピエロを2曲あげられています。
・また、1951年の対談で、深井史郎が自分の弟子だった頃、マリピエロに興味が有ったらしいと話されています。
・因みにマリピエロはヴィヴァルディやモンテヴェルディ作品の校訂編纂で有名だそうですが、菅原先生は、1926年に「この個性強き作家 (略) が学究の徒なるを識った」とのことです。
菅原明朗先生の影響、恐るべしです。
野口様、貴重な情報ありがとうございました。
やはり菅原先生でしたか。確かにマリピエロのスコアはあるものの、服部正はその曲を生涯演奏した形跡もなく、また当時のスコアとしては他の作曲家と比べてそれほど触りまくったとは思えないほど比較的綺麗な状態で残っていたので、結論としてはそれほど関心が高い作曲家ではなかったようでした。
このように謎が少しずつ解明されていくのは非常にワクワクしてきます。引き続き何か面白い情報がございましたらよろしくお願いいたします。
館長 服部 賢