2018年は服部正没後10年であり、生誕110周年でもあります。
服部正が生涯一途に進めてきたことが「良いクラシック音楽を皆さんに提供」という活動であり、それが「コンセール・ポピュレール(後の青年日本交響楽団)」「広場のコンサート」「グレースノーツ」という楽団運営や演奏会企画により実現されました。そのかたわら、長年指揮をしていた慶應義塾マンドリンクラブのプログラムもその方針に則った選曲で続けていました。
今年はそういった意味で「クラシックの普及」に焦点を当てて、当資料館の投稿を続けていきたいと思います。新たに当ページのカテゴリーとして「服部正のクラシックプロデュース」と題したものを作りました。
今回はそのイントロダクションとして、経過をご紹介したいと思います。
*青響期(1937年~1946年)
言うまでもなく「コンセール・ポピュレール(青年日本交響楽団)」として活動してきた時代であり、東京の大空襲の中でも地道に演奏会を開いていた頃です。
*広場期(1956年~1959年)
服部正が最も活躍していた時期での一連のコンサートプロジェクトです。ダークダックス、中原美紗緒等との関係が確立された時期です。
*晩年期(1970年頃~1993年頃)
グレースノーツやKMCの活動を中心に様々なジャンルの音楽も取り込みながら積極的に演奏会、録音、演奏旅行を繰り返して活動していた時期です。
服部正の17歳の頃の日記が残っていますが、この頃からクラシック音楽に傾倒してきました。それがこのページでわかります。
「買ひ(い)たいレコード」と書いてありますが、当時のレコードはかなり高価なものだったので未成年がそんなに簡単に入手できるものでは無く、しかも超有名な曲ではない物も結構入っており、当時からすればかなり「ませた」音楽少年だったと思われます。例えば「死と浄化」と書かれているのはリヒャルト・シュトラウスの「死と変容」という交響詩のことであり、少なくとも今でも16歳の青年(少年?)が買いたくなるような曲とは思えず相当「オタク」的選曲です。
こういったバックボーンで育った服部正として、青響期に始まる演奏会の選曲についても既にかなりの知識が入っていたものと想像できます。
このコーナーでは分かっている限りの過去のコンサートの選曲から皆様にも「クラシック入門へのヒント」になれるようなガイドにしていき、服部正が目指していた物にも近づけていけたらと思っております。
是非お付き合いください。