服部正の自宅から歩いて1~2分という至近距離に郵便局がありました。
前にもご紹介したかもしれませんが、仙台育英高校の活躍に電報を打ちに行った郵便局ですが、当然局長さんとも非常に仲良くなり家族でのお付き合いでした。
(当時は今と違って局長さんは転勤が殆ど無く、地元とのお付き合いを重視していました。)
服部正もそもそも一般のサラリーマンと違い土曜日曜は無く、手紙を出しに行くたびに平日開いている局舎(といっても窓口3つぐらいしかない小さな郵便局)に入って一言二言会話して帰る、といった雰囲気でした。
その局長さんが気を遣って下さり、記念切手が発行されるたびにわざわざ服部家のために取り置きして頂いていました。(勿論その都度正規のお金を出して購入していました!)
当時はそういった記念切手は結構間断なく発行していたようであったため家庭内在庫は一般の切手よりも圧倒的に記念切手が多く、ちょっとした手紙だけでなく譜面の送付にも惜しげもなく記念切手を貼りまくっていました。
結局使い切れずに遺品として残されたものが結構ありました。例えばさきの東京オリンピック記念切手もしっかり残っています。
こんな切手もシートで残っていました。
これは1978年(昭和53年)に「ラジオ体操50周年記念」という事で発行されたそうです。
面白かったのは、ラジオ体操の曲を作った張本人が郵便局長の気遣いで取り置きされた切手を、特に意識せずに郵便局から買って持って帰っている光景を想像してみる事です。
そもそもこのラジオ体操は「逓信省(郵政省の前身)」の委嘱を受け作ったのですが、そういった記念切手が発行されるならば郵政省から何らかの話があったのでしょうか?それについては真実は分かりません。
確かに昭和53年の50年前は昭和3年で、当時はまだ慶応マンドリンクラブにいた学生の頃で最初のラジオ体操は当時の作曲家が作曲されたのだから服部正とは関係ないでしょう。
そんな事も気にする事もなく、郵便局から帰ってお茶を一杯飲んでからまた譜面にむかいに部屋に入って行く姿が彷彿とされます。
この切手はしっかり保管しておきましょう。