プロの作曲家として活動を始め、ようやく音楽界に名を知られるきっかけとなった作品です。
当時の時事新報社が主催した音楽コンクールの作曲の部門で2等賞を獲得した作品です。
それまでは放送やレコード会社の仕事をやっていたので、純粋な管弦楽作品としては第3作目と本人が書いた著書にも記されていました。
この直筆譜は完全に残されており、また相次いで作曲した「旗の子守歌」「祭の旗」を含めた「旗3部作」の譜面も比較的きちんとした状態で残されていました。
「西風にひらめく旗」の最終ページには「1935年11月17日 東京日比谷公会堂で初演」というコメントを英語で記してありました。
このコンクールでは入賞者の作品を当時の大指揮者山田耕筰氏(もちろん大作曲家でもあります)が直接指揮をとる事になっていたのですが、服部正は何を思ったか自分で指揮をするといいだしたそうです。当時の新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の方々が大変親切であったらしいと自著にも記載されていました。二等賞の賞金は当時でいう100円だったそうですが、なかなか主催者側が払ってくれず、年末に催促してやっと汚い10円札10枚が無造作に送られてきたとも書いてありました。ちなみに服部正が作曲家になる前に一瞬勤めていた金融機関の初任給が60円だそうですから、100円というのはそこそこ良い金額だったかもしれません。
表紙 冒頭 最終ページ
受賞の時の賞状。審査員が錚々たるメンバーです。(山田耕筰、信時潔、堀内敬三各氏等)