仙台育英中学校校歌(現仙台育英高等学校校歌)

宮城県の高校野球甲子園出場の常連校として有名ですが、この栄えある学校の校歌を作ったのが服部正でした。
そもそもは会津若松出身の加藤利吉氏が明治38年に「育英塾」として設立し大正2年に仙台育英学校へ移行、大正11年(1922年)に私立仙台育英中学校が開校されたとのことです。
戦後仙台育英学園として高等学校も開校、校歌もそのままお使い頂いているようです。
(Wikipedia引用)
校歌の制定は昭和5年(1930年)とされていますが、そうなるとまだ服部正が学校を卒業する前に作曲したことになります。

これを裏付けるのが服部正の昭和5年の日記に下記のような事が書かれていました。

「仙台の育英中学校の校歌を作った事に対して、非常なる感激をもって六三郎が手紙をよこしている。 -中略- しかし俺は嬉しいね。とにかく下手なのは作らなかったつもりだったが、喜ばれて見るといいものを作った様な気がする。校長さんから感謝状がくるそうである。」
昭和5年3月6日(木)の日記より(文中の六三郎とは誰なのか不明)

3日後の日記では期末試験の事を書いているので間違いなく学生時代でした。
こうなると次に沸いてくる疑問が「仙台の学校がどういう経緯で学生であった服部正に作曲を依頼したのか?」です。
さすがにこれについては現状は「謎」です。

手書きの譜面はありませんでしたが、恐らく当時の印刷されたと思われるものが残っておりました。

校歌26育英中学校01-1
校歌26育英中学校01-2

いかにもという旧字体で書かれていますが、譜面を確認したところほぼ音型は現在の校歌と同一でした。(昨年の甲子園のビデオがあったのでそれで確認しました!)
歌詞は若干変わっており、特に戦前に生まれた曲なので今に相応しい歌詞になっていました。

野球だけでなく様々なスポーツ、そして文武両道の仙台育英学園の益々のご発展を祈念しております。