社歌のご紹介 ③ 船舶関係 (その1)
島国「日本」の古くからの有益な交通手段は、まさに「船」でした。明治時代になりこういった船作りの会社が産声をあげ、船を使った商売をする事業も進んで行きました。
今回はその日本のお家芸とも言える船舶関係の会社の社歌をいくつかご紹介します。
まず「作る」方では「浦賀ドック」と「大阪造船所」の社歌を服部正が作っておりました。
浦賀ドックそもそもは1897年に「浦賀舩渠」として設立されました。(譜面表紙の下の方に「浦賀舩渠株式会社」と鉛筆で書かれております。)残念ながら2003年に閉鎖されてしまいましたが、戦前は「駆逐艦」を主に作っていたようです。今でもそのレンガ造りのドライドック跡地が横須賀市の観光スポットとして人気を集めています。
譜面からは作られた年月は分かりませんが、譜面の状態や筆跡を見る限りはこの譜面自体は戦後間もないころから高度成長期の間頃と想像できます。
作詞は大木惇夫先生であり、あの「野の羊」の作詞者として大変お世話になった方です。
しかし、どなたがお書きになったのか分かりませんが、直筆の譜面に赤鉛筆で「服部先生・・」と無造作に書いてあるのを見ると、当時は本当にこういった事におおらかな時代だったのでしょうか。
一方の大阪造船所は現在でも「ダイゾー」として活躍されております。こちらは1936年に設立された会社です。そもそもは造船業ですが戦時中にかなりの被害を受けて一旦工場の操業が中止されたそうで、戦後再起をはかり今は多角的なビジネスに取り組んでおり、「エアゾール」とか「自転車駐輪場施設」等にも実績が上がっているとの事です。
こちらは作曲時期がしっかり書かれており、1971年10月という「大阪万博」の次の年に作られたようです。
かなり服部正もこの作曲には力をいれていたのか「作詞」まで手掛けており、残された譜面を見ると、このオーケストラ版だけでなくブラスバンド伴奏や混声合唱用の譜面まで作っていました。
どのような経緯で作曲されたのかは不明ですが、大阪万博の前後で大阪もひときわ盛り上がっていた時代なので社歌でモチベーションアップを図ったのでしょうか。このオーケストラ譜面を見ても冒頭いきなりトランペットのファンファーレで始まっており、「気合」が入りそうですね。
次回は船を使って商売をする会社についてご紹介します。
本当は今回一気にご紹介したかったのですが海運業は合併・吸収が著しく、多少ご説明が長くなりそうなので次回に回させて頂きます。