KMC三田会の第9回定期演奏会が実施される方向で練習活動を開始しました。
8/8(開演14:00)に例年の「東京オペラシティ タケミツメモリアル」にて行われる予定になっております。
(なんと、オリンピック閉会式の日!!)
曲目は第1部が「三田会の浪漫」と題し、ドイツの作曲家ヴェルキの「ロマン的協奏曲」そして前回ご紹介したのシューベルト交響曲第7番「未完成」、第2部は「三田会の休日」と題し、ポーターの「ビギン・ザ・ビギン」、服部正構成・作曲の「ホリデー・イン・ジャパン」、そしてガーシュウィンの「ラプソディインブルー」というかなり幅広いジャンルの作品をお届けします。
今回は入場者数の制限もあるため全席指定で蜜を避ける対応とするため、チケット販売がかなり限られているようです。
当館でもとりあえず対応を検討しますが、出演者配布枚数でかなりの物量となるため、入手についてはあまりご希望に沿えない可能性もございますので、予めご承知おき下さい。(出演者にコネクションを持たれている方は早めに打診されるのもよろしいかと存じます。)
今回はそこで演奏される数々の「日本の歌」を紹介する服部正構成、編曲・作曲の「ホリデー・イン・ジャパン」を取り上げました。
この曲はまさに日本の有名な歌をメドレーにした作品で、特に慶応義塾マンドリンクラブの海外演奏旅行でこの曲は定番物として演奏していました。
昭和30年代、まだ海外旅行というものが全く一般化されていなかった時代に行われた全マン(全国大学マンドリン連盟)やKMCでのアメリカ演奏旅行がきっかけでこの作品が生まれたと言われています。「さくらさくら」に始まり「越後獅子」「金毘羅舩」「証城寺の狸林」「赤とんぼ」など日本人が改めて聞いても心地よい曲が並びます。当然海外では当時日本の事を知らない方も多く、そこで演奏される音楽も日本通の人を除けば皆さん初めて聞く曲ばかりではないでしょうか。
服部正はこういった日本の音楽を紹介するとともに、訪問した国の名曲を積極的に編曲、演奏して来場客が喜んでいただける演出も一生懸命考えておりました。
この頃の日本は戦後復興期で経済・工業的にかなり落ち着いてきた段階で、ようやく文化の海外進出も徐々に光が当たってきた時の作品と言えます。
服部正はこの「ホリデーインジャパン」をマンドリンオーケストラの為に作りましたが、実はほぼ同時期に「東京少年少女合唱隊」のために日本民謡メドレーを作っていました。これも「さくらさくら」で始まり「さくらさくら」で終わる間にほぼ似たような配列で様々な童謡、民謡が並べられていました。合唱隊の方はこのレコードジャケットのように和服に着替えて歌いながらちょっとした振り付けも付けて披露していました。当時服部正はこの合唱隊の会長職も一時的にやらせて頂いたと記憶しております。どっちが先に作られたかは現状不明ですが少なくとも1960年前後であることは間違いなさそうです。
どちらの団体も1960年代に相次いでアメリカ等に海外演奏旅行に行き、当時はアメリカでも日本の学生や子供の団体が来ることが極めて珍しく、話題を呼んだようです。
その時の帯同頂いたゲストによっては中の曲が変わったりしており、ある時は「荒城の月幻想曲」をこの中に放り込んで演奏していました。
KMCの海外旅行の中でもオーストラリア等では「箏」を入れた演奏にもなりましたが、意外と箏の音がしっかり浮き上がりマンドリンアンサンブルと波長が合っていたようです。日本の歌曲等は撥弦楽器としてのマンドリンと合っており、現地の方も興味津々でお聴き頂いておりました。この時は「さくら」と宮城道夫の「春の海」抜粋を箏とのコラボレーション曲として紹介しておりました。
ただ、現地で一番苦労したのが「箏」の運搬で、炎天下での野外コンサートでの対応や、空港での出入国時は現在とは違った苦労があったようです。
たまたま帯同頂いたお箏の先生がとてもフランクな方だったので来場客だけでなく出演者からもとても人気を博しておりました。
そのうち海外演奏旅行も効率化を考え、その後の演奏旅行では箏を無くし、ウッドベースはエレキベースに置き換わったりしてこの曲の演奏機会はかなり減ってしまったのは明らかです。
そういえば、服部正は会社を辞め音楽家として独立した時の最初の仕事はビクターでの小学校唱歌等、子供向けの音楽の編曲等をやらせて頂いた事でした。2~30年前に培った努力とテクニックがここに再現されているとも言えそうです。
皆さんも、もしお聴きになる機会がありましたらどれだけご存知の曲が出てくるか楽しみにされたらよろしいかと思います。