服部正初期の作品の演奏会のご案内
昨年演奏予定であった「Dessin(デッサン)」が新型コロナウィルスの影響もあり演奏会自体が中止になりましたことは以前お伝えいたしました。お取り上げ頂いた「絃楽合奏団B-one」殿におかれましては大変敬意を表しておりまし...
昨年演奏予定であった「Dessin(デッサン)」が新型コロナウィルスの影響もあり演奏会自体が中止になりましたことは以前お伝えいたしました。お取り上げ頂いた「絃楽合奏団B-one」殿におかれましては大変敬意を表しておりまし...
当資料館に「奏でる!Mandolin」という季刊雑誌から寄稿依頼があり、このたび2018年秋号に載せて頂きました。 この雑誌はマンドリン奏者、マンドリン合奏団等で活動されている方々向けに様々な記事、演奏会の...
もっとお客様が喜ぶ作品を作ろう-そう決めた服部正は、作った曲の紹介、お客様に喜ばれる音楽の演奏を実現するために、どうしても演奏会をやらねばならず、そのために苦労して管弦楽団を調達しなくてはならない事にそうとうストレスを感...
服部正が音楽家になる大きな存在が「菅原明朗」先生である事は以前も記載しました。この菅原門下の一人の作曲家として「深井史郎」という人間がおり、服部正もこの深井氏とは菅原先生のもとでよく付き合っていたとの記録が残っております...
服部正は1931年(昭和6年)3月に無事慶応義塾大学法学部政治学科を卒業、一般学生と同じく卒業論文も書いての卒業でした。 服部正の父正平は当然の事ながら息子を普通の社会人にするべく、本人の意向を聞く耳もなく自分の勤めてい...
服部正は1925年に慶應義塾大学法学部政治学科に入学しました。 前回のお話の通りマンドリンに現(うつつ)を抜かしていたため第一志望の経済学部には入れなかったそうです。 そして翌年の12月に慶應義塾マンドリンクラブの演奏会...
服部正の父「服部正平」は全国に支店網を持つ銀行の銀行マンでした。当然現在と同じように「転勤のリスク」は常に持っていました。 正平が大阪に勤めていた時に家族も全員大阪で過ごしていましたが、「門司に転勤」の命を受けてさすがに...
11/5のレクチャー&コンサートでの前段のレクチャーでは意外とKMCのOBの方でもご存知ない事も多少あったりしたので、そこそこのご評価を頂いたのではと思っております。 これからしばらくの間、この講演内容をかいつまんでこの...