60年前の今日(1月29日)南極大陸に日本の昭和基地が開設され、本日現地や関係の部署でセレモニーが開催されているようです。
実は以前譜面整理していたところ「南極観測隊の歌」というのが出てきました。
その時はそれほど印象に残っていなかったのですが、今日そのセレモニーのニュースがテレビで流れていたので思い出し、早速譜面を再確認しました。
比較的きれいな状態で残っていましたが、何とその最終ページに当時の新聞のこの曲に関する記事が貼り付けられていました。
どうもこの歌は当時朝日新聞社が歌詞を公募し、選ばれた歌詞に服部正が曲をつけた、という事のようです。
その新聞記事を一応拡大してみました。
この歌をネットで検索してみると、国立国会図書館に音源としても保管されているようです。その音源の録音は1956年11月と書いてあり、ちょうど昭和基地開設の2か月前なので間違いなくこの南極観測隊のために書かれたようです。作詞の酒井智恵子氏は恐らく一般の方であり、作詞家の勝承夫氏が補作されているようです。
多分この新聞も60年前の物であり、譜面の紙質の違いが分かるようにかなり変色していることが分かりますが、しっかりと記事内容は読み取れます。
このような記念の日にこういった記事を投稿出来た事は大変良かったと自分で勝手に喜んでおります。
私は 66歳です。私が幼少のころ良く歌いました。というのは、家は朝日新聞社の 父が柏原市 国分支店を営んでいましたので覚えています。
今、観測隊が行ってます。
頑張ってもらいたい。
自然、環境
コメントありがとうございました。当時の事を覚えていらっしゃって、しかもその歌を歌って頂いていた方がいらっしゃる事は大変心強く思います。
「地球温暖化」で南極の環境も日に日に悪くなっていくようにも思えますが、そんな中で観測隊の皆さんの地道な活躍に敬意を表し、これからも頑張って頂きたいと思います。
館長 服部 賢
私は現在76歳ですが、中学2年生の時に、南極観測隊越冬隊の帰国報告会が、大阪中の島の朝日ビルであり、聞きに行きました。その時に南極観測隊の歌の楽譜を頂き、学校で音楽の先生に弾いて頂いたことが懐かしく思いだされます。その時に別の歌で題名は忘れましたが「♬ 日の丸の旗なびかせて 地球の果ての南極に 小さなお舟で行ってくださる 勇ましい・・・・・・」と言う歌も同時に書かれていました。数年前に滋賀県東近江市に西堀栄三郎氏の探検館があり、そこに第一次越冬隊で使用された雪上車があり、特別に中にの生頂き大変感動を覚えました。76歳になっても冒険、登山、観測、等が大好きな私です。
コメントありがとうございました。
昔は「南極観測隊」のニュースは行き来するだけでも大きく取り扱われていましたが、今は様々なトピックスが錯綜しているのであまりニュースにも登場してこないのが残念です。
しかしながら、こうやって昔を思い出しながらこのような歌も覚えていて頂いた事は大変光栄です。ぜひ、後世にも当時の活躍ぶりを含めて伝承していきたいですね。
どうぞお元気で、そして様々な音楽や冒険を楽しみ続けて頂きたいと存じます。
館長 服部 賢
第一次南極観測隊を乗せた「宗谷」は晴海埠頭から出航しました。当時中央区立月島第3中学校の生徒でした。学校は晴海にありましたので、動員(?)され、「南極観測隊」の歌を歌って見送りました。特に2番の歌詞が強く記憶に残っていて、今でもふと思い出しては「嵐に耐えて~」と口遊んでいます。
コメントありがとうございました。
当時は「南極」と言うだけで未知の大冒険的イメージがあったと思います。今やこの活動そのものがあまり表舞台に出てこないのが寂しい限りですね。
しかしながらこういった事を背景に歌を覚えていらっしゃる事自体は大変すばらしい事と思います。これからも是非口ずさんで頂ければ服部正もきっと喜ぶと思います。
ありがとうございました。
館長 服部 賢
晴海港と書きましたが、当時は「晴海ふ頭」といってたと記憶しています。できれば訂正お願いいたします。