服部正が就職後40日で会社を辞め音楽の道に入りましたが、当初はアレンジ等の仕事が中心でありなかなか大舞台に立つまでには至りませんでした。
そのうち交友関係が広がりNHKのラジオでの仕事もぽつぽつ入り始めた頃に当時の「新交響楽団(現NHK交響楽団)」で指揮をするチャンスに巡り合え、その後演奏会でも指揮をすることに繋がっていきました。
最初の舞台での新交響楽団の演奏会は1934年(昭和9年)12月24日、日比谷公会堂で「プロムナードコンサート第4回」と銘打った演奏会でした。その時はL.モーツァルトの「おもちゃの交響曲」(現在では「アンゲラー」というオーストリアの作曲家が作ったとされている説が有力とか)、チャイコフスキーのくるみ割り人形組曲の他、自身が作った「音楽の花束」、堀内敬三氏の「行進曲『リズムに乗って』」が演奏されたとNHK交響楽団の記録には記されています。
その後のデータは以下の通りです。
1935年6月3日 日本青年館 太田綾子独唱日本歌曲新作演奏会(*)
1936年4月15日 日比谷公会堂 服部正作曲指揮管弦楽演奏会
1938年6月30日 日比谷公会堂 音楽と映画の会(*)
1945年10月4日 日比谷公会堂 厚生事業資金醵集のための日響演奏会
(*)服部正以外にも複数指揮者登場
この中で1936年の演奏会が服部正一世一代の作曲家リサイタルという演奏会でした。ここに「『西風にひらめく旗』を含む旗三部作」、「絵本街景色(管弦楽版)」が取り上げられています。
当時の新交響楽団は指揮者に近衛秀麿氏や山田耕筰氏を擁し、外国からローゼンストック氏等を招聘する、まさにエリート音楽集団でした。
NHK交響楽団のホームページに過去演奏会のデータが残っておりますので関心を持たれた方はご覧ください。
以下はその1936年の演奏会のデータです。