第二次世界大戦後、アメリカは駐留軍を日本に置き、政治だけでなく文化面でも様々な圧力をかけてきました。その中でCIE(民間情報教育局)が当時NHKに番組編成などの監督権を持ち服部正も放送音楽を数多く手がけていた関係でこのCIEオフィスに出入りをかなりしていたそうです。男女平等のデモクラシイ精神の普及のために「婦人の時間」という番組を作らせ、その音楽担当も服部正でした。
そして「連続放送ドラマ」をハギンズというCIEのアメリカ人が提唱し、子供用に「鐘の鳴る丘」、家庭用として「向ふ三軒両隣り」を作成する事になり、その後者の音楽を服部正が手掛ける事になりました。記録によると1947年から1953年まで1377回も続く長寿番組となりましたが、当然その音楽については数千に及ぶ作曲を服部正が毎週のように作曲していました。
当時はまだ「テープ録音」という文化が実用段階でないためほとんどが生放送であり、服部正は家で譜面を書き、放送スタジオにその譜面を持って行くという事で毎日が忙殺されていたようです。
上の一番右の冊子は昭和23年(1948年)に出版された歌集で、当時50円で発売されていました。この歌集のなかの「いきな燕も」はレコード化され好評だったそうです。
自叙伝である「広場で楽隊を鳴らそう」には上記のような事が記されていましたが、実はこの「向う、、、」の残されていた譜面が殆ど無く、ここにご紹介した譜面程度しか保管されていませんでした。数千と言われている曲の譜面はどこにいってしまったのでしょうか?
NHKから返却されていたのかも不明ですが、返却されたとしてもあまりにも多すぎるので保管場所に困り処分してしまったのかいつの間にかゴミ屋にもっていかれたのか、これも謎です。(実は昭和40年代後半まで服部正の居宅の向かいが排紙回収業、いわゆるチリ紙交換屋元締めであり、そこに行ってしまった可能性も否定できません、、、)
数少ない残された譜面に服部正のトレードマークとサインが入っているのが何となく良かったかな、と思っています。