広場のコンサートでは必ず毎回当時の美人歌手を登場させていました。
例えば初回の第1回では名ソプラノの「伊藤京子」さん、第4回は「越路吹雪」さん、第6回は「ペギー・葉山」さん等、錚々たるメンバーです。
そして第7回、8回、10回には「中原美紗緒」さんに登場頂いていますが、服部正はこの中原さんを「広場」だけでなく様々な所で重用しており、かなり気に入って使っていたようです。
歌って頂く曲はオペラアリア等のクラシックナンバーと思いきや、そうでもない曲やシンフォニーの某楽章を歌版にしたもの等、当時としては「クラシックコンサート」としては全く異質なものでした。
伊藤京子さんには「コテコテのクラシック」でなくジェローム・カーンの「煙が目にしみる」を歌って頂いたとの事、逆に(前にもご紹介しましたが)越路吹雪さんにはチャイコフスキー交響曲第5番の第2楽章を、ペギー葉山さんにはサンサーンスの有名な「白鳥」に歌詞をつけて歌っていただきました。もちろんシュトラウス、レハールのオペレッタやビゼーのカルメンの有名アリアを歌っていただく事もお願いしていたようですが、極力親しみやすいプログラムにしようという気持ちが随所に現れた選曲だったようです。
このようにそれぞれの回の歌姫をメインにしながら支えるコーラスグループが言わずと知れた「ダークダックス」でした。
服部正のオリジナル作品でそもそもマンドリン合奏用に作られた「かぐや姫」をオーケストラ版に書き直し、中原美紗緒さんとダークダックスにて広場のコンサートで取り上げた事もありました。
考えてみれば服部正にとってコンサートでの「歌曲」というのは大変重要なアイテムであり、これは1936年の唯一の自己作品リサイタルの時に始まり青響、広場に引き継がれただけでなく、慶應義塾マンドリンクラブの定期演奏会や演奏旅行でも歌手が登場する場面が非常に多く、「歌」というジャンルが人を惹きつける何かがあったと思っていたようです。自身の傑作歌曲「野の羊」もそういった背景で生まれてきたのかもしれません。