コンセール・ポピュレール発足当時はまだテレビは無くラジオも音質が悪く、クラシック音楽の番組をあまり放送していませんでした。
レコードはSP時代で高価なうえ1枚当たりの収録時間が数分という状況なので、長いクラシック曲を「聴く」ためには何枚も付け替えるという時代でした。
従って30分を越えるようなシンフォニーを耳にする機会はそれほど多くなく、聴衆もこのジャンルについては疎かったと思われます。
そんな中で、生演奏を気軽に聴けるような演奏会を目指し、その中でもシンフォニーを身近に感じるように服部正は考えました。
第1回のコンサートではベートーヴェンの「田園」を選びました。
この曲は全体で40分程度かかる曲ですが、極めてほのぼのとしたムードで始まり、小川のせせらぎ、村人の祭、雷とその後の爽やかな牧歌、という一連の平和的流れが服部正も気に入っていたようです。
当時は徐々に太平洋戦争に向けた社会情勢の変化が少しずつ見え始め、演奏会でも同盟国である「ドイツ」「イタリア」の音楽は歓迎されても、それ以外の国の音楽は「非国民」的扱いをされていたようです。従ってベートーヴェン、ブラームスやヴェルディといったドイツ・イタリア作曲家は優遇され、特にこの「田園」の「癒し」的アプローチは殺伐としてきた時代に万人に受けたようです。
服部正が好んで取り上げたシンフォニーは、他にシューベルトの「未完成」がありました。コンセール・ポピュレールの無二の友人が病気で亡くなった時に告別演奏会に取り上げたり、ポップス編成の「グレースノーツ」でも演奏可能なように編曲したり、マンドリン合奏でも唯一シンフォニー全曲の編曲をしたほどです。
「広場のコンサート」で服部正は面白いアプローチをしていました。
シンフォニーのある部分を取り出して「歌詞」をつけて歌手に歌わせたのです。
ベートーヴェンの交響曲でも第2番の第2楽章、第7番の第2楽章をダークダックスに歌って頂いた記録が残っており、服部正著の「広場で楽隊を鳴らそう」では何と越路吹雪にチャイコフスキーの交響曲第5番の第2楽章を歌って頂いたとの事が書かれていました。
やはり「第2楽章」というのは一般的に叙情的なメロディが多いので歌にしやすかったのでしょう。
広場のコンサート第8回(1958年)プログラムより
実は服部正は意外と「モーツァルト」に対してはそれほど積極的に選曲していないという事が様々な事から分かってきました。
「広場」でも「グレースノーツ」でもモーツァルトの作品で取り上げられたのは有名な「アイネクライネナハトムジーク」程度であり、シンフォニーやその他のセレナードはあまり選曲されていません。逆にハイドンの方がお気に召していたようで、国立音楽大学で教鞭をとっていた時もハイドンにかなり力を入れていたようです。
*これから「クラシック・プロデュース」カテゴリの記事には、題名に【クラプロ】と付記します。