11/5のレクチャー&コンサートでの前段のレクチャーでは意外とKMCのOBの方でもご存知ない事も多少あったりしたので、そこそこのご評価を頂いたのではと思っております。
これからしばらくの間、この講演内容をかいつまんでこの投稿でご紹介して参ります。
まずこのレクチャーの構成からご紹介します。
1.音楽家 服部正が誕生するまで
(音楽家になるきっかけと作風変遷の経緯)
なぜ服部正が音楽を仕事にする事になったのか?
副題では「父正平の単身赴任が無ければただのサラリーマンだった!?」として、どんなイベントが一般大学にいながら音楽家への道に繋がったのかをご紹介します。
2.服部正の素顔
(「音楽」と離れた時間の服部正)
まず服部正の自宅での状況を、自室のレイアウトを見ながらご紹介、趣味や食事、家庭の状況も簡単にご説明します。
3.服部正の主な作品
(当日演奏曲目を中心に)
ジャンルごとに分けて主な曲を列挙致します。
そして当日演奏した曲目を簡単にご紹介します。
4.終わりに
時期による服部正の音楽家としての動き、そして長寿で音楽活動を続けられた要因はなんであったかを最後に纏めとしてお伝え致します。
今回は、最初の部分だけ簡単に
服部正の生年(1908年)と同じ音楽家は?という事でスタートしました。
何といっても「ヘルベルト・フォン・カラヤン」と1カ月しか違わない誕生日であったこと、そして「朝比奈隆」氏とも同年生まれである事をご紹介、作曲家ではアメリカの「ルロイ・アンダーソン」、フランスの「オリビエ・メシアン」が同じ1908年生まれでした。
日本の作曲家は?という事で調べましたが1908年生まれではそれほど著名な方はいらっしゃらず、枠を広げて「同級生」(服部正は3月生まれで早生まれなので、1907年4月以降に生まれた作曲家)で調べると、奇怪なことが判明。
服部良一(1907年10月生)、レイモンド服部《本名「服部逸郎」》(1907年12月生まれ)が該当する事がわかり、奇しくも「服部」ばかりで当日の講演では会場からも失笑が!
もちろん「血縁関係はそれぞれ一切ございません」という事だけしっかり覚えていただきました!
次回は「父正平の単身赴任が無ければただのサラリーマンだった!?」についてご紹介します。