服部正は慶応義塾マンドリンクラブを率いて過去9回の海外演奏旅行を行いました。
最初の第1回目は全日本マンドリン連盟主催として他大学マンドリンクラブと合同の演奏旅行を1963年にアメリカに向け行われましたが、その後慶応義塾単独でアメリカ6回、オーストラリア1回、マレーシア1回行われました。
アメリカはほとんどがカリフォルニアであり、当時服部正と昵懇であったサンノゼ在住のピサノ博士の全面的な支援を受け、当時としては異例の「団員全員各都市短期ホームステイ」という形での演奏旅行でした。
ロサンジェルス、サンフランシスコ等の大都市からベーカースフィールド、サンルイスオビスポといったカリフォルニアのローカル都市にも行きました。
ここでも服部正は積極的に現地の人たちとのコネクションを取りながら、それぞれの都市でほとんど毎夜演奏会を実施、現地の人たちとの交流も団員全員で実現、当時の大学生としてはかなり特異で貴重な経験だったと思います。
ロサンジェルス訪問の際は必ずと言っていいほど「ディズニーランド」でのステージが組まれており、演奏終了後はギャラの代わりに園内のアトラクションに乗れるチケットを団員全員に配っていただき、充実した1日をおくることができました。
当時は学生だけでなくOBも参加しており、そのOB達は会社に2週間ほどの休暇願を特別に許可頂き帯同することになりましたが、そのOB達のためにも服部正はそれぞれの会社の幹部にお願い状を率先して書き送っておりました。
服部正もこういった演奏旅行が単なる物見遊山だけでなく、演奏技術の向上と現地の方とのコミュニケーション力向上を見据えたプランニングをしていたと思います。
確かに同じプログラムを約2週間ほぼ毎日本番をやれば演奏技術や舞台度胸も日に日に向上していき、ホームステイの家族の皆さんや来場したお客様との会話もどんどん増えていくことができ、帰国した時は団員皆一回り大きくなったように思えました。
こういった演奏旅行では服部正は当時としたらもう60から70を超えていた年にもかかわらず、毎日元気にステージで指揮をしたりたどたどしさはあるものの英語で司会もしていたという、今から思えばとんでもないツワモノでした。
次回はアメリカ以外のご報告を致します。