服部正は戦後NHKで駐留米軍の指導のもとで番組の音楽担当をやっていたこともあり、外人と接することに決して臆するような事はなかったようです。
マンドリンクラブ関係でも何回か海外演奏旅行に行き、外国の音楽家の来日時も積極的に対応していた記録が残っています。
海外演奏旅行については後日紹介することにしますが、今回は服部正が企画したヨーロッパ音楽の旅についてご紹介します。
これは昭和43年(1968年)の夏、クラシック音楽の本拠であるヨーロッパを2週間強でいろいろ回り音楽会に行ったり音楽にまつわる名所を訪れたりする旅行で、旅行代理店が事務局となって25名集めようということで進められました。
ところが、当時はまだ海外旅行はかなり「高嶺の花」であり最少催行人員になかなかたどり着かず、とうとう人数カウントの帳尻を合わせるため服部正一家総出という事で母と私が駆り出されました。
訪問国はデンマーク、オーストリア、ドイツ、スイス、イタリア、オランダ、フランス、イギリスという、今でこそごく一般的なヨーロッパツアーでしたが、当時はかなりゴージャスなツアーでした。
参加者は音楽関係者、音楽大学出身者や一般の音楽愛好家というように多岐にわたっていたと思いますが、日本に戻ってくるまでに皆さん仲良くなって戻ってきました。
服部正はそのとき様々な場面で音楽の話を中心に参加者と会話し、名所を一緒に楽しんでました。この写真はパリのモンマルトルでの一コマです。
そのパリで自由時間の時に、フランスのマンドリン作曲家である「メニケッティ氏」にお会いすることができました。以前から手紙での親交はありましたが、お会いするのはこれが初めてでした。
服部正は英語はブロークンのたどたどしさがあり決して流暢ではありませんが前記の通り進駐軍との付き合いもあり何とか通じていたものの、さすがにフランス語はさっぱりで、通訳を介しての面談でした。とはいえ、お互い非常に喜びあってのひと時を過ごせました。
実はそのメニケッティ氏はその翌年に他界されたので、本当にラストワンチャンスだったわけです。
結局、こういった類のツアーはこれが最初で最後でした。
服部正も人付き合いは好きではあるものの、どうもこういったツアーの親分になるのはあまり性に合っていなかったのかもしれません。まだ「演奏旅行」の方が体に馴染んでいたのでしょう。