服部正はオペラというジャンルにも作品を残していました。一番有名でもあり、今でもたまに断片を演奏して頂いているのが「真間の手古奈」という作品です。
万葉集の山部の赤人の歌に、この「手古奈」は登場しますが、そもそもは昔から語り継がれた「手古奈」という美しい女性の物語だそうであり、当時安東英男氏が歌詞を編纂したものに音楽をつけた1幕ものの約50分のオペラです。文部省(現在では文科省)のバックアップも受け初演の年に200回以上上演されたとの記録も残っており、そこそこうけが良かったようです。
このオペラは青年たちを筆頭にアマチュアでも演奏できるようにしたい、という文部省の肝いりで企画されたものであり、文部省の外郭団体である「青少年音楽研究会」という組織から依頼を受けて服部正が作曲しました。
作曲はまずピアノ譜を1955年(昭和30年)3月に完成、ここに載せた譜面は1958年オーケストラ版にしたものです。その後慶応マンドリンクラブの定期演奏会のためにも編曲しています。
これによるレコードも作成され、さらにピアノ譜の冊子まで出版されました。
実は服部正の著書に、この作品が生まれるまでの裏話が載っておりました。
昭和30年1月末に当時青年音楽研究会の委員でもあった菅原明朗先生(服部正の唯一の師)と制作、作詞者ともどもやってきてこの作品の依頼をされたのでした。
その依頼は「1ヶ月で作成し、3月末までに印刷納本」というオペラを作るにはとんでもない要求でした。要は「その年の会計年度に間に合わせなければならない」という無謀な納期の要請でした。しかしながら師である菅原先生から頼まれた以上断りづらく、引き受けてしまった、との事です。恐らく様々な人に頼んでも良い顔をされず、菅原先生も「服部正の早書き」を期待していたのでしょう。
2週間悶々としながらも残りの2週間で一気に書き上げたところは服部正の面目躍如です。
(しかもその頃は他にも様々な仕事があり、特に別ページで記載している「お話出てこい」が毎週のように納期に迫られている環境の中での作曲です!)
面白いのは「3月末までに納めなければ予算が消化できない」という背景が、今も昔も変わっていないような気がしてなりません。
オペラの出来も良かったのですが、このお役所関係の皆様はそれよりも「間に合ってよかった」というのが一番の気持ちではなかったのでしょうか。