服部正作品のコンサート紹介(第4報)

実は大事なコンサートがあった事を失念しておりました。関係者には深くお詫び申し上げます。

オルケストラ”プレットロ”東京という団体が長く活動しており、9月22日に第15回定期演奏会を開催されるはこびとなっております。
ここで服部正のマンドリン作品としては最長、最大の曲とも言われている「人魚姫」を演奏していただくことになっておりました。すでに次の土曜日ということなので、大変急で申し訳ございませんが、是非ご都合のつく方はご来場いただければ幸いです。
この「人魚姫」はアンデルセンの物語を題材にした歌唱付きマンドリン作品で、一連の服部正の「お姫様」シリーズのスタートとなった曲です。1955年の作曲で既に60年以上経って、しかもソプラノ、テノールのソリスト、そして混声合唱という大変大がかりな作品なのでなかなか演奏会に乗せて頂くのにご負担がかかるのですが、慶応義塾マンドリンクラブOBの方が様々な地域等でマンドリンアンサンブルを組織されていると、結構この曲を選曲していただく事が少なくないと思われます。大変光栄に存じます。

9月22日(土)14時開演
杉並公会堂(荻窪)大ホール

 

 

 

 

 

また、10月7日(日)に毎年恒例のALL KMCコンサートが第55回目の演奏会を迎える事になりました。いつもご紹介している通り、慶応義塾中等部から高校、大学だけでなくOBまで老若男女問わず参加する年1回の大イベントです。
ここでは服部正の純粋な作品は特に取り上げられませんが、OBの三田会のステージにて「リスト ハンガリー狂詩曲第2番」という有名な曲の服部正のマンドリン編曲版を演奏する予定にしております。
この演奏会のチケットは当資料館でもお取次ぎ致しますので「お問合せ」経由でご連絡頂ければチケットの確保をさせて頂きます。
ただ、この演奏会は極めて長い時間をかけそれぞれの学校が演奏するので、全部お聴きになるには時間、体力が必要ですのであらかじめご承知おき下さい。

10月7日(日)16時開演
すみだトリフォニーホール(錦糸町)大ホール

インタビューの成果!「黒澤明全集」に掲載

前回のこのページにてご紹介した「インタビュー」関連書籍として購入手配をしていた全集「黒澤明」第1巻が到着しました。

岩波書店 全集黒澤明第1巻

この全集は黒澤監督の作品それぞれのシナリオ集がメインで、黒澤氏の随筆や関連する記事を盛り込み全部で6巻に亘るようです。第1巻は「姿三四郎」から「虎の尾を踏む男達」までの1943年~45年という戦争真っただ中の作品が収められています。

早速ざっと頁をめくってみましたが、どうも対談集的なものは見つからず、「没になったか、、、」と最後のページに辿り着いたら小さな四角の囲いに「製作余話」というコラムが目に入り、中に「音楽を担当した服部正談」というコーナーを見つけました!確かにテープに収められていた内容の話が記載されておりました。


1時間余の録音で、ここに登場するのはせいぜい2~3分程度の内容でしたが、まあ今も昔も変らない編集作業のようですね。

「わが青春に悔いなし」とか「素晴らしき日曜日」については第2巻だそうですが、黒澤氏と服部正の対立構造が見え始めた頃なのであまりプラスの内容は書かれていない可能性があるので、第2巻の購入はどうするか考え中です。

上記の「服部正談」の内容をこちらに転載します。

「あれはお能の『安宅』だから、謡が不自然にならない様に洋楽にする点で苦心があったが、うまくいったと思う。実に洒落れた映画だ。役者もよかった。特にエノケンはすごかった。黒澤さんの音楽に対する注文は細かかった。その頃の映画はここに何分位の長さの音楽を入れてくれ、というのが普通の注文だったが、黒澤さんのは内容から、音楽をどういう風に使うかという点を深く吟味した。他の監督とは違っていた。
当時はPCLといって技術的にも最先端を行っていたから、オーケストラも専属だったし、仕事はやりやすかった。勿論、今と比べればテープもないし不自由な時代だったが、徹夜が続いても皆、熱心に働いた。仕事にノッていた。」

余話
この「虎の尾を踏む男達」は当初「桶狭間の合戦」をテーマにした「どっこい、この槍」という映画を作る予定が、まさに戦争中のため「走れる馬」の調達が出来なかった、という事で、主役の大河内伝次郎、エノケンをそのまま使ってこの「安宅関」の勧進帳のテーマにした、というエピソードも載っておりました。そして能、歌舞伎とは違う「ミュージカル風」にした事が大きな特徴で、服部正の面目躍如だったのかもしれません。

見つかった!服部正のインタビュー肉声テープ!!

今まで様々なレコード、CD等が遺品として残されていましたが、その他にもカセットテープがいくつか残っておました。
それまでは「音楽作品のテープ」とばかり思っていて、ほとんど見向きしなかったのですが、実はそのうちの1本が出版会社とのインタビュー録音だったことについ最近気づきました。
そのテープには「岩波、黒澤全集のため」と書かれたシールが貼ってあり、早速聞いてみると1987年5月の収録で服部正の肉声がはっきりと入っていました!年にして79歳の頃であり、まだ慶応義塾マンドリンクラブの指揮をしていた頃でした。

どうも黒澤明監督の全集を作るにあたり、関係者へのインタビューをその出版社が行っていた物と思われ、恐らくその録音のテープをコピーしていただいたものと思われます。
以前にもご紹介した通り「虎の尾を踏む男達」「わが青春に悔いなし」「素晴らしき日曜日」の3作品で黒澤監督とお付き合いしたわけですが、そのテープでは表裏で約1時間に亘り黒澤監督とのエピソードを語っていました。

最初は服部正が作曲家になったきっかけや、戦争に召集されながらも兵役免除になったいきさつ等の雑談でした。

その後、黒澤監督との仕事の話になり、「虎の尾・・・」については服部正も「あれは傑作」「自分でも良い作品が出来た。」と語っていました。ただ、その後の2作については、かなり黒澤監督の音楽に対するこだわりが強く出てきた事もあり、服部正も対応に相当苦慮した事を話しており、結局この3作で黒澤作品とのコラボレーションは終わった、との事でした。

気になったので通販でこの「黒澤全集」を探してみたところ「中古」で1冊見つけ、早速手配してみました。
このインタビューの内容と書かれている内容がどこまでリンクしているか、本の到着が楽しみです。

服部正の肉声がある程度分かるレベルの録音でしたので、今回雑談の部分を数分だけご紹介します。
ちょうど服部正が生命保険会社に入社してから菅原明朗先生により音楽家を目指す事になったいきさつの話をしている部分だけですが、服部正の肉声にご関心がある方、以前音楽の関係で服部正と接点があり久しぶりに声を聴いてみたい、という方は是非聴いてみて下さい。

関東大震災の日記(再掲)

2年前の同じころ、本資料館で関東大震災の時の日記をご紹介しました。
今回再掲させて頂きます。

 

大正12年、西暦1923年9月1日(土)の日記です。(右側が9/1)
もう95年前になります。
左上の「天気、寒暖」は「晴 暑」と書かれています。

本文「今日は土曜日でうんとテニスをしようと思っていたが暴風雨でおぢゃん(おじゃん?)になった。ひるから行こうと昼めしをたべ終るとガタガタグラグラドンドン左右上下動。古今未曾有の大地☆☆☆☆☆。テーブルの下に入ってふるえていると そのうちにシンドウにワレテオチル☆☆☆☆ヒラク☆☆☆☆はおちた。夕方まで数回強☆☆。瓦はおちかべおちさんたんたるもの。しかしけがのないことを感謝する。」
上段「この地震は大島のかんそくだからまたもり上がるだろう。その時はもっとひどかろうと心心キョウキョウ」
(☆は判読困難、送り仮名、漢字等は極力原文のままです。前回より判読範囲が広がりました。)

服部正15歳中学生で、父の単身赴任で大阪から東京に戻り2年目ぐらいの頃でした。まだ音楽というものにそれだけの関心が無くテニスに明け暮れたころの服部正ですが、徐々に風化しつつあるこの関東大震災の記憶を再度この日にご紹介しました。
明治、大正、昭和、平成と生きた服部正として、この「関東大震災」「太平洋戦争」という東京地区を揺るがす大惨事を目の当たりに体験した服部正の記録の一つです。

100年近く経っても相変わらず自然災害で犠牲者が出ている昨今、再度防災対策について自分自身が真剣に考える事が必要である事を思った次第です。

服部正作品のコンサート紹介(第3報)

先日の慶応義塾マンドリンクラブ演奏会で本年の服部正の自作作品が演奏されるコンサートは最後と思っておりましたが、ここに朗報が入ってきました。

この資料館を通じて連絡を取らせて頂いた方のお一人で「絃楽合奏団B-one」の指揮者でいらっしゃる辻本様から服部正の作品のお問合せを頂いておりました。
何回かやりとりした中で服部正の初期のマンドリンオーケストラ作品の「斑蝶(まだらちょう)」という曲にご関心を示されたようで、なんと今年の11月の「絃楽合奏団B-one」第14回定期演奏会にてこの曲を取り上げて頂くことになりました。

この「絃楽合奏団B-one」は関西地区(大阪、京都等)に本拠を置いて関西の社会人マンドリンオーケストラとして活発な活動をされているとの事で、京都の「同志社大学マンドリンクラブ」ご出身の方も多いと聞いております。
同志社マンドリンクラブと言えば歴史的にも非常に古く「東の慶應、西の同志社」と以前は言われていたほど名実ともに知られていた団体です。
同志社マンドリンクラブは「中野二郎先生」という大音楽家に育てられてきており、中野先生の自作、編曲作品をもっぱら演奏される事が多いのですが、今回珍しく服部正の作品を取り上げて頂きました。

この「斑蝶」という作品は昭和5年(1930年)に服部正がまだ慶応義塾大学在籍中に作曲した作品であり、慶応義塾マンドリンクラブの定期演奏会では同じく昭和5年5月に「故宮田政夫氏追悼演奏会」と銘打った演奏会にてプログラムに載せられました。
当時の直筆の譜面がまだ残っております。

この曲の編成で管楽器の扱われ方が珍しく、フルートの他にオーボエ、バスーンというダブルリード楽器を使っていました。シングルリードのクラリネットを使わなかった理由は現状では不明ですが、当然マンドリンクラブにはオーボエ等の部員はおらず慶應の「ワグネルソサエティオーケストラ」の協力をあおいだものと思われます。

この曲もなかなか再演される事無く今日まできており、是非この演奏を耳にしたいと思っております。

11月10日(土)18:30 京都の「京都市国際交流会館」イベントホールにて開かれるとの事ですので、ぜひ関西地区にお住まいの方はお聴き頂ければ幸いです。
(もちろん関東地方等の別地域の皆様も機会があれば是非ご来場ください。)

服部正没後10年、生誕110年を締めくくる演奏会としてとても期待しております。
辻本様、絃楽合奏団B-oneの皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。そして演奏会の成功を祈念しております。

新発見!服部正が室内楽(クラリネット五重奏)を作っていた!!

この資料館を通じてご連絡を取らせて頂くようになった「ミッテンヴァルト」の代表 稲原様から先般メールが来て、「是非お見せしたいものがある」との事でお会いして参りました。
この「ミッテンヴァルト」は知られざる日本の作曲家の室内楽作品を掘り起こし、CD等で音楽愛好家等にご紹介していく、という大変意義のある活動をされていらっしゃいます。
そして先日お暑い中上野にてお会いしましたが、その時に持ってきていただいたのが「服部正作曲 クラリネット五重奏曲『鳥』」という曲の自筆スコアのコピーとMIDI化した譜面でした。

聞くところによると、稲原氏がNHKの所蔵物を念入りに調べ見つけ出したとのことであり、NHKの電子ファイル化されたスキャニング譜面のコピーを頂戴してきたとの事です。コピーを見る限りでは服部正の筆跡そのものであり、NHK(日本放送協会)と書かれた五線紙に万年筆で書かれ、譜面にはNHKの管理番号が付された印が押してありました。

まずびっくりしたのが「室内楽」それも「クラリネット五重奏曲」という、ある意味服部正が書くとしたらはるかに遠いクラシックジャンルの作品があった事です。
譜面の筆跡を見る限り、昭和30年前後と思われ、「鳥」という題名で各楽章にそれぞれ「鷲」「孔雀」「隼」と鳥の名前が副題として付けられていました。
過去服部正は「鶯」やその後「鷺の歌」を含めた「鳥の組曲」等、「鳥」にまつわる作品をいくつか作っており、この曲の副題については「さもありなん」と感じましたが、ここでまた「謎」が出てきました。

まず、何がきっかけでこの作品を書いたのか?NHKの五線紙に書かれ、NHKがしっかり電子ファイルとして所蔵管理しているので恐らくNHKからの依頼と思われますが、何かの番組関係の依頼なのか等その経緯も不明です。当時服部正も個別のクラリネット奏者との親交が特に深かった事実も希薄なので、自発的に「誰のため」という事も無さそうな気がします。
また、「お話出てこい」や「ヤン坊ニン坊トン坊」といったヒット番組の譜面は用済み後作曲者に譜面を送り返しているのに、なぜNHKがこの譜面をスキャニングしてまで保管していたのかも非常に気になります。
実は作曲年代も謎であり、NHKの管理番号の印に付されている番号とこちらにある「お話出てこい」等の管理番号を照合すると確かに昭和30年頃に合致しそうなのですが、五線紙の仕様が微妙に違っているようで(例えば「日本放送協」のような旧字体使用等)管理番号の整合性も合ってないような気がしてなりません。

とはいえ、服部正にこのようなジャンルの作品が存在していた事自体が驚きであり、稲原氏のお話によれば「早速収録する手筈を整えている」との事ですので、実際の音になる事を大変期待しているところです。

稲原様、大変ありがとうございました。また録音収録とても楽しみにしております。

そして今後ともご活躍頂き、様々な未開拓邦人作品の発掘に期待しております。

慶応義塾マンドリンクラブ第200回定期演奏会、無事終了!

2018年8月4日に東京オペラシティにてKMC第200回定期演奏会が行われました。何と1100人以上のご来場を頂きました。これはホール定員の2/3以上にあたるかなりの入場率であり、ご来場いただきました方には心より御礼を申し上げます。

第1部は現役学生、第3部は卒業生と現役学生の合同演奏、そして第2部(卒業生のみ)にて以前ご案内の通り、服部正の「迦楼羅面」と「イタリアン・ファンタジー」を演奏しました。
「迦楼羅面」では最後の終わり方がやや渋いので、拍手が起こるまでに多少の間が要しましたが、その後万雷の喝采を頂戴し大変評判が良かったようです。
そして「イタリアン・ファンタジー」ではテノールの大沢一彰先生の素晴らしいカンツォーネも相まって、とても大きな拍手を頂きました。卒業生ならではの「経験」「勘」が両曲に大いなる効果を与え、しばしステージも客席も一体となった時間が持てたのではないかと思っております。
第1部、第3部も高評価を頂いたと思っており、何とかこの200回というビッグイベントがつつがなく終了することが出来ました。

演奏会終了後、打ち上げにはご来場いただいた卒業生もご参加いただき、中には100回定期演奏会でご活躍された方(要するに50年前!)や90歳を超えた超OBまでお暑い中お越し頂き、昔話や服部正にまつわるお話に花が咲きました。

8月2日の命日のすぐ後にこのような機会を得られたことは大変有難く、関係各位に心より御礼を申し上げたいと思っております。

改めまして、誠にありがとうございました。

今日(2018年8月2日)は10年目の服部正の命日です

今日、8月2日は服部正の命日にあたります。
10年前の今日の早朝に自宅で息を引き取りました。

昨日猛暑の中、東京小金井にある多磨霊園の墓地にお参りに行って参りました。

多磨霊園内、服部正家の墓

思えば10年前のこの日も非常に暑い日が続いており、訃報を聞いて駆けつけて頂いた方も、暑い中夏季正装でお越し頂き大変恐縮致しました。
介護のため自宅の1階で過ごしていたので服部正の居室の2階は殆ど使用されてなかったため、いつの間にかエアコンが故障して動かなくなってしまい、その後の遺品(譜面)整理等が暑さで非常に難儀した事をよく覚えております。

お墓の前にある「マリア像」は服部正の妻、服部冨士子が高齢になってからクリスチャンになり洗礼を受けた事もあり、置かせて頂きました。

没後10年を迎え、今年は服部正の作品が演奏、放送等で取り上げて頂く機会も幾つかあり、大変ありがたく思っております。明後日には服部正ゆかりの慶応義塾マンドリンクラブ定期演奏会(第200回)で服部正の作品を取り上げて頂きました。
さらにこの資料館を通じて今まで様々な方々との接点も出来ました。
皆様の暖かいお気持ちを改めて感謝申し上げる次第です。

来年は元号も変り昭和生まれの小生としては更に世代の推移のスピードを感じてしまう今日この頃ですが、明治生まれの服部正となるともう「江戸時代」の方に断然近い存在になってしまいますね。
そういった中で、これからも少しずつ様々な情報発信をしていきたいと思います。

皆様も是非お忘れ無きよう、今後ともご支援、ご指導よろしくお願いいたします。

コンサート・リマインダー

先般ご案内いたしました慶応義塾マンドリンクラブ第200回定期演奏会がいよいよ今週の土曜日となりました。(8/4(土)14:30開演、東京オペラシティ(初台駅)タケミツメモリアル)

 

練習風景先日土・日曜日には台風来襲にもかかわらず練習に多数メンバーが駆け付け、最後の調整を致しました。

先にご案内した通り、服部正の異なる時期の2作品がここで演奏されます。一つは服部正23歳の作品「迦楼羅面」、そして50代後半の「イタリアン・ファンタジー」。
「迦楼羅面」は音楽家デビューの頃の野心的で初々しい作品、そして「イタリアン・ファンタジー」は底抜けに明るく楽しい作品ですので、是非ご来場の上お聞きいただければと思います。チケットはまだ入手可能ですので、お問合せにてご連絡頂ければ当日会場にてご用意しておきます。(当日券2000円 全席自由)

高校野球と校歌(神奈川県北神奈川大会にて)

7月19日、猛暑のお昼に相模原の淵野辺にある野球場に行ってきました。

2018年7月19日サーティーフォー相模原球場、県立生田高校-慶應義塾高等学校地区予選大会

それも本日の試合が「慶應義塾高等学校VS県立生田高校」というカードであり、偶然ながらどちらの学校も服部正に縁がある高校です。

生田高校はまさにこの学校の校歌の作曲を担い、今でも歌い続けて頂いている学校です。

そして慶応高校は以前もご紹介した通り「慶應義塾高等学校の歌」というものを作曲しましたが、これはいわゆる「校歌」的な物ではなく、オフィシャルに「校歌」的なものは小学校から大学まですべて信時潔氏作曲の「慶應義塾塾歌」になります。

正直自分の立場としては非常に微妙であり、本日はどちらにも肩入れしないキャッチャー後ろのバックネット裏での観戦にしました。
試合は第1シードとなっている慶応高校が終始リードして、最終的に5回裏にて14対3で慶応高校がコールド勝ちしました。しかし勝利の校歌は「信時潔氏の塾歌」であり、自分の母校でありながら何となく複雑な思いになってしまいました(!?)。

終了後生田高校の応援席にお邪魔し、高校の先生やブラスバンドの生徒の方々とご挨拶しましたが、負けたとは言い大変爽やかな笑顔が印象的でした。

実はこの高校の「自筆譜」原本が保存されてなく、原本のコピーのみが服部正の保管袋に残っていました。機会があれば是非お邪魔してみたいと思っております。
両校の益々のご発展をお祈りいたします。