「消滅した高校」の校歌、でも卒業生は覚えている?!

以前このページで合併吸収等で消滅した企業の社歌についていくつかご紹介しました。今回は「今は無き」高等学校の校歌をいくつかご紹介したいと思います。

服部正は夥しい校歌、社歌を作っていましたが、その大半が昭和30年代前後から昭和50年代にかけての高度成長期の時代でした。
今回ご紹介するのは次の4校です。

まず兵庫県立大屋高等学校です。
この高校は昭和24年(1949年)兵庫県立八鹿高等学校大屋分校(定時制課程農業科1学級)として開校し、昭和50年4月に大屋高等学校と改名、そして昭和58年に廃止され大屋分校に戻り、結局最終的に平成22年にこの「大屋校」は閉校という経緯で消滅してしまいましたが、まだ兵庫県立八鹿高等学校のHPには当時の校歌が掲載されております。
校歌の譜面の表紙には「50.3.17」と書かれており、恐らく昭和50年3月17日(何と服部正の誕生日!)に作曲されたようです。上記改名された時期と符合していますね。

次にご紹介するのは新潟県立新潟女子高等学校です。
この学校は1963年に設立され、1974年に男女共学となり新潟江南高等学校と改変され、それに合わせて校歌も改訂されたようです。
歌詞が何と「サトー・ハチロー」氏であり、当時とすれば女子高としても「洒落た」歌詞を求めて同氏に依頼されたのかもしれません。譜面等にも記載がありませんが、恐らく開校時期の1963年前後に作曲されたものと想定しております。

続いてご紹介するのは東京のど真ん中、上野にあった東京都立上野忍岡高等学校です。場所的に言うと入谷駅のそばで、どうも現在の下谷警察署のあたりだそうです。現在は浅草橋に「都立忍岡高等学校」として残っておりますが、その高校のHPでは当時の上野忍岡高等学校としての沿革等の記載があまり掲載されておりません。2008年に閉校したとの記載はありますが、そもそもの開校時期や合併等の時系列データがあまり明確に出ておりません。
保存されている校歌譜面もそこそこ古いので、やはり昭和30年代前半頃の作曲では、と思われます。

最後にご紹介するのは四国徳島県の鳴門工業高等学校です。
「おっ、その高校聞いたことがある」と思われる方も多いかもしれません。それもそのはず、2002年の春の選抜高校野球で「準優勝」に輝いた高校であり、同校の出身者でプロ野球で活躍された方もいらっしゃいます。(現野球解説者で元ロッテの「里崎選手」もご出身です)
服部正の作曲した校歌で全国放送で流れているのは現在では仙台育英高校が最も有名ですが、以前はこの鳴門工業も甲子園の常連組として大変頼もしい存在でした。
1962年に創設されましたが2012年に鳴門第一高等学校と合併して「鳴門渦潮高等学校」となり、あわせて校歌も改訂されました。旧校歌は創設時のものと考えられます。

どの学校も「少子高齢化」や「都市集中化」による生徒数の減少が、閉校や合併の大きな理由の一つと言われていますが、学校の校歌は会社の社歌と違って様々なイベントが在学中に定期的に行われる度に歌われるので、校歌を覚えていらっしゃるご卒業生、関係者の方々も少なくはないと思われます。
是非そういった関係の皆様も可能な限り思い出して頂けると幸いです。

自筆譜贈呈先が明確でないので、このページでまずはご紹介させて頂きました。

 

館長
1955年 服部正の長男として東京で生まれた。                     1978年 慶応義塾大学卒業(高校よりマンドリンクラブにてフルート担当)        同年    某大手電機メーカーに入社(営業業務担当)                  2015年 某大手電機メーカーグループ会社を定年退職                  現在 当館館長として「服部正」普及活動従事       

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