レク&コン抜粋(5)最初で最後の「作曲リサイタル」

服部正が音楽家になる大きな存在が「菅原明朗」先生である事は以前も記載しました。この菅原門下の一人の作曲家として「深井史郎」という人間がおり、服部正もこの深井氏とは菅原先生のもとでよく付き合っていたとの記録が残っております。
深井氏は比較的人脈も広く当時のNHK関係者と様々なコネクションがあり、服部正もこの深井史郎氏の人脈を辿ってNHKの音楽部長との接点が出来ました。そこで現NHK交響楽団の前身である「新交響楽団」とのお付き合いも始められることが出来たようです。そこでの様々な経験等で作曲活動にも磨きがかかり、当時の時事新報社の音楽コンクール(現在は毎日音楽コンクールに継承されているとの事です。)に自身の作曲した「西風にひらめく旗」を応募作品として提出しました。時は1935年、会社を辞めてから4年後になりますが、今回は2等賞を得る事が出来ました。

当時からすれば、こういったコンクールの入賞者は音楽大学卒業生や欧米での留学経験者が常に席を占めていましたが、一般大学卒業者が受賞する事は極めて稀な事でした。
おりしも服部正はこの頃最初の結婚をし、生活を安定させる為にもさらに仕事を増やすために様々な活動をし始めましたが、その一つとしてこのコンクールでの成果を引っ提げて自分の様々な作品を世に問うべく「作曲家としてのリサイタル」を自ら企画立案推進をすることにしました。
何と前述の「新交響楽団」も担ぎ出し、今まで協演していただいた歌手や作曲家の友人の支援も受けながら、1936年4月15日日比谷公会堂で自ら指揮を振りながらこの演奏会は行われました。コンクールで入賞した「西風・・・」に新たに2曲を付けて「旗三部作」として発表、迦楼羅面、絵本街景色というマンドリン合奏のために作った曲のオーケストラ編曲等かなり本人も力を入れて作編曲をして臨んだところ、予想以上の入場者が得られ演奏会自体の採算も赤字でなく好評裡で終わったとの事でした。
しかしながら終演後の来場者の「お褒めの言葉」を聞きながら、どうも服部正は空虚な気分になったようで、自著にも下記のような言葉が記されています。

今日のお客はわたくしの個人的な関係で集まった人たちである。
もしこれがまったくの「ふり」の客で、入場料を払ってこういうものを聞かされたらどんな気持ちがするだろう。
これだけのことをするならばもっとお客の喜ぶもの、楽しむものを書くべきである。

そして最後にこう締めています。

もっと客観的な態度で聴衆の心の中にあるものを掴みだせるようになる事だ。そういう作者になろう。

そしてこれを最後に2度とリサイタルなるべきものをすることはありませんでした。

服部正はこれ以降の作風が「明るく、楽しく、親しみやすい曲」に大きくシフトチェンジすることになりました。
事実、服部正は管弦楽を中心に自らの意思で作曲をする事が殆ど無くなり、委嘱作品、様々な依頼に応える作曲家としての活動が本筋となっていきました。
演奏の面でも、それ以前(1936年4月以前)に作曲した作品を自ら取り上げる事はほとんどしませんでした。
例外として「迦楼羅面」は今に至っても卒業生だけでなく慶應の現役学生の評判が良かったこと、「絵本街景色」は慶應義塾マンドリンクラブ第100回記念演奏会に大幅に手を加えた事、「蝶々の主題による変奏曲」は作曲された当時「野心的作品」と言うよりも親しみやすい雰囲気の作品だった事が理由で再演が実現されています。

次回は、この「明るく親しみやすい音楽」の普及活動について触れたいと思います。

館長

1955年 服部正の長男として東京で生まれた。                    
1978年 慶応義塾大学卒業(高校よりマンドリンクラブにてフルート担当)       
同年    某大手電機メーカーに入社(営業業務担当)                 
2015年 某大手電機メーカーグループ会社を定年退職                 
現在 当館館長として「服部正」普及活動従事       

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