服部正の居宅と地元貢献(東京 原宿)

服部正の父、服部正平は一時期渋谷区の「穏田」(現在の渋谷区神宮前)に住んでおり、服部正も最初の結婚をするまで同居していました。
2回目の結婚で服部冨士子との新居を、その穏田から近い原宿一丁目の戦後の区画整理で出来た小さな土地を購入、建築しました。
新築時の写真が見つかりましたが、外側からも分かる「螺旋階段」を有したかなり当時としてはハイカラな一戸建てでした。(本人も写っています!)
ただ、誰が建築デザインしたのかは不明です。

今でこそ「原宿」と言えば「そんなとこに一軒家があり人が住んでいるのか?」と思われるぐらい若者の街として大変繁栄している所ですが、この写真を見ても分かるとおり当時は「かなり素朴で周囲にも何もない街並み」で静かな所でした。すぐ近くには今は暗渠となっている渋谷川も流れていました。
結局1954年頃から亡くなる2008年まで50年以上ここに住み続けましたが、新築当時は青山や内幸町等の放送局、スタジオなどの場所への移動もかなり至便で多忙な服部正にとっては非常に良いロケーションでした。

長く住んでいると地元とのお付き合いもいろいろ出てきますが、実はこのような譜面が残っていました。

 

原宿警察署署歌と原宿少年少女合唱団団歌の譜面

まず原宿警察署の方は恐らく1960年代以降の作曲と思われます。当時の原宿警察署は今の副都心線の北参道駅の近くにありましたが、やはり時々不審者が自宅の前をうろつくような恐れもあったため原宿署にはそれなりにお世話になっていたと覚えています。(「お世話になった」のは決して「悪い事」の方ではないので念のため!)そこで署歌を作ろうという事で服部正が作ったと思われます。
また「原宿少年少女合唱団」は1979年に発足したとの事ですが、その時に団の歌を作っただけでなく、その合唱団の活動にもいろいろとお手伝いをしたと覚えています。写真が見つかり、これは原宿の教会で服部正が合唱団の指揮をしている場面ですが、こうやって地元の様々なところでも何らかの貢献をさせて頂いた事が分かります。

館長
1955年 服部正の長男として東京で生まれた。                     1978年 慶応義塾大学卒業(高校よりマンドリンクラブにてフルート担当)        同年    某大手電機メーカーに入社(営業業務担当)                  2015年 某大手電機メーカーグループ会社を定年退職                  現在 当館館長として「服部正」普及活動従事       

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