「はとぽっぽの体操」でご紹介した戸倉ハル先生と服部正の出会いの曲です。
服部正は昭和6年(1931年)就職して40日で退職した後、師である菅原明朗先生の紹介によりビクターで仕事をさせて頂くことになりましたが、そのビクターから「体操に伴奏音楽をつける」という仕事を命ぜられたそうです。
当時東京女子師範学校(現在の御茶ノ水女子大学の前身)の体操の先生であった戸倉ハル先生の作られた「女子中等学校体操」に伴奏をつけることになりました。
曲は体操音楽としては珍しく「3拍子」であり、ワルツのイメージで書いたそうですが、いかにも少女たちに愛されそうな美しいワルツのメロディを採用した事が戸倉ハル先生に非常に喜んで頂けたそうで、その後戦後まで共作が続き100曲近くの作品が生まれました。
その中に前述の「はとぽっぽの体操」も含まれています。
服部正著書の「広場で楽隊を鳴らそう」では「この肉体的なリズムと音楽を結びつける作業が、その後のわたくしの仕事に多角的な発展の契機を与えるのである。」と書かれており、ここでの成果があの有名な「ラジオ体操第1」誕生のきっかけになったとも記載しています。
昭和16年の譜面にしては比較的きれいに保存されていました。
ところでこの譜面の表紙に書かれている「紀元二千六百一年」というのが気になりますね。
この年は間違いなく昭和16年(1941年)の事ですが、これは「神武天皇即位」から2600年目が昭和15年(1940年)であり、当時日本国内は「紀元二千六百年記念行事」がいたる所でやられていたらしいようです。そういった中で服部正の作曲した譜面でも、この時期の作品には「昭和」や「西暦」を使わずに「紀元二千六百年」を基準とした年号が書かれた物が散見されてます。