校歌・社歌のご紹介(6)

地域別校歌・社歌のご紹介(⑥近畿・兵庫編)

このシリーズも6回目を迎える事になりました。
近畿地方も偏りがややあり、残された譜面に「奈良県」「和歌山県」に関する作品が見当たりませんでした。「大阪府」も学校の校歌としての作品は見つからず、ただ大阪市に本社のある会社の社歌はいくつか出てまいりましたので、こちらは「地域別」とは別にいずれご紹介したいと思います。今回は兵庫県だけに焦点を当てますが、意外と兵庫県の学校の作品が残っておりました。

まずは小学校として姫路市立英賀保小学校の校歌の譜面が残っておりました。
自筆ではなく学校で印刷されたパンフレットが残っており、さらには当時校歌が出来た時の学校新聞も合わせての凝っておりました。
1955年8月に作られたという事で、偶然私(館長)の誕生年月と一緒でした。ホームページにも「沿革史」に校歌の記事を記載頂いております。

大屋中学校校歌
旧大屋高校校歌

中学校では養父市大屋中学校の校歌の譜面が残っておりました。一連の校歌作品としては比較的新しく、1975年に作られております。ホームページにもしっかり掲載されておりました。
同じ養父市に大屋高等学校があったとの事で、その校歌も同じく1975年に作られております。現在は八鹿高等学校が残っている学校ですが、ここの沿革を見ると相当分離・統合を繰り返しているようです。要するに分校を分離して独立させたもののまた統合し分校として設置。しかしながら生徒数減少のため2010年に閉校となったそうです。奇しくも英賀保小学校と同じ今井先生の作詞でした。

余部中学校校歌

実はもう一つ譜面が発見されたのですが、「余部中学校校歌」という印刷物でした。この学校も香住第一中学校として残っているものの統合・分離を繰り返して現在は存在していないと思われます。兵庫県は比較的大きく本州で南北に海岸を持つ特異な県ですが、地域的に人口と学校数との兼ね合いで、離合集散が見られるようです。

大阪府の学校の校歌が見つからないのは、恐らく大阪にも当時こういった校歌関連に長けた作曲家が多数いらっしゃり、わざわざ東京まで依頼をするまでもなかったのでは、と想定できますが、それにしてもお隣の兵庫県でこれだけの実績を作っていただいたのも面白いご縁かと思います。

館長
1955年 服部正の長男として東京で生まれた。                     1978年 慶応義塾大学卒業(高校よりマンドリンクラブにてフルート担当)        同年    某大手電機メーカーに入社(営業業務担当)                  2015年 某大手電機メーカーグループ会社を定年退職                  現在 当館館長として「服部正」普及活動従事       

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