高井戸第三小学校校歌自筆譜寄贈

高井戸という場所は服部正が最初の結婚での新居の土地でした。服部正の自著にはこう記されています。「かねてから、父が老後に田園生活を楽しむ目的で手に入れておいた土地が、東京郊外の杉並区下高井戸にあった。父はその田んぼの中の空地に、ささやかな新居を建ててくれた。28歳の冬である。」文面から換算すると1936年(昭和11年)になります。
今の高井戸は、まず「東京郊外」ではなくど真ん中であり、しかも「田んぼ」らしきものは無く閑静な住宅が並んでいます。その地に高井戸第三小学校はありました。
この学校の校歌は昭和24年(1949年)に作られましたが、なんと「ラジオ体操第一」の作曲よりも2年早い時期でした。その後いろいろなご縁があって昭和61年に同曲のマンドリンオーケストラの伴奏による録音が実現され、恐らくその頃に服部正がこの学校を訪れた記録が残っております。(下の写真は訪れた時の写真)

昭和61年頃高井戸第三小学校前に立つ服部正

私が訪れた際も門の風景がほとんど同じで、ちょうど休み時間で元気な生徒の声が校庭に溢れていました。
校長、副校長にお迎えいただき、いろいろお話を伺うことが出来ました。
この学校が創立されたのが明治34年(1901年)であり、来年がなんと創立120周年記念ということでした。沿革を拝見した限りでは昭和22年に「高井戸第三小学校」と改称されたと記されておりますので、恐らくこの機会に校歌も新たに作成されたのではと想定できます。
学校にはピアノ伴奏の自筆譜が校長室前に飾られており、その譜面は「昭和61年」と書かれていたので訪問した際に再度記譜したものではないかと思われます。当日お持ちしたのはマンドリン合奏用にアレンジした(恐らく録音のもとになった)譜面ですが、その譜面の裏に「ガリ版」刷りの校歌の印刷の紙が張り付けられており、これはたぶん作曲当時の昭和24年頃のものではないかと想像しております。

まずこの校歌の最大のポイントは「作曲」だけでなく「作詞」を服部正が手掛けたことです。しかも戦後直後の一連の校歌として歌詞まで手掛けた例としては最も古いものであり、恐らく一時期暮らしていた「高井戸」の地に対して、ある意味特別な思いを持っていたのかもしれません。
こちらに訪問する時に、服部正が暮らしていたと思われる「高井戸八幡神社」の近辺を歩いてみましたが、きれいな家が各所に立ち並び本当に静かで綺麗な街並みでした。この地の小学校で校歌が70年以上も歌い継がれている事に大変感謝とともに歴史の重みを感じてしまいました。
ご対応いただいた校長様、副校長様に対し御礼と高井戸第三小学校の益々のご発展をお祈り申し上げます。ありがとうございました。

館長
1955年 服部正の長男として東京で生まれた。                     1978年 慶応義塾大学卒業(高校よりマンドリンクラブにてフルート担当)        同年    某大手電機メーカーに入社(営業業務担当)                  2015年 某大手電機メーカーグループ会社を定年退職                  現在 当館館長として「服部正」普及活動従事       

2件のコメント

  1. 高井戸第三小学校の校歌が歌われていないとの話を友人(下高井戸の花屋の息子)から聞き、ネット検索で、玉川上水が暗渠になった頃から「第二校歌」なるモノが歌われ出したことを知りました。私は、千代田區神田小川町で1948年に生を受け、上野寛永寺の幼稚園の年中の2月に、父の転勤で札幌で過ごす事になり、昭和31年の7月から35年の3月まで高井戸第三小学校に通いました。家は玉川上水沿いにあり(下流の美宿橋際)、上水横の道が通学路で桜が美しい場所でした。校歌は正しく玉川上水を歌い上げた素晴らしい詩であったと思っています。転校当時は、校歌の作詞作曲者が服部正先生である事は存じ上げ無かったのですが、図画の写生で八幡神社に行ったときに、此が服部先生のお宅であると教えられ、初めて知った次第です。私は、その後向陽中学校・都立豊多摩高校・慶應義塾大學工学部に進み、鉄鋼会社に就職して、下高井戸の地を離れましたが、友人もかなり残っておりますので時々は懐かしくなって訪ねる都度、川の流れが失われて、所々が長細い公園になった上水跡を見る度に情けなくなりました。高校の校歌は、金田一京助作詞、山田耕筰作曲の四部合唱曲で、入学式・卒業式でも歌われますし、校歌祭でも卒業生が多数参加して歌い上げています。このサイトで山田耕筰先生が服部先生の「管弦楽のための組曲」を新交響楽団を指揮して披露されたとの話を知り、不思議な縁を感じました。小生は音楽については全くの門外漢ですが、服部先生の音楽と日本の風土、就中、玉川上水と神田上水に挟まれた地域との関係性などを語っていただければ幸いです。コロナ禍で大変な時期ですので、御身御大切に活躍されんことを祈念致しております。

    1. 湯本様
      大変過分なコメント誠に恐縮しております。ありがとうございました。
      服部正はかなり長い期間高井戸に住んでおり、第三小学校の校歌について「歌詞」まで作る「入れ込み」はそれなりの地元愛があったからこそと思います。
      服部正は一時期国立音楽大学でも教鞭を取っておりましたが、その場所はさらに上流の「玉川上水」で、偶然とはいえやはり何らかの繋がりを感じます。
      またNHKの様々な番組のテーマ音楽等も昭和30年代を中心に担当致しましたが、今でも比較的皆様に覚えて頂いているのが「自然のアルバム」のテーマ音楽で、日本の様々な自然の映像を放送する冒頭の音楽としてはとても相性が良かったのではと勝手に思っております。
      こうやって音楽を通じて昔の事を思い出したりして頂くのは服部正も本望であり、天国で喜んでいると思います。これからも是非音楽をお楽しみいただきお元気にお過ごしください。(ちなみに服部正も湯本様と同じ神田の生まれです。詳細な場所は残念ながら不明ですが、、、)
      館長 服部 賢

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