服部正の自著「広場で楽隊を鳴らそう」では、服部正はこんなことを書いていました。
「今日でも若い作曲家がオーケストラを前にして仕事をするときは、なかなかの苦労である。一寸でも、作曲家に不遜な態度や小賢しい言動があると、オーケストラはたちまちこの若者に『やき』を入れる。わざわざ譜面台の上の楽譜をさかさまにして、「これ、いったいどういう楽譜かね」となどとからかう。また「その棒じゃわからないね」と軽蔑する。そのとき若い作曲家がこのひやかしに引っかかって、ドギマギしてしまったら最後、もう指揮者の権威は地に堕ち、オーケストラは動かなくなってしまう。」
この文章は約60年前に書かれたものですが、今でも気質的には完全になくなったとは言えないかもしれません。
こういった事に対し、服部正は学生時代から相手が学生とは言えマンドリンクラブでの指揮を通じてそれなりの対処方法を身に付けていたので、大過なく仕事が出来たと書いてありました。
(「相手が年長で、職場に住みついているような古強者に面した場合はこちらが指揮者であるような顔をしてはいけないこと、音を出すのは彼らで、演奏者の気分を害する事にもっとも気をつけなければならない。気取らず、誤らず、落ち着いて、とぼけていなければ、指揮者はとてもつとまらない。」
こう読んでみると、現代でもかなり「働き方改革」で変わってきてはいるものの、会社組織の中でも何となく通じるものがありそうです。(「指揮者」を「管理職」、「演奏者」を「担当者」に読み替えてみて下さい!)
当然ながら服部正は指揮をする相手によって対応をうまく使い分けていたとは思いますが、特に放送番組の録音等の「スタジオプレーヤー」と言われる一くせも二くせもある演奏家とのコミュニケーションの取り方を若い頃から苦労して付き合っていた事は確かだと思います。
なので、アマチュア、それも自分の出身母体である慶應義塾マンドリンクラブの指揮をするときはとても生き生きとした動きをしていたのではないでしょうか。