関西学院大学マンドリンクラブが昨年創立100周年をお迎えになり、あわせて100年誌をお作りになったという事で、先日大変恐縮ながら当方にもその100年誌を寄贈頂きました。
関西学院大学マンドリンクラブには大栗裕先生という素晴らしい指導者がおられた時代も有り、関西地区でも有数の大学マンドリンクラブの活動をされていたと認識しておりましたが、100年をお迎えになった事は大変素晴らしいものとして心より祝意を表したいと存じます。
ざっと目を通させて頂きましたが、意外と服部正の記載が多くあり、また服部正の作品もいくつか演奏頂いていた事もわかり、とても嬉しく感じております。
服部正はこの関西学院大学マンドリンクラブとはそれ以前から特別な関係を持っておりました。というのも同大学ご出身の赤尾静造氏と非常に親しくしており、それもあって同大学の演奏会等にも何回か招かれ指揮をさせて頂いた記録が残っております。
赤尾静造氏は戦後一度途絶えそうになった関西学院大学マンドリンクラブを、再度演奏活動が出来るまでに持ち直すまでご苦労された功績をお持ちとの事ですが、服部正が慶應義塾マンドリンクラブ(KMC)の戦後復興させた経緯ととても似ているように思え、そういった背景もあって恐らく気心が知れた仲になったと思われます。
赤尾氏はかなり高齢になるまで、毎年2回ずつKMCの定期演奏会には大阪からわざわざ楽器をぶら下げて東京にやってきました。そしていつも演奏会の前日に服部正自宅を訪れ、夜遅くまでお酒で顔を真っ赤にしながら楽しく話をされていたのを家族として暖かく見守っておりました。(服部正も下戸ながら少量のお酒で同じく顔を赤くしておりました!)
定期演奏会ではマンドラパートの後ろの方に陣取り、都度用意されたステージ衣装を着て人よりやや大きめの音を鳴らしながら(?!)何十年も出演し続け、KMCでも「関西弁の名おじさん」として人気を博していたと覚えています。
1973年KMC111回定演(中央やや右赤尾氏)
服部正もこの赤尾氏に対して「マンドラの為のラプソディ」を1960年に作曲し、関西学院大学マンドリンクラブの演奏会で赤尾氏の独奏により初演を果しました。
(この曲についてはいずれ作品ページにてご紹介予定です。)
服部正はそれだけ赤尾氏に畏敬の念があり、それもあって関西学院大学マンドリンクラブとのお付き合いが他大学に比べて多かったと思われます。
学生側から見ても昭和25年に関西学院大学、慶応義塾大学のそれぞれのマンドリンクラブの合同演奏会が大阪で開催されて以降、この2つの大学マンドリンクラブは接点が多くなり、後の全日本学生マンドリン連盟が中心となったアメリカ演奏旅行(1963年)でもこの両校が中心的役割を担い成功に導いた、との記録が残っています。
昨今はなかなか大学生同士でマンドリン界の接点が少なく、特に距離の離れた地域の学校同士はそれが一層顕著ですが、せめてOB、OGレベルでの交流の機会はどこかで確保できていればと思います。
関西学院大学マンドリンクラブの100周年誠におめでとうございます。そして益々の今後の発展をお祈りしております。