「黒柳徹子のコドモノクニ」に服部正が取り上げられました!

実は来週の水曜日(1/20)にBS朝日放送の「黒柳徹子とコドモノクニ」という番組で服部正を取り上げて頂くことになりました。
お時間がある方は是非ご覧ください。
<1/20(水)22:00 BS朝日「黒柳徹子のコドモノクニ」>

恥ずかしながら小生もインタビューを受けました。最終的な仕上がりは一切見ておりませんのでどんな番組になっているか自分でもハラハラ・ドキドキしています。
ちなみに本HPでの「ある依頼...」がテーマになっているらしく、この番組のおかげで亡きお子様のお父様にお会いする事もできました。

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先週新たなご報告というコメントを残しました。それがこの事でした。

新年の御挨拶

皆様、あけましておめでとうございます。

本HPの年始の御挨拶投稿が遅れて申し訳ございません。
今年もよろしくお願い申し上げます。

昨年スタートしましたが、お蔭様で様々な方からご覧いただいたりコメントを頂戴いたしました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
今年もマイペースで少しずつ充実してまいりたいと存じます。

来週あたりに新たなご報告事項が控えております。
お楽しみにお待ちください。

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館長 服部 賢

横浜市立日吉南小学校校歌譜の贈呈

東急東横線の日吉駅から綱島方面の右側の住宅街の中に車窓からも見える小学校があります。
それが今回訪問した横浜市立日吉南小学校です。
12月に入りやや風も冷たく感じる日に日吉に降り立ち、小学校の方からはバスでの来校を案内されましたが小生の高校時代の通学駅であったのでちょっと早めに着き周囲の景色を懐かしく見ながら歩いて小学校まで行きました。校庭では体育の授業をやっており、寒いながらも子供たちが元気いっぱい走り回っていました。

学校に入ると校長室に案内され、校長先生、副校長先生にご対応頂きました。
聞くところ再来年で開校50周年をお迎えになるとの事で、今回の直筆譜の贈呈はグッドタイミングだったようです。(学校の校歌は開校後5年後の1972年に作曲されました。)

音楽の授業をちょっと聞いていただきたい、との申し入れを頂き、お邪魔でなければとの事で音楽室に案内頂きました。ちょうど4年生と先生がお迎え頂き、早速校歌を聞かせていただきました。
素晴らしくきれいで元気な歌声でとても感心しましたが、何よりも40余年昔に作曲された校歌を今でもこうやって一生懸命歌って頂いていることに大変感動しました。譜面からだけではなかなかイメージできなかった校歌をこうやって在校生の歌声で聞けた事は本当に幸せなひと時でした。

日吉南小学校の校長先生、副校長先生、そして授業でお邪魔した先生、何よりも大変素敵な歌声を聞かせていただいた4年生の皆さん、本当にありがとうございました。

2年後の50周年記念が素晴らしいものになることを祈念申し上げます。

校歌08日吉南小学校01-1

 

品川区立浜川中学校校歌譜の寄贈

「品川区立浜川中学校」は箱根駅伝のコースにもなっている第一京浜国道のすぐ横にある中学校です。この校歌を服部正はかなり以前に作曲致しました。
寄贈のため訪問を打診したところ「直筆譜なら校長室に飾ってありますよ。」と言われびっくり。こちらにも間違いなく直筆譜があったので、とにかく伺う事にしました。
天気に恵まれた12月の初日、品川駅から京急線に乗って立会川駅で降り、徒歩で10分足らずで目指す中学校の校門に到着しました。
受付に行こうと思ったら「坂本竜馬」の大きな像がいきなり校舎の1階に鎮座していました。
後で校長先生に聞いたところ、江戸時代立会川近辺は土佐藩の武士が住んでいたという事であり、その後立会川駅そばに竜馬の像が建てられていたそうですが新しい像を作り直したため、それまでそこにあった像を「出来れば屋根のあるところに保管してほしい」との事で、この浜川中学校の校舎の入口に移転したそうです。
校長先生、副校長先生に出迎えられ校長室にお邪魔しましたが、確かに電話で聞いた通り直筆の譜が飾られていました。譜面の書き方や文字の筆跡を見ても父「服部正」の直筆であることは間違いありませんでしたが、どうもこれは最終的に書いた正式版であり、私が持っていった物は絵で言えば「デッサン」といえるものであったようです。
どちらも本物だという事も何となく分かり、お喜び頂き受け取っていただきました。
実はこの校歌の作曲を依頼するために父が学校から頂いた「原稿用紙」に書かれた大木惇夫先生作詞の文書もお持ちしたのですが、この時の依頼者の学校の先生の連絡先電話番号の局番が何と「2桁」で書かれていたので上記の「かなり以前に」という言葉を使いました。(東京の市内局番が2桁というのは間違いなく昭和30年代前後です。)これはさすがに校長先生も初めて見られたようでした。校長室に飾られた譜面には「昭和30年8月」と書かれており、(奇しくも私の生まれた年月でした。)ここでやっと作曲年月が判明しました。
学校の統廃合や校歌の作り直しが進んでいる中で現在もお使い頂いていることに敬意を表し御礼致しました。
校長先生、皆様、ありがとうございました。

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校長室に飾られた直筆譜

浜川中学校校歌01 浜川中学校校歌02

持参した直筆譜(デッサン!?)

ある依頼・・・

今回はちょっと重い話です。

以前遺品を整理していた時に出てきた17cmレコードがありました。
そのジャケットの表裏がこの内容です。
佐藤君レコード1表佐藤君レコード2裏

幼くして天寿を全うしてしまったお子様の親御さんが服部正に作曲を依頼してきました。
「作詞・作曲 服部正」と記されていますが、このお子様の日記から服部正が音楽に合わせて言葉を選んだと思われ、作詞はこのお子様本人と言った方が良いと思います。
歌詞も、お父様の言葉も心に重くのしかかるように思えてならず、とは言うものの服部正もことさらに暗い曲にしたくないという意向があったのか、どちらの曲も長調で書かれてました。
しかしながら、この歌を聞いてしまうと目が潤んでしまうつらさを禁じえず、もし生きていたら今は多分50代の最も華々しい世代にいたのに、というむなしさを思ってしまいました。

こういった依頼を受け、一生懸命に本業でもない「作詞」のお手伝いをしながら作曲した服部正を父として尊敬する次第でした。

天国で佐藤天君、父と会っているかな?、、、

「海に寄せる3楽章」の寄贈

服部正は生前日立製作所とのお付き合いが比較的多く、工場歌等の委嘱をいくつか手掛けておりました。この「海に寄せる3楽章」は茨城県日立市にあるアマチュアオーケストラ「日立交響楽団」のために作曲した、と言われていますが、そもそもこの「日立交響楽団」も日立製作所の日立工場の文化活動団体の一つとして活動しながら地元の一般の方々も参加する一般アマチュアオーケストラとなっております。
この曲の寄贈となるとこの日立交響楽団が相応しく、事務局のある日立製作所の事業所(日立市)に8月に行ってまいりました。
オーケストラの事務局の皆さんにご対応頂きましたが、おまとめ頂いている総務部長もお忙しい中御挨拶させていただくことが出来ました。当日は譜面の他25cmLPまで当時作成されましたが、それも複数所有しておりましたので1枚お持ちしました。
そもそもこの曲は序曲「黒潮を呼ぶ歌」として1977年に作曲されましたが、その後2楽章、3楽章を作曲し「海に寄せる3楽章」として1981年に完成致しました。その痕跡が表紙にもしっかり書かれております。今回はそのスコア譜面だけでなく、オーケストラパート譜まで服部正直筆の譜面があり、まとめてお納めさせていただきました。
オーケストラのパート譜となると楽器それぞれに分けて書く必要があり、楽器だけでも十数種類存在していますが、管楽器はさらに1st、2nd等複数奏者のために書き分けることもしなくてはならず合計2~30種類の譜面が演奏には必要なものの、そこまで全部直筆で書き下ろしているのはこの作品への思い入れが相当あったのかとも想像されます。
小生もかなり以前に会社とは全く関係のないアマチュアオーケストラに所属し団長までやった経験があり、アマチュアオーケストラ運営の苦労談も織り交ぜながら事務局の皆様と懇談させていただきました。

日立交響楽団の益々のご発展をお祈りします。関係の皆様どうもありがとうございました。

社歌35-01海に寄せる3楽章-1-1 社歌35-01海に寄せる3楽章-1-2

 

マンドリン/ギター専門店「イケガク社」との交流

マンドリン楽譜の整理もある程度落ち着いたので、先日都内のマンドリン専門の楽器店「イケガク社」にお邪魔し、本ホームページの開設のご報告と今後の譜面等の情報共有のお願いをしてまいりました。
イケガク社社長の堀ノ江様にもご了解いただき、まずは本ホームページからリンクを貼らせて頂くことにもご快諾頂きました。
ということで、早速当ホームページ右側の「ブックマーク」に登録させていただきました。

服部正も大変懇意にさせていただいた楽器店でもあり、今でも全国のマンドリン愛好家にとって頼もしい存在でいらっしゃいます。
小生も学生の頃何回かお邪魔致しました。(とは言うものの小生はマンドリンクラブ在籍中は管楽器奏者だったので、残念ながら直接のお取引はございませんでした。)

イケガク社様、今後ともよろしくお願いいたします。

 

DTM作業開始、奮戦中!

DTMとは「Desk Top Music」の略であり、要するにパソコンで音楽を作ったり演奏する方法です。
実は服部正の夥しい作品譜面を、特に古い管弦楽曲等をとりあえずは音に出してみようという試みに着手しました。特にオーケストラ曲となるとプロは当然、アマチュアでもなかなか演奏して頂くようなシチュエーションには持っていく事が困難なので、一人で出来るDTMで曲の具現化をしてみようという事で、まずは服部正の出世作「西風にひらめく旗」に挑戦してみることにしました。昭和一桁の頃の作品がコンクールで入賞した、ということを思うと、当時はどんな判断基準で評価されたのかが非常に興味があり、この曲を選びました。
早速始めましたが、まずパソコンソフトの設定作業に丸一日かかりました。オーケストラのパートはこの曲でも20段の譜面が必要であり、それぞれのパートの音色、移調楽器(クラリネットやトランペットのように譜面と実際の音が違う楽器)の調整、弦楽器もピチカート、トレモロで別パートを作ったり等で音符を入れるところまでなかなかたどり着きません。
やっと2日目に音を入れ始めたものの、ソフトのオペレーションをかなり忘れてしまったのでなかなか効率的に出来ず、自筆譜1ページ分の音符を入力するのにこれも又丸一日かかってしまいました。この曲は自筆譜として71ページ分あるので、単純に計算しても3か月近くかかってしまうし、そんなに毎日続けられないので、これはかなり根気のいる仕事を始めてしまった、と若干躊躇し始めています。
ただ、この曲はともかく、ほかのちょっとした曲でも作ってみて、このホームページでもご紹介できれば、との希望もあるので、粘り強く進めて行こうと思います。

この写真は作業環境です。鍵盤型のキーボードは使わず、マウス入力が中心となります。
本物の自筆譜を横に置くと80年前の埃がまた飛び散りそうなので、PDF化したデータから必要な部分を都度プリントアウトして対応しています。

譜面整理奮闘中!

会社退職後、本格的に館長としての活動を始めるにあたり、まずは中途半端だった譜面の整理をし始めましたが、これが結構大変な事になってしまいました。
今までとりあえず服部正本人の作曲作品はそこそこ整理ができていたので、まずはクラシック音楽のマンドリン編曲譜の整理にとりかかりましたが、結構膨大な数にわたり、しかも戦前の埃のかぶった譜面がいくつも出現し狭い小生の仕事場の空気環境が悪化し、そのせいか丸一日半風邪で寝込んでしまいました。とはいうものの何とかクラシック音楽は整理できました。
面倒だったのは同じ曲でも数種類の譜面が見つかり、全く同じなのか違う場合作った年代はいつごろかという判断をするのに余計な時間がかかったこと、違う保管袋から整理済みの曲が出てきたりしたことで混乱する等、かなりシビアな仕事でした。下の写真は「サン=サーンス作曲白鳥」の2種の譜面ですが、明らかに作った年代は違うのですが中の譜面の構成は非常によく似ています。
「以前編曲したものが気に入らなく作り直したのか、前の譜面を探す時間よりももう一度編曲しなおした方が早いと思ったのか」とか考えてしまいますが、父の性格からすると後者のような気がします、、、。

北日本銀行殿行歌譜の贈呈

贈呈行脚ご紹介の順序が前後してしまいましたが、本年2月に岩手県盛岡市の北日本銀行殿にお邪魔致しました。初めて「はやぶさ」に乗りましたが、遠さを感じませんでした。
盛岡の2月はとても寒いのでは、とかなり覚悟をして出かけましたが、前日に多少雪が降ったもののそれほどの寒さは感じられませんでした。
通された応接室でお待ちする間もなく頭取が直々に応接に入ってこられ、少々緊張してしまいました。
今でも行歌をご愛用頂いているとの事で大変恐縮してしまいましたが、他の応接に額に入れて飾ってある行歌のコピーを見せて頂き更に感動してしまいました。まさに当日お持ちした直筆譜そのもののコピーであり、その原本をお渡し出来た事は大変うれしく思いました。
この銀行がもともと「興産相互銀行」と言う名の銀行だった時代に行歌の作曲を父にご依頼されたとの事ですが、その後「北日本相互銀行」そして今の「北日本銀行」と変遷するたびにわざわざご連絡を頂き、行名変更に伴う歌詞変更のご了解を都度お願い頂いていたとの事で、それだけ長くごひいきに頂けるのは大変ありがたいことです。
終了後岩手自慢のお食事も頂くことができ、寒い季節に伺ったにもかかわらず大変暖かいおもてなしをお受けすることができました。

頭取を始めとする銀行の皆様、本当にありがとうございました。

北日本銀行行歌(右は当初ご依頼頂いた時の「興産相互銀行」時代の譜面表紙)