福井銀行行歌譜の贈呈

6月のある日、梅雨の時期とはいえ好天に恵まれた日に福井銀行殿にお邪魔しました。
金沢にて業務で関係のある知人を訪れ、たまたま福井銀行殿の担当もされている、というので情報交換も兼ね立ち寄りました。(正直「北陸新幹線」に乗車するのも間接的な目的でもあり、直接福井に行く前になかば強引に日程を作ってしまいましたが、、、)
福井駅に着きましたが、日本海側独特の「フェーン現象」か異常に暑く、駅からほどない福井銀行殿本店に行くまでにもかなりの汗をかいてしまいました。
直筆の譜面だけでなく、行歌発表会の時の社内報やプログラム冊子、そしてソノシートもあったので携えて贈呈し、大変喜んで頂けました。
実はこのソノシートを持っていった事が後日ちょっとした話題になったらしく、何と福井テレビのニュースの中で紹介されたようでした。後日DVDを銀行の方から送られて来たので拝見したところ「半世紀前のソノシートの発見!」という多少大袈裟なキーワードとなってしまいましたが、大変過分なお取り扱いを頂き非常に恐縮してしまった次第です。訪問の数日後、銀行の幹部の方がわざわざ小生の会社までお見えになる等、当日もさることながらその後さらに過分でご丁寧な対応を頂きました事、いささかびっくり致しました(!?)。
福井銀行の関係の皆様、本当にありがとうございました。

社歌10-11福井銀行行歌01Piano-1社歌10-11福井銀行行歌01Piano-2

 

「キンカン」のCMソングを覚えていらっしゃいますか?

「キンカン塗って、また塗って」というフレーズを年配の方なら聞いたことがあるとおもいます。
今もまだ根強くドラッグストアに置いてあり、いよいよ夏本番を迎え、競合商品「ムヒ」と一緒に店頭に並べられているでしょう。
実は、このCMソングも服部正の作品でした。調べたら自筆譜面が出てきました。
かたや真剣な作品を書きながら、こういった軽やかな作品も同じペンで同じように書いていたようです。
キンカンの歌01

この時のCMソングを歌っていたのは雪村いずみとダークダックスだったそうで、当時とすればかなりのタレントを使っていたようです。当時の「金冠堂」の葉書も見つかりました。
キンカンの歌02

この歌が出始めたのが昭和30年代と言われていますが、当時での100cc300円というのはやや高額だったかもしれませんね。

株式会社キンカン殿訪問記はこちら。

A3プリンター購入!

譜面の整理が結構手間がかかる最大の問題は、譜面の大きさが一般的な規格でないことなのです。A4が一般的な今、父の残した譜面の大半がA4に収まらない若干大きめのサイズであり、一般のスキャナーではなかなかうまく対応できませんでした。
上からの投射式のスキャナでも部屋の明かりの影が出たりして、なかなかうまくいきません。
近くのコンビニに行ってA3をA4に縮小コピーをする等の努力をしましたが、1曲あたり数ページならまだしも、数十ページ以上の作品になってしまうとこの対応はかなりハードです。
しかも昭和中頃より以前の譜面となるとかなり紙質に問題があり、下手に移動させて持っていくとボロボロ紙の端が崩れていく恐れもあり、非常に困惑しておりました。

それを一気に解決したのがA3プリンターでした。もちろんスキャナー付きで、オートシートフィーダーも付いている優れものです。最近はこういった機能が付いている複合プリンターもかなり購入しやすい価格になってきました。これで少しずつ整理が進んでいきます。

A3printer

ここに乗っている譜面は「虞美人」です。横はB4よりほんのわずか大きいですが縦はB4よりやや小さめです。こんな大きさの譜面が相当数です。

天竜浜名湖鉄道乗車記

自筆譜贈呈日誌に書いた「掛川工業高等学校」訪問の日、早めに東海道線新所原駅まで行き、そこから「天竜浜名湖鉄道」に乗車して掛川に行くことにしました。

ローカル線ですがきれいな1両編成のディーゼルカーに乗って新所原を後にして、のんびりと車窓をながめてましたが、とにかく浜名湖がきれいに見える事が一番感動しました。東海道新幹線であっという間に渡ってしまう車窓とは違い、ゆっくりと湖面を見ながらローカル線に乗っている事は「乗り鉄」として至福の時間でした。
浜名湖と別れ山や原っぱを抜けながら目的地の掛川に約2時間近くかけて到着しました。

2013-01-24 11.12.02

目的の学校に行くまで多少の時間があったので「掛川城」まで行ってみました。
駅から歩いてもそれほど遠くなく到着しました。
1月のお昼前後、天候にも恵まれ、美しいお城が青い空にぴったりはまりました。

2013-01-24 13.53.48

掛川工業高等学校校歌譜の贈呈

2013年の1月、大変天気の良い日に掛川工業高等学校を訪れました。
この高校は昔の名前を「中遠工業高等学校」と呼び、父が作曲したのはその「中遠工業高等学校」の時代でした。
お迎えに来ていただいた学校の方に車に載せていただき、学校に着きましたが、なんとその日は「インフルエンザ発症」という事で全校学級閉鎖という状況にでくわし、ちょうど生徒の皆さんが帰校するところでした。
校長先生もマスクをされて迎えて頂きましたが「すみませんが、服部さんもマスクをして下さい。」と言われ持ち合わせていたマスクをしてお話をさせていただきました。

校歌の贈呈で学校を訪れるのは初めてであり、生徒たちと対面する事に若干の緊張を感じていましたが、インフルエンザの騒ぎでその緊張はなくなりました。(最初はブラスバンド部が校歌を演奏して迎える、とまでの大袈裟な話になりそうだったので「それだけはご勘弁願いたく!」とご辞退申し上げました。)

譜面贈呈のあと簡単に校内をご案内頂きました。工業高校という事で様々な機械の演習が出来たりする教室、パソコン等でのCADや各種デザイン等も装備されていた様子を見させて頂きました。「ロボコン」に出てくるようなロボットも置いてあり、昔子供と見に行った「ロボコン」を懐かしく感じました。

とにかくここでの一番の思い出は「お茶が美味しかったこと!」さすが掛川のお茶であり、学校で出していただいたお茶に非常に感動しました。家内が「日頃お茶の事をあまりよく分かっていないあなたが美味しい、と思ったのだから、それは相当おいしいお茶だったのね」と言われてしまいました。

掛川高等学校の校長先生、関係の皆様、ありがとうございました。

校歌6007中遠工業高校01-1

 

日立多賀工場歌、日立研究所所歌譜の贈呈

私は日立の関係会社に勤めています。業務の都合で「日立」の発祥の地である茨城県の日立市に時々お邪魔することもあります。
実は父も日立製作所とのお付き合いも長く、そこで様々な歌等の作曲の依頼を頂戴する事が多くありました。
2012年の12月、常磐線の「常陸多賀」駅隣の多賀工場(現在は日立アプライアンス社の事業所)と「大甕駅」の小高い山の上にある日立研究所にそれぞれの直筆譜を持ってお邪魔しました。
どちらも総務課の方がお相手して頂きましたが、まだ朝等で歌を流したり、イベントの際もお歌い頂いている等、大変長くご愛顧いただいておりました。直筆の譜面については大変喜んで頂き、早速社内報等でPRして頂く等、過分なご対応を賜りました。ありがとうございました。
社歌08-03日立多賀工場01-1 社歌08-02日立研究所01-1

 

 

長谷川香料殿社歌譜の贈呈

香料メーカーの大手「長谷川香料」殿を2010年8月にお訪ねしました。
たまたまよく存じ上げている役員の方とも連絡を取り、私の「自筆譜贈呈」のトップバッターとなっていただきました。その役員の方は父の後輩にもあたる方であり、音楽にも精通されていらっしゃり、この譜面をご覧になった瞬間「真にこれは服部先生のお書きになった譜面だ!」とのコメントを頂き、同席された他の幹部の皆様も大変喜ばれておりました。

本当にありがとうございました。

社歌17-05長谷川香料02-1 社歌17-05長谷川香料02-2

 

社歌、校歌の譜面をお届けします

ここのコーナーでは、服部正が作った様々な「企業社歌」「学校校歌」について、直筆譜面をその「企業」や「学校」に寄贈して回った事を記録していきます。
父の書いた直筆譜面はだいたい昭和の中期~末期の譜面がほとんどですが、特に昭和30年代頃を中心に各方面から「社歌」や「校歌」の作曲を依頼されることが多くなりました。
そういった背景で夥しい曲を作りましたが、これも保存状態が良くないのと、昭和30年代ともなると「紙」の保存にもそろそろ劣化が見え始める頃でもあります。
当家にいつまでも置いておくにしても、末代になれば単なる「不要書類」の仲間入りにもなってしまう恐れがあるため、折角の「直筆譜面」を、その曲に因んだ企業や学校に贈呈して回ろうという事に致しました。
もう既に数団体におもちしましたが、お蔭様で各所からお慶び頂いております。またそれぞれの団体様からも過分なお言葉やお気遣いを頂きました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。

是非ご一読頂ければ幸いです。

服部正の譜面管理の困惑!

館長の独り言のコーナーを作りました。
これは館長自身のブログ的なコーナーです。

私は父から特に個別の音楽教育を受けたわけではありませんが、夥しい楽譜、そしてレコード等を所有していた環境もあり、小さい頃よりクラシック音楽に浸る時間が多くありました。その結果、父と同じ慶応に入って迷うことなくマンドリンクラブに入り、いつの間にか一般アマチュアオーケストラの一員にもなってしまいました。

そんな経緯の中で自分が感じたこと、面白かったこと、感動したこと等を書いていきます。

私は間もなく定年を迎えます。その後はこのサイトの運営と、父の作品の整理、委嘱元団体との連絡等を展開する予定にしております。
父の作曲した譜面は非常に多いものの、生前の保管状況はあまりにも雑然としており、正直この整理に数年を要しました。さらにはあまりにも多すぎるので当家のスペースの問題もあり、オリジナル作品以外は残念ながら消却処分にせざるを得ず、残された楽譜をもとに細々と整理を続けています。

いずれ、こういった譜面の中から面白いものをご紹介いたします。

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自宅の服部正直筆譜面棚

館長の服部 賢です

皆様、こんにちは!

服部正WEB資料館館長の「服部 賢」です。
服部正の長男であり、現在は某情報処理会社の営業として勤めております。

服部正が亡くなって早くも7年が経とうとしております。
本来は亡くなってから2~3年の内にこういったホームページを立ち上げようとしておりましたが、本来業務が忙しくかまけてしまいました。(情報処理企業に勤めながらも、ホームページの立ち上げ方がよく分からず、後回しにしてしまったこともありますが、、、)

父、服部正は膨大な作曲をしながらも、後世に作品を残す、という気概で作曲された曲は比較的少なく、かなりの割合がいわゆる「委嘱作品」です。そのため譜面の保管状況が大変悪く、自分の一念で作曲した譜面も某放送局から頼まれたやっつけ仕事の譜面もごちゃごちゃに混ざったまま放置され、特に戦前の服部正デビュー前後の譜面はあまり残っておりません。
辛うじて残っている譜面がいくつかあり、これは館長の自宅の本棚に保管しております。
こういった物も徐々にご紹介していこうと思います。

まずは、肩肘張らず気軽に当館をご覧頂きたいと思います。

何卒よろしくお願いいたします。