JR西日本岩徳線乗車記

 日立の笠戸工場に伺う際に、本来ならば「新幹線徳山駅」から山陽本線の下松駅に行くのが一般的ですが、小生は「鉄ちゃん」だけでなく未踏の「空港」にも興味を持っていたので「岩国空港」から「岩徳線」経由で伺う事にしました。
 岩国空港は米軍基地、自衛隊基地の端っこの方に民間機用のスペースを作ったような構図になっています。民間機が往来するたびに滑走路との接続ゲートを開け閉めする珍しい光景が見られます。
 岩徳線は岩国駅から1~2両編成のディーゼルカーで徳山に向って山沿いに進んでいくローカル線ですが、本線である山陽本線よりも徳山までの距離が短く、とはいいながら時間はたっぷりかかり本数も少ないので一気通貫で徳山に行く人で岩徳線を使う人はこういった鉄ちゃんしかいないのでは、と思います。
 本数が少ないので学校の下校時刻と重なると1本の列車に学生がすし詰め状態になり、とても景色を楽しむような雰囲気ではなくなってしまいます。
 岩国からしばらくは山間をゴトゴト走っていますが、徳山に近くなるにつれ平坦になり、山陽新幹線とも併走する区間があり、瀬戸内海がみえる頃山陽本線との合流駅「櫛ヶ浜駅」に着きました。たっぷり1時間以上の旅でしたが、山陽本線を使うと距離は長いものの10分程度短い時間で到着するようです。学校の登下校時間を避ければまったりとした旅が楽しめる岩徳線でした。

櫛ヶ浜駅での岩徳線列車。

 

日立笠戸工場歌

「笠戸」という地名をご存知の方は相当の「通」でしょう。
 日立の笠戸工場というのは日立製作所が持っている生産拠点としての日本国内最西端にあたる事業所です。服部正はその工場歌をどうも1973年前後に作曲したようです。
 譜面は残っているのですが作曲した年月日が記載されておらず、同時に作られたと思われる17cmレコードの歌詞カードの隅っこに「73.4」と小さく書かれているので想定しております。
この笠戸事業所は今や日立の中では最も活気のある事業所の一つであり、それは国内だけでなく海外のいわゆる「電車」を作っている事業所です。鉄道ファンの自分としては、この事業所を訪れるのを心待ちにしており、自分の定年退職の直前にセットアップさせていただきました。
 先方の総務関係の方にご対応いただきましたが、本当にお忙しい中を1~2時間お付き合い頂きました。
 内外問わず日立のお客様でも「鉄ちゃん」は少なからず存在し、その「鉄ちゃん」にとってみるとこの笠戸事業所は憧れの的となっているようであり、工場の総務の皆様もお客様の視察対応がひっきりなしにくるため、大変お忙しいようです。(小生もはっきり言って業務に支障を与えてしまったのではと反省しています。)
 譜面を差し上げた後イギリスの鉄道や東京メトロの車両が並んでいる事業所内をご案内頂きました。実は2回目の訪問でしたが、何度行っても感動は変わりません。
本当にお忙しい中、笠戸事業所の総務の皆様、ありがとうございました。

 

定年退職-資料館への傾注!

私事で恐縮ですが、昨日(2015年8月31日)会社を定年退職致しました。
退職にあたりお客様、社内の様々な方から送別のイベントや品々を頂戴いたしました。
その送別会等でこの「資料館」について大変期待しているとの過分なお言葉も頂戴し、正直相当プレッシャーを感じています。
もう「仕事が忙しいからアップがなかなか出来ない」という言い訳が一切言えなくなりました(!?)
今後更に資料館の充実と直筆譜面寄贈の旅の実行にいそしんで参りたいと決意を新たに致しました。

就業中にお世話になりましたお客様、社内の皆様、そして何よりも小生を支えていただいた小生が所属していた本部の皆様に心より御礼を申し上げます。

本当にありがとうございました。

 

最終日に頂戴した花です。胡蝶蘭は家内宛に贈られてきました。

高校野球

今、夏の甲子園大会が真っ盛りです。
まずは最初の試合で必ず2回の攻撃で各校の校歌が流れます。
今回は野球部員の尽力と皆様のご声援で今日も勝ち進んだ学校の校歌が父の作品です。
残念ながらこの校歌の直筆譜は見つかりませんでしたが、愛着感は格別にあります。
やはり勝どきを得た学校の校歌が流れるとき、父の作品であると感慨もひとしおです。

がんばれ!仙台育英高校!もう2回甲子園で校歌を流してください

前橋工科大学校歌譜の贈呈

時々JASRAC(日本音楽著作権協会)から電話が入る事がありますが、内容としては既に作曲されたものの改変や歌詞の変更等についての了解の打診が多く、依頼者が連絡先がわからないためJASRAC経由でコンタクトを取ろうとするパターンが多くあります。
今回の前橋工科大学も、そういった関係でJASRACから連絡を受けた事がきっかけとなりました。
そもそも作曲した時は「前橋工業短期大学」という名称でしたが、現在の名前に変更したものの校歌の改作についてしばらく手を付けていなかったらしく、大学の幹部から校歌の見直しの際に了解を取り付けるべくご連絡を頂いたのが今回のお話でした。
折角の機会なので、譜面の手渡しを提案しようとしましたが、あいにく手書きの直筆譜が保存できておらず、当時学校で作られたガリ版刷りの印刷譜が残されただけでした。
とはいうものの折角の機会なのでそのガリ版譜面を持ち、再度校歌を採用していただくことの御礼も兼ねて伺う事に致しました。

2015年の1月下旬、前橋まで在来線を使って伺いました。
お迎えに来ていただき、早速大学までご案内頂きました。学長がお迎え頂き過分な対応を頂きましたが、何と今年度でご勇退される、という事で、今回の訪問は在任中のギリギリの時期でした。
帰り際に大学の中を簡単にご案内頂きました。この時期はやはりかなり寒く、「上州名物かかあ殿下と空っ風」と言われるように寒風が身に沁みる日でありましたが、たまたま今年度の授業もほぼ終わった後であり学生も非常に少ない時期であったので様々な教室の中も拝見できました。数少ない「工科大学」というエンジニア輩出を目指した学内が非常にきれいであり、こういった環境で勉強できる事が非常にうらやましく思いました。

前橋工科大学の皆様、どうもありがとうございました。

校歌6019前橋工業短期大学校歌01校歌6019前橋工業短期大学校歌02

 

福井銀行行歌譜の贈呈

6月のある日、梅雨の時期とはいえ好天に恵まれた日に福井銀行殿にお邪魔しました。
金沢にて業務で関係のある知人を訪れ、たまたま福井銀行殿の担当もされている、というので情報交換も兼ね立ち寄りました。(正直「北陸新幹線」に乗車するのも間接的な目的でもあり、直接福井に行く前になかば強引に日程を作ってしまいましたが、、、)
福井駅に着きましたが、日本海側独特の「フェーン現象」か異常に暑く、駅からほどない福井銀行殿本店に行くまでにもかなりの汗をかいてしまいました。
直筆の譜面だけでなく、行歌発表会の時の社内報やプログラム冊子、そしてソノシートもあったので携えて贈呈し、大変喜んで頂けました。
実はこのソノシートを持っていった事が後日ちょっとした話題になったらしく、何と福井テレビのニュースの中で紹介されたようでした。後日DVDを銀行の方から送られて来たので拝見したところ「半世紀前のソノシートの発見!」という多少大袈裟なキーワードとなってしまいましたが、大変過分なお取り扱いを頂き非常に恐縮してしまった次第です。訪問の数日後、銀行の幹部の方がわざわざ小生の会社までお見えになる等、当日もさることながらその後さらに過分でご丁寧な対応を頂きました事、いささかびっくり致しました(!?)。
福井銀行の関係の皆様、本当にありがとうございました。

社歌10-11福井銀行行歌01Piano-1社歌10-11福井銀行行歌01Piano-2

 

「キンカン」のCMソングを覚えていらっしゃいますか?

「キンカン塗って、また塗って」というフレーズを年配の方なら聞いたことがあるとおもいます。
今もまだ根強くドラッグストアに置いてあり、いよいよ夏本番を迎え、競合商品「ムヒ」と一緒に店頭に並べられているでしょう。
実は、このCMソングも服部正の作品でした。調べたら自筆譜面が出てきました。
かたや真剣な作品を書きながら、こういった軽やかな作品も同じペンで同じように書いていたようです。
キンカンの歌01

この時のCMソングを歌っていたのは雪村いずみとダークダックスだったそうで、当時とすればかなりのタレントを使っていたようです。当時の「金冠堂」の葉書も見つかりました。
キンカンの歌02

この歌が出始めたのが昭和30年代と言われていますが、当時での100cc300円というのはやや高額だったかもしれませんね。

株式会社キンカン殿訪問記はこちら。

A3プリンター購入!

譜面の整理が結構手間がかかる最大の問題は、譜面の大きさが一般的な規格でないことなのです。A4が一般的な今、父の残した譜面の大半がA4に収まらない若干大きめのサイズであり、一般のスキャナーではなかなかうまく対応できませんでした。
上からの投射式のスキャナでも部屋の明かりの影が出たりして、なかなかうまくいきません。
近くのコンビニに行ってA3をA4に縮小コピーをする等の努力をしましたが、1曲あたり数ページならまだしも、数十ページ以上の作品になってしまうとこの対応はかなりハードです。
しかも昭和中頃より以前の譜面となるとかなり紙質に問題があり、下手に移動させて持っていくとボロボロ紙の端が崩れていく恐れもあり、非常に困惑しておりました。

それを一気に解決したのがA3プリンターでした。もちろんスキャナー付きで、オートシートフィーダーも付いている優れものです。最近はこういった機能が付いている複合プリンターもかなり購入しやすい価格になってきました。これで少しずつ整理が進んでいきます。

A3printer

ここに乗っている譜面は「虞美人」です。横はB4よりほんのわずか大きいですが縦はB4よりやや小さめです。こんな大きさの譜面が相当数です。

天竜浜名湖鉄道乗車記

自筆譜贈呈日誌に書いた「掛川工業高等学校」訪問の日、早めに東海道線新所原駅まで行き、そこから「天竜浜名湖鉄道」に乗車して掛川に行くことにしました。

ローカル線ですがきれいな1両編成のディーゼルカーに乗って新所原を後にして、のんびりと車窓をながめてましたが、とにかく浜名湖がきれいに見える事が一番感動しました。東海道新幹線であっという間に渡ってしまう車窓とは違い、ゆっくりと湖面を見ながらローカル線に乗っている事は「乗り鉄」として至福の時間でした。
浜名湖と別れ山や原っぱを抜けながら目的地の掛川に約2時間近くかけて到着しました。

2013-01-24 11.12.02

目的の学校に行くまで多少の時間があったので「掛川城」まで行ってみました。
駅から歩いてもそれほど遠くなく到着しました。
1月のお昼前後、天候にも恵まれ、美しいお城が青い空にぴったりはまりました。

2013-01-24 13.53.48

掛川工業高等学校校歌譜の贈呈

2013年の1月、大変天気の良い日に掛川工業高等学校を訪れました。
この高校は昔の名前を「中遠工業高等学校」と呼び、父が作曲したのはその「中遠工業高等学校」の時代でした。
お迎えに来ていただいた学校の方に車に載せていただき、学校に着きましたが、なんとその日は「インフルエンザ発症」という事で全校学級閉鎖という状況にでくわし、ちょうど生徒の皆さんが帰校するところでした。
校長先生もマスクをされて迎えて頂きましたが「すみませんが、服部さんもマスクをして下さい。」と言われ持ち合わせていたマスクをしてお話をさせていただきました。

校歌の贈呈で学校を訪れるのは初めてであり、生徒たちと対面する事に若干の緊張を感じていましたが、インフルエンザの騒ぎでその緊張はなくなりました。(最初はブラスバンド部が校歌を演奏して迎える、とまでの大袈裟な話になりそうだったので「それだけはご勘弁願いたく!」とご辞退申し上げました。)

譜面贈呈のあと簡単に校内をご案内頂きました。工業高校という事で様々な機械の演習が出来たりする教室、パソコン等でのCADや各種デザイン等も装備されていた様子を見させて頂きました。「ロボコン」に出てくるようなロボットも置いてあり、昔子供と見に行った「ロボコン」を懐かしく感じました。

とにかくここでの一番の思い出は「お茶が美味しかったこと!」さすが掛川のお茶であり、学校で出していただいたお茶に非常に感動しました。家内が「日頃お茶の事をあまりよく分かっていないあなたが美味しい、と思ったのだから、それは相当おいしいお茶だったのね」と言われてしまいました。

掛川高等学校の校長先生、関係の皆様、ありがとうございました。

校歌6007中遠工業高校01-1