慶応義塾マンドリンクラブが戦後演奏会を再開したのが第61回定期演奏会で昭和21年(1946年)6月のことでした。そして今やKMCコンサートの「ニューイヤーのラデツキー行進曲」扱いとなっている「KMCソング」が定期演奏会に初めて登場したのが翌年5月に行われた第63回の定期演奏会でした。この時は演奏会の最後ではなく冒頭「慶應讃歌」を演奏した後に初お披露目となりました。
譜面を整理していたらまさにその時に書かれたと思われるKMCソングの初版直筆譜が発見されました。書きあがったのは昭和22年(1947年)5月16日という調度本投稿の78年前頃でした。

これまた「謎」がひしめく面白い譜面です。
まず右上の三田の山にそびえる慶應義塾のデッサン、これは服部正が書いたものでしょうか?
可能性は高いと思います。右下の楽器は間違いないでしょう。
問題は左下の顔スケッチです。本人がこんな顔をしていると認識して書いていたのでしょうか?
当時の歳は40になる直前なので、まあ年相応と言えばそうですが、微妙にひげの剃り残しがあったり多少面長加減の所も見え、戦後の食糧不足の混乱なのか本人の願望もあってのスケッチなのか想像をはせてしまいます。
実は慶應義塾マンドリンクラブが演奏会の冒頭にやる有名な応援歌「若き血」を演奏するようになったのもこの頃で昭和22年(同年)12月の定期演奏会からでした。その時の譜面もKMCソングと一緒に出てきました。

これは真っ当な譜面であり、中身のスコアを見ても今とほとんど変わらず、後半の「セカンドマンドリンの『鬼の後打ち』」が堂々と存在してました!
終戦後間もなく80年という節目になりますが、KMCも80年間に近い間この伝統を守って頂いている事に改めて敬意を表する次第です。