社歌の紹介① 鉄鋼大手会社
今まで校歌を中心にご紹介してきましたこのシリーズ、東京都を残しておりますが、実は新型コロナウィルス感染の影響で学校訪問をストップしている関係上、一旦「社歌」の方に舵を切りたいと思います。
今回はそれこそ日本の戦後復興で最大の立役者になった鉄鋼会社の社歌を3社ご紹介します。
とはいってもそのうち2社は合併の波に巻き込まれ、恐らく社歌としては現存はしていないと思います。
まず唯一残っている会社「神戸製鋼所」の社歌です。
残念ながらこの社歌がいつ頃作曲されたかについての情報が、譜面には残っておりません。
譜面の字体や記譜の状況から昭和30年後半から40年代ではないかと想定できます。
この社歌の作詞についても譜面上には何も記載されていませんでした。譜面とともに歌詞の書かれた紙が残されており、ひょっとしたら会社の中で歌詞を公募する等の動きがあったのでしょうか。
実はこの文書、実に興味深い一節があります。
冒頭の(三九四)。
正直何の意味か全く不可解です。パッと思いついたのは、この数字、実は「さくし」と読むのでは、と思ってしまいました。真偽は分かりませんが、もしそうだとしたらなかなか洒落っ気のあるスタッフだと思います。
続いては「住友軽金属工業」です。
この譜面にはしっかり作曲時期が書かれておりました。
昭和38年1月というと、まさに東京オリンピック開催の前の年であり、様々な産業がそれに向かって大きく羽ばたいていた時期です。当然住友軽金属社としてもこの波に乗って業績を大きく伸ばしていきましたが、2013年に古河スカイと合併し「UCAJ社」となりました。
ここでは作詞を社歌、校歌の作詞家として著名な勝承夫先生が担われております。
そして鉄鋼大手の「日本鋼管社」の社歌も服部正が担当していました。
ここにも作曲年月が明記されており、1962年(昭和37年)東京オリンピックの2年前です。日本がどんどん発展していく時期に日本鋼管社も意気を上げようという背景で作られたのではと思います。歌詞も佐伯孝夫先生であり、力が入っています。
この社歌にはピアノ譜の他にオーケストラ譜の自筆譜が残っていました。
よく見るとオーケストラとして欠落している楽器があります。
ホルン、ファゴット、そしてヴィオラ。
想像するに、日本鋼管社が持っている管弦楽団のために作った譜面かもしれず、その時にそのオーケストラにその楽器の団員がいなかったのではとも思われます。(ヴィオラが欠落しているのも、当時のアマオケには時々ありそうな事ですね。)
日本鋼管社は2002年に川崎製鉄社と合併し今はJFEスチール社として活躍しています。
譜面や別添資料からこんな想像しているのも面白い「社歌」のご紹介でした。