マンドリンオーケストラでの管楽器④

普通のオーケストラと違う管楽器の吹き方

 いよいよ実際の演奏での話題に入ります。
 まず、ヴァイオリン族は「擦弦楽器」という「弦をこすって音を出す」という楽器群に入ります。一方マンドリン族は「撥弦楽器」という「弦をはじいて音を出す」楽器群になります。これはどちらにも属さない管楽器群からしてみると、極めて大きな環境の変化になります。

服部正指揮グレースノーツ
(ヴァイオリンオーケストラ)
服部正指揮慶應義塾
マンドリンクラブ

 擦弦楽器は弓が弦に触れてから動かすことによって音が出るため、いわゆる「音の立ち上がり」に若干時間がかかります。これは息を吹いて管の中に入れて音を出す管楽器との「音の立ち上がり」の時間的差異は、それほど目立たないイメージです。
 ところが撥弦楽器は弦を指やピックで弾いて音を出すため、音の立ち上がりが非常に早くなります。ヴァイオリン族でも「ピチカート」という奏法がこちらに該当します。この場合管楽器との時間的差はかなりはっきりしてきます。

 一般オーケストラの管楽器の方が賛助でマンドリンオーケストラに参加される場合に、まず面食らうのがこの違いです。それでなくても後ろの方に座らされるため、指揮者からも「遅れる!」とよく指摘されます。
 特にテンポの速い曲では楽譜の小節の頭を揃えるのに極めて大変な努力が必要であり、ここでさらに指揮者がテンポの変化(アッチェレランド、リット等)をやるとなると、それに合わせるのが至難の技です。

 一般オーケストラではコンサートマスターがヴァイオリンの弓の上げ下げや体の動きが比較的大きいので、「視覚的」にも前列の弦楽器群とのテンポを合わせる事が難しくありません。一方でマンドリン奏者の演奏の動きは手元が中心なので動作が小さいため見えづらく、自分が出している音がタイミング的に合っているのかが非常に判断しづらくなっています。

 また音量もヴァイオリンとマンドリンの個々の楽器では違い、マンドリン族は比較的に音量が小さくなります。従って 小さな編成のアンサンブルで管楽器を演奏する場合、 ピアノの部分のマンドリン群の音が聴きづらく合わせるのに苦労したり、必要以上に音を抑えて吹くことになるため、一般オーケストラではそれほど難しくなかったパッセージも突然難易度が高くなる場合もあります。

 これらの解決策はやはり長年マンドリンオーケストラの中で演奏する「慣れ」と、指揮者やオーケストラの皆さんの動きの「読み」を鍛えていくしかないと思われます。特に「音の立ち上がり」の差異については、なかなか体得できるまで時間がかかるのが現状です。。
 賛助出演の管楽器の方々の場合、練習参加率も現行メンバーに比べて少なくならざるを得ず「慣れる」前に本番を迎える事が多くなります。従って演奏会本番での演奏では「仕上がりに遜色のないような」慎重な姿勢にならざるを得ません。言ってみれば「守り」の演奏になりがちです。

 次回は「音の立ち上がり」だけでない「音の時間差」について、「演奏会場でのシミュレーション」にて多少科学的にご紹介したいと思います。

マンドリンオーケストラでの管楽器③

フルート、クラリネットの特殊楽器について

例えばフルートで言えばピッコロ、クラリネットで言えばA管等についてのお話です。

ピッコロ

 まずピッコロですが、これはフルートの補完として使われる事が多く、オーケストラ曲のマンドリン版アレンジではそのまま使われる事が一般的です。
 ソロプレーヤーとしてのピッコロの登場は少ないですが、逆にフルートが苦労する場合の「逃げ道」として使う事を私は勧めています。
 クラシック曲ではヴァイオリンや金管がそれなりの音量で展開していただけるので、フルートの高音域でのトリルやピアニシモもそれほど難しくなく展開できますが、マンドリンオーケストラではさらに音量的に小さく要求される事が多く、そうなるとこの音域での演奏は極めて難しくなります。スキル的に対応が厳しくなる場合にフルートのその部分をピッコロが補完してあげる事により、全体のバランスを崩さずに進められます。
 また打楽器が多数入ってくると、フォルテシモの部分でマンドリンのメロディが埋もれてしまう事も少なくなく、そういった意味では客席にメロディラインをしっかり聞かせる意味でもピッコロをユニゾンで吹かせる事も妙案です。
  ただ問題は「フルートが上手に吹ける人」が、同じようにピッコロを巧みに演奏できるとは必ずしも限らない事です。フルートより小さくていかにも簡易な楽器にも見えますが、はっきり言ってフルート以上のスキルが必要です。息の使い方、唇の締め方、舌の動かし方がフルートとは多少違う上に、音程を安定させる事、音量をコントロールすることがフルートに比べて非常に難しくなるため、上手なピッコロ奏者を得るにはかなりハードルが高くなるのが現実です。またフルート以上に楽器の良し悪しが演奏に影響するので、ある程度の期間自分のピッコロでの実績がある方に一日の長があります。
 一方でアルトフルート等の低音系特殊楽器はマンドリンオーケストラではほとんど出番はありません。
 クラリネットも同じで、バスクラリネットについても一般オーケストラほど活躍の場面がほとんどありません。またESクラリネットというフルートで言うピッコロにあたる高音楽器も、全体バランスで目立ちすぎるため敬遠されているようです。

クラリネット
B管・A管

 クラリネットの特殊事情としては、一般オーケストラで多用される
「A管」の存在です。
 一般的にクラリネットのビギナーは「B管」というフラット系音階の楽器から始めるため、楽器の購入・流通も「B管」が主流です。「B管」とは、「C(ド)」と書いてある譜面をその指で吹くと、実際には1音下の「B音(シのフラット)」の音が出る楽器の事です。(「A管」の場合はさらに半音低い「A音(ラ)」の音が出ます。)オーケストラの譜面ではほかの楽器と調性を合わせるため移調した譜面で吹きます。(ハ長調の曲は「B管」だとニ長調の調性の譜面になります。)
 吹奏楽団は金管楽器が総じて「フラット系」の楽器なので大抵「B管」で事足ります。一般オーケストラではかなり「シャープ系」の楽曲も多いため、どうしても「A管」が必要欠くべからざるものになってしまい、B管A管2本持ちの奏者が一般的になります。
 ではマンドリンオーケストラではどうかというと、マンドリン・ギターが基本的にフラット系にあまり強くないため楽曲がどうしてもシャープ系になってしまい、B管ではかなり苦労します。特にクラシック編曲ではシャープ3個以上の曲はB管だとシャープ5個以上になってしまい、譜面にダブルシャープ、ナチュラル等が多発してきて譜読みに極めて苦労します。
 かといって「A管」をわざわざ購入するほどのコストパフォーマンスもあまり感じられないため、シャープの多い譜面に甘んじている奏者がほとんどと思います。
 注意しなくてはならないのが、クラシック編曲にてA管最低音の「実音ドのシャープ」がソロで突然出てきたりすると、B管では音を出せないので「借用」「再編曲」等の対策が必要になってきます。

 マンドリンオーケストラでの管楽器に対しては、指揮者や事務局が譜面を渡す前に奏者と所持楽器の状況、スキル等をよくコミュニケーションしておく事が、その後の練習の効率向上につながっていく事になります。(できれば選曲の時点で多少なりとも配慮があれば、管楽器奏者にとっては大変助かります。)

マンドリンオーケストラでの管楽器②

マンドリンオーケストラでの管楽器の使われ方

 曲のジャンルによって、管楽器の使われ方が様々です。

 昔のマンドリンのためのオリジナルアンサンブル曲については、当然最初から管楽器は入っていなかったため誰かが譜面に追記した形が多く存在します。
 このジャンルは基本的にはオリジナルの雰囲気を守る意味でも、大げさな管楽器の登場場面は作らないのが普通です。場合によっては自分の楽団の管楽器のスキルに合わせて、かなり難易度がばらつくアレンジになることもあります。
 一般的にはフルートは1stマンドリン、クラリネットはマンドラのサポートにまわる場合が多く、特にレガート、スラーといった音の流れを意識したメロディでマンドリン群のトレモロにきれいに被せる、というミッションが多くなります。管楽器が入ることで「厚み」と「丸み」がアンサンブルの中で加わり、音楽の流れの中でちょっとした変化が生まれます。
 ここでの最大の留意点は、マンドリンのピッチ(音程)に管楽器がしっかり合わせる事です。特にフルートはマンドリンのオクターブ上でメロディを吹かせる編曲が比較的多くありますが、高音域でピッチが高くなりがちな特性がある楽器なので、気を付けないと「調子っぱずれ」に聞こえてしまう恐れがあります。

 クラシック音楽のマンドリンオーケストラへの編曲作品の場合は、そもそものフルート、クラリネットがそのまま生きる場合が多いものの、該当楽器が存在しない場合はそれだけのために個別に奏者を呼ぶような非効率な事はせず、現存楽器へ任せる編曲が一般的です。
 例えばオーボエの美しいソロの部分は1stマンドリンに担当させ(状況によってはコンサートマスターのソロにしたりします)ホルンやファゴットの渋いソロはマンドラが担当します。金管アンサンブルが出てくるとギターがダイナミックにコードを鳴らす等、アレンジャーの腕の見せ所です。勿論フルート、クラリネットが他の管楽器パートを任される事も多々あります。
 あくまでここでは主役はマンドリン族なので、目立つソロをマンドリンパート等にもっていかれたり、その楽団、指揮者、管楽器奏者の意向で原曲からいろいろと変わってしまう場合も見受けられます。とはいうものの、オリジナル曲に比べれば管楽器の活躍場所は増えます。その分責任も重くなるため、特にソロの部分はせっかく順調に行っている音楽の流れを止めないように演奏する気遣いが必要です。

KMCアメリカ演奏旅行
アナハイム ディズニーランドでの演奏

 ポピュラー曲はそれこそ編曲が命になっており、ここではアレンジャーのセンス、力量で管楽器の見せ場や負担が大きく変わってきます。有能なアレンジャーだと演奏していてモチベーションも大いに上がりますが、大事なことはアレンジャーがどのような効果を期待して管楽器に託した編曲をしているのかを理解し、それを演奏で実現させることです。
 ここでは「譜面に忠実」もさることながら、多少のアドリブや装飾音符の追加等が許される限り出来るセンスも備わってくると、オーケストラ全体が盛り上がってきます。
 服部正は海外、地方の演奏旅行ではお客様に少しでも楽しんでいただけるように、様々な有名ポピュラー曲や日本の名曲を編曲してコンサートのプログラムに組み入れてきました。そこにはマンドリンやギターの哀愁を帯びたメロディの中にも管楽器、打楽器を効果的に入れて「飽きさせない」工夫も要所要所にしておりました。
 このような演奏旅行では旅程の後半になってくるとメンバーも大いに慣れ、様々なアドリブが飛び出したりしましたが、服部正はニヤッと笑いながら指揮をして見守っていました。

次回はフルート、クラリネットの楽器(特に特殊楽器)についてです。

マンドリンオーケストラでの管楽器①

イントロダクション & マンドリンオーケストラでの管楽器とは

 色々な方とお話しする時「フルートを吹いています。」と話すと「どこかで吹かれているんですか」と聞かれます。その時に「マンドリンオーケストラに所属しています。」と言うと、10人中8~9人は「マンドリンオーケストラにフルートがあるんだ!」と意外な顔をされてしまいます。
 フルートという楽器は管楽器の中でも非常に親近感が強く、一般的にはその音色はソロの他オーケストラやブラスバンドで耳にされることが多いのは間違いは無いものの、マンドリンオーケストラというカテゴリーが出てくるのはその筋の方ぐらいではないでしょうか。
 服部正はマンドリンオーケストラにフルートやクラリネットの管楽器を入れることはかなり若いころから積極的であり、特にフルートの吉田雅夫先生が慶應義塾現役の頃から懇意にしていた事もあり、編曲も含めた作品にフルートが入ったものが多数残されています。
 「マンドリンオーケストラ」での管楽器とはどんなものなのかを、アマチュア一般オーケストラも経験したことがある小生がご紹介していきます。

第8回KMC三田会定期演奏会より
(オーボエ、ァゴットも入った木管フル編成)

 実はこのマンドリンオーケストラの中の管楽器というのは非常に特異な存在で、オーケストラや吹奏楽とは違った「コツ」を要求される事が多く、特に管楽器メンバーを常設していないマンドリンオーケストラが賛助で参加されるときは、演奏する側も指揮をする側も受け入れるオーケストラ側もちょっとした気遣いの有無で成果が大きく変わってきます。
 ぜひこのマンドリンオーケストラで管楽器を吹かれる方、またそのオーケストラを引っ張っていく指揮者、コンサートマスター等の方々にもご参考になれば幸いです

まずマンドリンオーケストラでの管楽器は、何を使われるかについてです。

 一般的にはフルート、クラリネットが主に使われます。
 現状のマンドリンオーケストラで管楽器の常設メンバーはたいていこの2種で、他の楽器は必要な時にだけ声をかけるといった形がほとんどです。

マンドリンオケと管楽器のの相性

 ではほかの楽器がなぜ採用されにくいのでしょうか?

 まず「金管楽器」はその音量バランスや音質を考えるとマンドリン族とは異質な物として扱われています。
 ホルンはまだ「馴染み感」があり、服部正が編曲したシューベルトの「未完成」はフルート、クラリネットの他にホルンを入れています。
 他にもたまたま団員や身近にトランぺッターがいたりすると、例えばスッペの軽騎兵序曲やガーシュウィンの曲等でちょっとだけ登場させたりもしていました。
 しかしながらトランペット1本でも相当数のマンドリン族の音をかき消してしまう威力を考えると、金管楽器全般の常時配備は避ける傾向にあります。

 木管楽器でもオーボエ、ファゴットはなかなか入ってきません。
 まずどちらも一般的に他の木管楽器より奏者が多くないという現状があり、招集するにも手間がかかる事と、特にオーボエは音域、音質の双方からマンドリン族の音と「ぶつかる」恐れが多少あるため、使うことに慎重な対応をされる場合が多いようです。
 服部正はオーボエについて以前このような事を言っていました。
 「下手くそなオーボエ1本のおかげで演奏会がめちゃくちゃになった事があり、オーボエは使いたくない。」
 どうもオーボエをマンドリンオーケストラに使うことについてトラウマ的なものがあったようですね。
 (服部正の初期の作品「斑蝶」はフルートとオーボエを採用しておりました。恐らく当時「上手なオーボエ奏者」がいたのでしょう。)

 フルート、クラリネットについては、マンドリンの音質をオブラートのように包み込める音色という性格だけでなく、楽器も比較的容易に購入できることで奏者も多く、昭和初期の頃からマンドリンオーケストラにも採用されてきました。現在でも様々なマンドリンオーケストラが、この編成を引き継ぎながら活動を続けています。

 次回は「マンドリン・オーケストラ」での管楽器の使われ方についてご紹介します。

第56回 ALL KMCコンサートのご案内

来る10月22日、即位の礼の日に56回目となるALLKMCコンサートがすみだトリフォニーホールにて開かれます。
このコンサートが始まってから56年にもなりますが、相変わらず慶應義塾マンドリンクラブの中等部から大学、OBに至るそれぞれの学校、卒業生が一堂に会する演奏会が開かれている事に対し、心より敬意を表したいと思います。
服部正はそれぞれの学校にとっての卒業生、例えば「中等部」にとっては「高校」、「高校」にとっては「大学」、「大学」とってはOBOG、という繋がりを非常に大事にしてきました。
先日の三田会のコンサートの出演者を見ても、例えば高校でマンドリンクラブに入部したものの大学では入部しなかったメンバーが「マンドリンクラブ三田会OBOG」として暖かく迎え入れている背景が、この「ALL KMCコンサート」により育まれたものと思われます。

最近は部活動だけではなく、様々なサークル活動がそれぞれの学校で行われ、まさに働き方改革としての「副業」が見直されているように一人が複数の活動をしている学生が増えております。
そういった中でも「文科系部活動でかなり体育会寄り」と言われている音楽系団体としてこのように継続的に続けられていることは、それぞれの団体が日常の不断の努力によっているものとも思われ、そういった団体の皆さんの努力の成果をお見せする機会です。
お時間のある方は是非お越しください。
当資料館でも「お問い合わせ」経由にてチケットの斡旋を致しますので、お気軽にご連絡ください。
ただ一つ、事前にご留意頂きたいのは「演奏会自体が非常に長い」ことです。全部で5団体、合同演奏を含めると優に3時間は超える事になりますので、あらかじめご承知おきの上ご来場いただければ幸いです。
ちなみに、最近は「服部正」としての作品の取り上げがめっぽう少なくなっておりますが、コンサートの最後を飾る「KMCソング」だけは「ニューイヤーコンサートのラデツキー行進曲」と同じように定番アンコールで演奏される事になっております。

第56回ALL KMCコンサート

「指揮者」としての服部正 (4)

服部正は指揮をするときに「テンポ」についてはかなりこだわりがあったと思われます。
テンポのメリハリは、かなりしっかりとした差をつける事を信条としていたようです。

以前某高校のマンドリンクラブの客演指揮をするために、練習に一度訪れた事の出来事です。

予定よりも早く練習場に到着した服部正は、自分が指揮する曲では無いモーツァルトの序曲を学生指揮者が指揮している場面を見て、すかさず「そんなテンポじゃだめだ。もっと速く」とボソッと言いました。指揮者も言われた通り少し速くしましたが、服部正は「まだまだ、もっと!」と声を大にして言いました。学生指揮者もムキになってさらに速く演奏をしました。
ところが、どうでしょうか。今まで何となく凡庸の演奏に聞こえたこの曲が一気に生気が入り、演奏しているメンバーの真剣度も上がり、服部正が直接指揮してなくてもこの曲が見事に生き返りました。演奏していた高校生も爽快感を感じていたようです。(ちなみに本番当日は、またもとのテンポに戻ってしまったようですが、、、)

服部正はだいたい速めのテンポが多いですが、ゆったりした曲やテンポを揺り動かす際の遅い部分はしっかりと遅くしながらも緊張感を保った演奏を繰り広げています。

これは慶應義塾マンドリンクラブ大学の定期演奏会の練習でのことです。

マンドリンアンサンブルのオリジナル曲「ボッタキアリ作曲イル・ボート(誓い)」という曲を演奏した時の事です。
この曲はマンドリンオリジナル曲としてはやや難解な曲で、練習の時に学生指揮者もかなり手こずっていました。服部正が練習に来るようになってこの曲を始めた時に、皆の目が変わりました。それもテンポの揺り動かし方が非常に細かく、小節単位で速くしたり遅くしたりのオンパレードだったのですが、いざ音に出して弾きながら聴いているとこの曲の「難解さ」が崩れ去り、演奏者も納得・感動した一つの「芸術作品」になりました。これはさすがに老練な音楽家でないと再現できない、という事をあからさまに思い知った経験でした。

やはりこのテンポ感というのは一般素人ではなかなか掴みにくく、短時間でオーケストラをその気にさせる、という技も含めて「現場で培った」指揮法が実現できたのでしょう。

このテンポの「メリハリ」は服部正の芸術的センスという面もありましたが、実は他にも大きな背景がありそうです。
というのも、昔ラジオ番組のバックミュージックを作曲、指揮をしていた時、今と違って「録音技術」が貧困で、ほとんどが「ぶっつけ本番生放送」だったので、番組の放送時間内に収めるための段取りは「ストップウォッチ」との格闘だったようです。「巻き」が入ると「アッチェレランド」し「伸ばし」の合図では「リット」というのは日常茶飯だったようです。編曲している時もそれを意識しながら編曲し、放送本番の時は楽団の前で必死にテンポ設定をやっていたようです。それだけ「テンポ」に振り回された時代があったことも無縁ではなさそうです。
今のデジタル社会ではとても信じられない環境だったようですね。

ALL KMCコンサート ステージリハーサルでの服部正(1980年代)

リャードフ「8つのロシア民謡」(KMC三田会演奏会曲目)

以前8月24日に行われるKMC三田会定期演奏会のご案内をさせて頂きました。
いよいよ本番まで1カ月を切りましたので、再度ご案内を兼ね、そこで演奏される服部正に関係する作品をご紹介します。

この作品はそもそも「リャードフ」というロシアの作曲家でもややネームバリューが低い部類に入る作曲家の作品ですが、彼の作品は聞いてみると何となく魅力のある曲が散在しています。
ロシア音楽というと金管楽器や打楽器をフルに活用する大編成の曲があるかと思えば、弦楽合奏や室内楽で綺麗な旋律を聴かせる曲がある等、かなり個性のある作品群ですが、服部正はマンドリン音楽への編曲をそれほど積極的にはしていませんでした。オーケストラが繰り出す様々な音色の表現がマンドリンアンサンブルにはなかなかそぐわなかった、という意向がその理由の一つかもしれません。
この曲は1978年に当時の大学4年生が卒業前の最後の定期演奏会に是非やってほしい、と服部正のもとに依頼をしたのがきっかけでした。実際蓋を開けてみると、「ロシア民謡」と題されていることもあってロシア風情の満載の8つの組曲でしたが、意外とマンドリンアンサンブルには合いそうなイメージなので服部正も快諾したようです。
服部正は編曲の時に「演奏するメンバー」の力量を鑑みながら編曲をし、管楽器もマンドリンクラブの一般的な編成のフルート、クラリネットだけを入れて必要最低限の打楽器とマンドリンアンサンブルでの編曲をしております。そして上手なメンバーがそろっているパートには、若干難易度を高くしたりもして編曲に味付けをしていました。(これはこの回に限らず、生涯その姿勢は保ち続けていたようです。)
実際マンドリン版で聞いてみると「初めからマンドリンアンサンブル用にリャードフが作った」かのように聞こえる部分も多く、オーケストラ版と聴き比べしていただくのも面白いかなと思われます。

KMC三田会第8回定期演奏会につきましては引き続きご要望があれば当資料館にてもお取り扱い致しますので「問合せ」からご連絡下さい。

リャードフ 8つのロシア民謡スコア
KMC三田会演奏会

リャードフの譜面の題字は、当時「インスタントレタリング」というシール的な文房具が売られていた物を使っております。服部正自らこの文具を使っており、こういった物にも何か興味をひかれるようでした。ただ文字が多くなったりすると面倒になり下請けの小生に回してくることもありました、、、。

「指揮者としての服部正」(3)

慶應義塾マンドリンクラブのOB,OGの集まりであるKMC三田会のメンバー数人に、最近ちょっとヒアリングしてみました。
「服部正という指揮者はどうだった?」というあまりにも漠然とした問に対して、返って来た答えは結構類似していました。
まず「最初の練習の頃はかなり厳しくダメ出しされた。」というのはかなり共通した認識でした。そして回を追うごとに雰囲気が変わり、本番直前になると「褒めて持ち上げる」と言うパターンに持って行き、本番はスムーズに行く事がほとんどであった、というのも皆さんのコメントでした。皆さん学生指揮者以外には服部正しか経験が殆どないので、服部正が練習に来るとかなり「ピリピリ」しており、真剣度はかなり上がって集中していたようです。
このように服部正はアマチュアのメンバーにはこういった「飴と鞭」をうまく使い分けていたようです。
かなり厳しい指摘をしたりした後でも、練習を終わるとヒートアップはスッと収まり、そのまま帰途につくというのが一般的な服部正の練習姿で、学生幹事たちとも気楽に会話をしたりして練習会場をあとにしていきます。とはいえ学生側(特に低学年の学生)は会場から出ていくまでは緊張が継続しっぱなしの人も多かったと思います。

KMCでの服部正の練習は、あまり細かな事を指示する事よりも、曲全体の流れの中で自分たちはどんな役割をしているのか、をしっかり認識させるような指導が多く、練習時間もそれなりに効率よく進めていました。
よく若手、修行中のプロの指揮者はしょっちゅう止めて色々とコメントが多く、実際に音を出す時間よりも長そうなコメントの洪水に辟易とするオーケストラメンバーも多いと聞いております。私も実際そのような仕打ちをアマチュアオーケストラ時代に味わった事がありますが、オーケストラ全体の集中力も切れ、モチベーションも何となくうつろになってしまいました。
そういった意味では服部正は長年の放送音楽での指揮をやっていた事もあってか、余計な時間を費やす事はせずに効果を上げる手法を、知らず知らずのうちに身に付けていたのかもしれません。(昔は録音技術がお粗末で、生の「実況演奏」でラジオから流れる番組が多かったのも実態で、こんな環境での体験学習だったのかもしれません。)

1984年マレーシア演奏旅行でのステージリハーサル風景(服部正76歳)

私事ですが、指揮者が実の父である場合の練習、本番の精神状況というのは、かなり複雑です。
まず「イージーミス」は絶対にやれない「緊張感」、さらには他のパートで個別に捕まった(演奏に対する厳しい指摘を受けた)メンバーに対して練習後の顔を合わせた時のバツの悪さ、練習・本番でうまくいったとしても「嬉しい」よりも「ほっとした」という気持ちの方が大きい等、なかなか他の人の受ける気持ちとかなり違う所が多いのかもしれません。
特にヒートアップしてかなり厳しいコメントが多くなった時は、そのクレーム対象が自分の事ではなくても自分の居場所が非常に辛くなることは多かったと記憶しております。(蛇足、失礼いたしました。)

「指揮者」としての服部正(2)

服部正の自著「広場で楽隊を鳴らそう」では、服部正はこんなことを書いていました。

「今日でも若い作曲家がオーケストラを前にして仕事をするときは、なかなかの苦労である。一寸でも、作曲家に不遜な態度や小賢しい言動があると、オーケストラはたちまちこの若者に『やき』を入れる。わざわざ譜面台の上の楽譜をさかさまにして、「これ、いったいどういう楽譜かね」となどとからかう。また「その棒じゃわからないね」と軽蔑する。そのとき若い作曲家がこのひやかしに引っかかって、ドギマギしてしまったら最後、もう指揮者の権威は地に堕ち、オーケストラは動かなくなってしまう。」

この文章は約60年前に書かれたものですが、今でも気質的には完全になくなったとは言えないかもしれません。
こういった事に対し、服部正は学生時代から相手が学生とは言えマンドリンクラブでの指揮を通じてそれなりの対処方法を身に付けていたので、大過なく仕事が出来たと書いてありました。

(「相手が年長で、職場に住みついているような古強者に面した場合はこちらが指揮者であるような顔をしてはいけないこと、音を出すのは彼らで、演奏者の気分を害する事にもっとも気をつけなければならない。気取らず、誤らず、落ち着いて、とぼけていなければ、指揮者はとてもつとまらない。」

こう読んでみると、現代でもかなり「働き方改革」で変わってきてはいるものの、会社組織の中でも何となく通じるものがありそうです。(「指揮者」を「管理職」、「演奏者」を「担当者」に読み替えてみて下さい!)

昭和12年頃、コンセルポピュレールを指揮していた服部 正

当然ながら服部正は指揮をする相手によって対応をうまく使い分けていたとは思いますが、特に放送番組の録音等の「スタジオプレーヤー」と言われる一くせも二くせもある演奏家とのコミュニケーションの取り方を若い頃から苦労して付き合っていた事は確かだと思います。
なので、アマチュア、それも自分の出身母体である慶應義塾マンドリンクラブの指揮をするときはとても生き生きとした動きをしていたのではないでしょうか。

「指揮者」としての服部正 (1)

今まで本資料館のご紹介は「作曲家」としての服部正の姿が殆どでした。
それは作曲した作品が譜面として残されていたり、録音として聞く事が出来るため、具体的なお話がしやすかった事もあります。
しかしながら「指揮者」という面からみると、これが非常に物的資産が少ないためにご紹介に至らない部分が多かったと感じます。(活躍していた当時は「ビデオ」の普及度はほとんどなく、仕上がった録音のみでした。)
指揮者という仕事は演奏会の本番で「棒を振る人」としか見えない方も多いと思いますが、そこに至るまでのオーケストラへの様々な指示、啓蒙、状況判断等1回の演奏会に辿り着くまでに大変な道のりがある事はそれほど話題にのぼりません。しかも演奏会で音を出すのはオーケストラであり、指揮者は「声も出せない」存在でありながら、拍手を送られる立場に立つという面白い立ち位置にあります。
服部正の指揮を体験した人は実は非常に多く、60年以上に亘って慶應義塾マンドリンクラブの指揮をしていた事によるその間の卒業生が数百人にも及ぶ事です。しかしながら彼らのほとんどは一般企業に就職し、それ以降の音楽活動は「余暇」での活動なので「服部正」以外の本格的指揮者と巡り会う機会はほとんどなく、指揮者としての比較論がしにくい状況です。
今回不肖私が慶應義塾マンドリンクラブ時代に見た服部正の指揮、そしてその後アマチュアオーケストラに20年以上お世話になった際の数々の若手プロ指揮者の双方を経験したので、そういった側面から少しずつご紹介してみたいと思います。

昭和30年代前半の服部 正


服部正は自著の「広場で楽隊を鳴らそう」にて、学校卒業後に音楽界に入った時の記事で、指揮者についてこんなことを書いていました。

「わたくしはマンドリンクラブの指揮者としての経験は持っていたけれど、職業的管弦楽団の指揮はしたことがなかった。要するに自分がアマチュアだという劣等感があって、はじめのうちはなかなかうまくゆかなかった。そのうえ、当時「楽士」といわれたオーケストラのメンバー諸君は、いささかヤクザ風な気質をもっていて、わたくしのごとき学生上がりのインテリを、毛嫌いする傾向があった。しかも、彼らの生活状況は、レコード景気で非常に豊かであり、一応は「売れっ子」意識もあって、流行職業としてのプライドが高いから、これをうまく指揮することは、よい編曲をするよりはるかにむつかしいことだった。」

これは昭和初期の状況ですが、ある意味今でも程度は下がったとは言え、どこかにこの気質は残っているとも思われます。
私は父が音楽家だったため一般サラリーマンの生活に学生時代まで接点がなく、就職後実態として感じましたが、「指揮者」もある意味一般企業で言えば単なる管理職であり、部下がいう事をきかなかったり、古参の強者担当者が常に怪訝な目つきで仕事をしたりしている組織の上司と似て非なるものと思うようになってきました。

また次回に続けて行きたいと思います。