「ラジオ体操とSDGs」で番組公開

4/24(土)16:00~17:15、テレビ東京系で放映される「池上彰×SPORTS×SDGs」という番組で「ラジオ体操とSDGsの知られざる歴史秘話」というテーマで「日本のラジオ体操」が取り上げられるそうです。
実はこの番組のスタッフからご連絡を頂き、ラジオ体操第一作曲者としての服部正の画像を頂戴したいとの依頼を2か月前に頂戴いたしました。
そもそも「SDGs」って何だ?という所からスタートする事になりますが、調べたところ「持続可能な世界を実現するための開発目標=SDGs」という事であり、「2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標」と出ていました。全部で17のカテゴリーがあり、その中でも「すべての人に健康と福祉を」という項目が書かれておりました。どうもこれに絡みそうだとは思いますが、なぜラジオ体操の作曲者の画像が必要になるような番組進行なのか、非常に気になりますね。

是非皆様も興味津々でご覧になってはいかがかと思いご紹介させていただきました。
服部正のラジオ体操第一第3版(1951年作曲)当時と思われる画像をご提供させていただきました。

今日(3/17)は服部正の誕生日です!

113年前の今日、服部正は東京の神田で生まれました。
100歳で死去しましたので、もう13年も経ってしまいました。

そして皆さんが今やっている「ラジオ体操第一」がスタートしたのが1951年3月であり、こちらはちょうど70周年を迎えます。
70年も同じ音楽のもとで同じラジオ体操がつつがなく流れているのも、日本人の律義さ、勤勉さを表しているのでしょうか。
あのピアノの前奏が流れた瞬間に「体操だ!」と体が条件反射的に動いてしまう方も少なくないと思われます。そういった意味でも日本人の健康に微力ではありますが貢献させて頂いた、という気持ちも親族としては嬉しく思っております。



この記念切手は以前もご紹介しましたが、そもそものラジオ体操第一が出来た1928年から50周年の1978年に発行されたものです。(この時の作曲は福井直秋氏)
それを考えると「ラジオ体操」そのものが生まれてからもうあと7年で100周年になってしまいますね。


皆さんのおかげでまだこのラジオ体操は続いており、これからも是非応援して頂ければありがたく思っております。

「キネマ旬報」映画音楽の本

以前DU BOOK関係者からご連絡を頂き、「キネマ旬報の連載の中で『日本の映画音楽』に特化した記事をまとめて書籍化するのでご協力を頂きたい」というお話でした。
特に服部正は戦前から映画音楽とは密接な関係を持っており、トーキー映画からPCL、そして日活、東宝といった映画会社、さらには「次郎物語」の島氏、「虎の尾を踏む男達」の黒澤明氏といった大監督との付き合いに発展していきました。
キネマ旬報では服部正は個別に2回取り上げられ、また他の作者の項でも取り上げて頂いておりましたが今般刊行に至り、出版社より謹呈を受けました。

日本映画音楽史を形作る人々 アニメーション映画の系譜

著者の秋山邦晴氏は音楽評論家で、この映画音楽に実際携わった人々と直接接したりして文章そのものにも大変深い感銘を与えてきたと言われています。

内容を拝見すると、かなりの部分が自著の「広場で楽隊を鳴らそう」から取り上げられておりますが、秋山氏独自の視点でのコメントも書かれており、なかなか興味深いものでした。

取り上げられている作曲家は服部正の師の「菅原明朗」をはじめ「黛敏郎」「芥川也寸志」「山田耕筰」「深井史郎」「武満徹」等およそ日本の名作曲家がほぼ網羅されていると言っても過言ではありません。

服部正のページ






この書籍は600ページを超える内容であり、金額は税抜きで5,800円とされております。

DU BOOKS社のご厚意でこちらでも多少の割引での斡旋は可能ですが、いかんせんかなり物量の大きな書籍ですので送料もある程度かかるため一般ルート(書店、通販等)でのご購入でもそれほどの差が無いと思われます。
もしご関心をお持ちの方は是非ご検討下さい。

新年のご挨拶

2021年 謹賀新年

皆様、旧年中は大変お世話になりました。

新型コロナウィルス感染症が終息化の兆しが見えない中、素直に「明けまして、、、」と言いづらいのが昨今の状況と思われます。12月中は様々な別件対応で当館も新たな投稿が出来ず、ご心配をおかけしたかもしれません。家族を含め感染者は出ておりませんので、取り急ぎご案じ無き用お願いいたします。

昨年は感染症の影響で「音楽界」も大変な逆風の嵐に巻き込まれました。軒並み演奏会は中止、演奏家も活動の幅が一気に無くなり大変ご苦労されていると思われます。
一方でアマチュアの活動家も大きなイベントが挙行できず、特に学生団体は最高学年の方々が「卒業演奏会」も出来ずに大変つらい思いをされたのではとお察ししております。

とは言え昨年は当館にとってもなかなか意義深いエポックがいくつかございました。

コンコルディア様による、服部正の長く埋もれていた戦中の作品「陸を行く」の再演がきっかけで、この曲に対し様々な方から高評価を頂きました。年末にも関西のB-One様が服部正の大学卒業直後の作品「デッサン」を取り上げていただきました。こちらは残念ながら感染症拡大第三派のため演奏会自体が中止になってしまいましたが、それまで団員の方が一生懸命練習頂いたことを思うと頭が下がる思いです。どちらも出身母体である慶應義塾マンドリンクラブと縁がそれほど強くない事が大変有意義で、日本のマンドリン音楽界でもまだ服部正という存在に目を向けて頂いている事に、大変感謝の気持ちを強く持ちました。

一方で「京都府立医科大学 学歌」につきまして本資料館にてご紹介したところ、ご卒業の皆様の中でフレーズの違和感があった事で真相究明をされていた事が分かり、その解決に向けた方向性が見えたことに望外の謝意を頂き大変恐縮したこともございました。この曲も戦前に生まれた曲で、当時の曲に昨年はかなりスポットライトが当たったように思われました。

今年もまだ感染症対応が続く中、音楽活動も全面的に再開できる見通しが難しい中で、当館としても地道に活動を続けていきたいと考えております。

皆様もご健康を第一にお過ごしください。

本年もよろしくお願い致します。

館長 服部 賢

服部正作編曲、指揮のSPレコード発見!

ラジオ体操や世界名曲シリーズ

服部正 作編曲のSPレコード類

先日慶應の先輩の方からご連絡を頂き、服部正の作編曲のSPレコードがあるので寄贈したいとのお話を頂きました。
大変ありがたいお話なので快諾させて頂きましたが、ほどなく厳重に梱包された宅配便が到着し、SPレコード4枚と、ご丁寧にその音源を再生し焼き付けていただいたCDまで頂戴いたしました。
さすがに当家ではSPレコード再生手段が無かったので大変ありがたく、早速聞かせていただきました。

ラジオ体操は現在聴いているよりも前奏がゆっくりでしたが、体操が始まると現在とほぼ同じテンポで、非常にシンプルなピアノ伴奏版でした。付点音符が「ユルメ」のややのんびりムードにも聞こえました。
一方裏面に入っていたオケ伴奏版は、何と今話題の「古関裕而氏」の編曲によるバージョンで、まさに「古き良き時代」の音が再生されていました。

世界の名曲シリーズは全部で3枚のレコードに「お江戸日本橋」「さくらさくら」に始まり「ヴォルガの舟歌」「サンタ・ルチア」「ラ・パロマ」「庭の千草」「おおスザンナ」等世界各国の有名なメロディを次から次に並べて演奏しており、服部正が古くは「青年日本交響楽団」、「広場のコンサート」そして晩年の慶応義塾マンドリンクラブ、グレース・ノーツで繰り広げた「世界の音楽」を再現したような雰囲気が醸し出されていました。
それぞれ「コロンビア」「ビクター」のレコード会社が編成するオーケストラを使っておりましたが、このような貴重なレコードがあった事は大変有意義であり、寄贈頂いた田端様には格別なる御礼を申し上げたいと存じます。

これを機に一時期お届けした遺品シリーズのレコードの中で、自身の指揮、編曲等の録音がいくつか残っておりますので、またこれらを皆様にご紹介していこうと思います。

「デッサン(Dessin)」90年振り陽の目

B-one演奏会のご案内

以前服部正の「斑蝶」を演奏して頂いたB-one絃楽合奏団が、この度12月に大阪にて演奏会を開催し、またもや服部正の作品を発掘していただき演奏して頂くことになりました。
演奏される曲は「Dessin(デッサン)」という曲で、残念ながら当館では譜面は見つかりませんでした。

絃楽合奏団 B-one 第16回演奏会のご案内チラシ

この「デッサン」と言う曲は慶應義塾マンドリンクラブ第37回定期演奏会(1931年11月16日)に初演されました。しかしながらその後は慶應の演奏会には登場してこなかったようです。
ところがその翌年の1932年に同志社大学マンドリンクラブがこの曲を定期演奏会に取り上げていただいたそうです。今回B-oneにて演奏頂く譜面も恐らくこの「同志社ライン」での調達と思われ、敬意を表したいと思います。当日は服部正の師である菅原明朗氏の弟子である「西田直道氏」が指揮を執ったとB-oneの今回のデッサンの指揮を執って頂く辻本氏からご教授頂きました。多分菅原先生からのお薦めでもあったのかもしれません。

昭和6年(1931年)服部正の個人日記

実は服部正が書いていた日記に、この初演当日の日の書き込みがありました。
これが実に興味深い一節が書いてありました。
「11月16日
 第37回の演奏会。感謝がある。
 菅原、武井両氏を迎える(菅原明朗氏、武井守成氏の事と推測)
 ああ、僕もこれで6回目の音楽会(第32回が初指揮者としてデビュー)
 実に慶應のために何かをしたと自信した。これはうぬぼれではない。」
 ここまでは何となく前向きなトーンでした。
ところが後半は雰囲気が全く変わりました。
「僕の曲(デッサンの事)はつまらなかった。
 ファルボ、ストラヴィンスキー、ミラネージは大失敗(当日の曲の作曲者)
 後で明朗達とお茶を飲む。楽しい、苦い思いで」

まず「大失敗」に上げられた3人の曲でも「ストラヴィンスキー」は当日来られていた菅原先生の編曲によるものであり、最後の「苦い思いで」の背景には先生の編曲作品がうまくいかなかった事にあるのではと思われます。
そして肝心の「デッサン」についても自作を酷評しており、譜面がこちらに残っていなかったこと、その後の慶應の演奏会に取り上げられなかったのも、何となく「気が進まなかった」ような気持が心のどこかにあったのでは、と思います。

そんな「デッサン」に89年振りに陽を当てていただきましたB-one絃楽合奏団の皆様、指揮をお執り頂く辻本様に心より感謝を申し上げたいと存じます。

このコロナ禍で演奏会開催もままならぬ中ですが、もし関西地区の皆様でご関心がある方はいかがでしょうか?
当日は服部正がKMCでもよく好んで取り上げていた「ボッタキアリ 交響的前奏曲」もやられるそうです。
絃楽合奏団B-oneホームページ

学歌(校歌)の謎の判明の糸口に

京都府立医科大学様との交流

本年(2020年)2月に「校歌・社歌のご紹介」の一環で「京滋地区」の項で「京都府立医科大学殿」の学歌のご紹介を致しました。
そして6月にこの記事を読まれた同大学学友会理事の方からお問合せを頂きました。
どうもこの「学歌」についてメロディーの一節に歌われ方が2つあり、どちらが本来の学歌なのか長年真偽を追求されているとのことで、さらには同大学内部ではそもそもの原本が行方不明という事もあり当資料館の記事を見て早速ご連絡を頂いた、というのが事の発端です。

京都府立医科大学卒業生向け会報誌「青蓮会報」187号


当館では表紙と前半のみの楽譜をご紹介しておりましたので、全曲のコピーをお送りしたところ、非常にお喜ばれになり、「長年の謎が解けた!」との過分なお言葉まで頂戴しました。
そして今般そのことが同大卒業生の皆様に送られる会報に詳細にご披露頂きました。
拝読したところ、似たようなフレーズが同学歌の中に出てきており、それを混同したまま現在に至り写譜までそれに則って受け継がれていた部分があったようです。
しかしご卒業の方々からは「どうもちがうぞ」との声も少なくなく、平成18年(2006年)同会報に「これでいいのか、学歌のメロディー -学歌のミステリー-」としてもご紹介され、それから14年経った本年当資料館のこの記事にたどり着き、今回の話に至ったそうです。

しかしながら、こういった多少の違いであっても追求をされたことに大変敬意を表すとともに、最先端の医学を学ばれた方々が音楽のリテラシーに対する造詣も深い事に畏敬の念が絶えません。関係者の方々で同大学のオーケストラや合唱団に所属されていた方が「フレーズ、譜面の相違」についてしっかりご認識頂いていたことも、この成果につなげられたのではと思います。

同大学は2年後の2022年に創立150周年を迎え、おりしも本年学歌制定80年という節目の年でこの原本発見に大変お喜びいただきましたが、当館としても何らかのお役に立てたという事がとても嬉しく光栄に思っております。

この新型コロナウィルス感染の中、医療機関は大変な毎日をお過ごし頂いていると思いますが、少しでも関係各位の皆様にとって励ましの機会になればと祈念しております。

戦前、戦中の日本のマンドリン界の貴重な記録

コンコルディア演奏会のパンフレットより

前回「マンドリンオーケストラ コンコルディア」にて服部正の「陸を行ゆく」が披露された事をお伝えいたしました。
実は本演奏会にて配布されたパンフレットを後日当方にも寄贈頂きましたが、実に内容が充実しており是非ともご紹介させて頂こうと思いました。

ご覧の通り非常にきれい、かつ厚いパンフレットで、プロ・アマ問わずこれだけしっかりした装丁のパンフレットが演奏会で配布されるのは極めて珍しく、40ページを超えた内容に目を見張ります。
普通は団体のご紹介と演奏曲目の解説程度だけが主に書かれますが、今回のパンフレットにはその作品が書かれた背景、さらには当時の日本の状況とマンドリン界の実情が事細かに描かれております。当演奏会にて指揮をされた横澤恒氏、当資料館でもお世話になりました関西学院大学マンドリンクラブOBの成相大輔氏の力作であり、特に当時の新聞や様々な文献資料のコピー等が添えられ、まさに戦前戦中におけるマンドリン界だけでなく音楽界や放送業界の実態も分かりやすく執筆されているたいへん貴重な記録と言えます。
成相氏が関西にてご活躍であることから、関西における戦中のNHK大阪放送局も絡んだ音楽界の動向がかなり細かく書かれ、一方で東京を本拠地として活動していた服部正についても比較的に詳しくご紹介いただきました。中にはこちらも知らなかった服部正の作品名が登場していたり、その広範囲なニュースソースに驚いております。

当時は皇紀2600年(西暦1940年、神武天皇即位紀元2600年)祝賀という国家的な大イベントの真っ最中であり、太平洋戦争開戦の前後で日本全体も戦争に向けた意思高揚に燃えていた時代でした。NHKも全国ネットがまだまだ十分展開出来ていない時代で各放送局が様々な形で国家プロジェクトに応えて番組内容を企画していたようで、NHK大阪放送局が「マンドリン界」にも着目したプログラムを積極的に取り組み、そんな中で生まれたのが「『空、陸、海』をゆく」の3曲の行進曲でした。
実はこのNHK大阪放送局にてご担当していた方が「京阪神ギターマンドリン連盟」の幹部にもなった方であることが書かれており、以前当資料館「戦前マンドリン作品」でご紹介した「服部正作曲『海の組曲』」の譜面に「なぜNHK大阪放送局のハンコが押されていたのか?」の謎に一つの解答が得られたようにも思えました。
というのも、1943年10月に大阪で行われた「関西マンドリン、ギター合同演奏会」にこの3つの行進曲だけでなく「服部正の『海の組曲』も演奏された」との記事が書かれ、しかもその時は服部正が病気の為来阪できず、当時NHK大阪専属オーケストラの常任指揮者だった朝比奈隆氏が指揮を執ったとの事まで克明に書かれておりました。当日の模様はNHK大阪のラジオでも放送されたらしいですが、(「海の組曲」まで放送されたかどうかは不明です。)恐らく来られなかった服部正にNHKが気遣って、当日使った譜面等を1式送付してきた可能性が高く、服部正も送られてきた譜面を無造作に廃棄処分するわけにもいかず、何故か晩年まで捨てられずに残っていたのではないかと思われます。

今回「陸をゆく」という作品の掘り起こしだけでなく、この「海の組曲」にからむ謎解きにも大きな手掛かりを頂戴した事に横澤様はじめ「マンドリンオーケストラ コンコルディア」各位、成相様に対しあらためて心より感謝の気持ちを表したいと存じます。ありがとうございました。


「陸をゆく」が再度陽の目を!

去る9月5日にマンドリンオーケストラ・コンコルディアの演奏会が開かれました。以前ご紹介した服部正の作曲した「陸を行く」がそこで演奏されました。(ご紹介投稿)
(当初は6月に予定されていましたが、新型コロナウィルスの影響で9月に順延されました。)
今般その時の演奏がYouTube上にアップされた事を知り、皆様にご案内する事に致しました。

武井守成氏の「空をゆく」大澤壽人氏の「海をゆく」と3部作で第2次大戦開戦中に作曲、放送されたとの事で、今般もその3曲を並べたプログラムでしたが、「陸をゆく」に関しましては服部正の作風が非常によく再現され、当日もご来場のお客様からご好評を頂いたとの事でした。
是非皆様も3曲お聴きになって、この3曲が第2次大戦下の中で生まれた背景を色々と想像していただければと思います。(この動画サイトでは演奏会当日のパンフレット上の解説文等も併記されておりますので是非ご一読下さい。)

武井守成 空をゆく

服部正 陸をゆく

大澤壽人 海をゆく

演奏して頂きましたマンドリンオーケストラ「コンコルディア」の皆様、そして今回の指揮や企画をしていただきました横澤恒様にこの場を借りて改めまして厚く御礼を申し上げます。

<追記>
当日は小生にもご招待を頂いておりましたが、残念ながら自宅業務における新型コロナウィルス予防対策対応のため外出できず失礼してしまいました。後日その時の演奏の動画等をご連絡いただき、大変すばらしい演奏をして頂いたことに謝辞を贈らせていただきました。

初期ピアノ曲と菅原明朗先生

プレリュード(前奏曲) I

先日友人からSNSで連絡を頂き、「服部正の初期の作品がYouTubeに載っている」との情報を得ました。
この資料館でもご紹介した「ピアノの為の前奏曲」であり、見事に音が再現されております。(それも1番だけでなく2番まで。)
(YouTube 前奏曲)
一度当館でもMIDIでの音源再現を試みましたが、ピアノ曲の演奏のITでの再現は微妙なタッチ感、強弱、テンポの揺らし方等相当困難を極め、諦めて譜面だけの掲載としました。こうやってアップしていただいたのは非常に光栄であり感謝しております。(名大作曲同好会、榊山大亮氏によるアップ)

聞いてみると日本的な「和」の響きの中にも何となくドビュッシーやフォーレのフランス近代音楽っぽい響きにも聞こえますが、これは恐らく当時唯一の「師」として信望していた菅原明朗先生の影響が強いのではと思われます。
菅原先生は当時の日本としては珍しくクラシック音楽でも「フランス音楽」を積極的に紹介し、弟子の音楽家たちにも夜遅くまでフランス音楽の話をしていた、と「広場で楽隊を鳴らそう」という服部正の自叙伝に書かれておりました。

菅原明朗先生 白鳳之歌ご案内

服部正も一時菅原先生の影響を受け、フォーレ、ドビュッシーだけでなく様々な作品の譜面をかき集めていました。このプレリュードが書かれた年は1932年頃で、なんとまだフランスの大作曲家「ラヴェル」が生きていた頃であり、以前ご紹介した「マリピエロ」や「オネゲル」といった当時の現代音楽のスコアも入手しておりました。

先日その菅原先生のご親族の方からご連絡を頂き、菅原明朗先生作曲のピアノ曲の譜面のご紹介を頂きました。ここにそのご紹介をさせていただきます。
(宮崎県のHIBIKI Music Supplyでお取り扱いとの事であり、もしご興味がおありの方はお問合せ下さい。)